恋愛と暴力って近しい、のかもしれない|美術展レポ「ルーヴル美術館展 愛を描く」
珍しく美術展のレポです。
いかんせん高尚な感想を述べられないどころか、感想文と呼ばれる類の文章を毛嫌いしている人間なので…
しかし今回、見てみていろいろ考えたことがあったので、備忘録がてら記事に。
始まったばかりの展示ですので、ご興味が湧いたらぜひ行ってみてほしいです。
国立新美術館を撮影以外で初めて訪れる
これまで、国立新美術館へは何度か足を運んできました。
しかしどれもポートレート撮影が目的。
光の差し込み方が素敵ですし、建築物としても非常に素晴らしいもんで。
今回は本来の目的。
美術展を見にやってきました。
時間も17時半からと、いつもと違う時間帯に来たので色々新鮮。

傾きが気になる…
まだ始まって間もないということもあり、夕方の時間からでもすごく混んでました。
会場内に400~500人くらい入ってるイメージ。
どの絵画の前にも人だかりができており、自分のペースで見るのが困難なほど。
そんな中で印象に残った絵画をいくつか。
印象に残った絵画
ホーホストラーテン「部屋履き」

「サミュエル・ファン・ホーホストラーテン: 部屋履き|ルーヴル美術館展 愛を描く」
より引用
http://blog.livedoor.jp/a_delp/2023-01-08_Hoogstraten
見てすぐにはただの部屋の絵。
ただ脱ぎ捨てられた部屋履き、かけっぱなしの鍵、ベッドが描かれた絵画など、さまざまな要素からいかがわしい雰囲気を感じさせます。
女主人がすべきことを放り出し、愛に身を委ねている…そんな昼ドラ的シーンの想像を掻き立てられます。
「行間を読ませる」ような意図をもって表現してみたいという願望を刺激されました。
写真という具象を描く媒体にとっては、事前の検討や準備を入念に行わないとできないことです。
ぐぬぬ。
シャルル・メラン「ローマの慈愛」または「キモンとペロ」

http://blog.meiga.shop-pro.jp/?eid=1346
本展示ですが、神話や聖書の逸話をもとに書かれた絵画が中心です。
教養が足りてない私には、その絵画の持つストーリーや意味を理解するのは困難でした…
そんな中で、数少ない「知っているエピソード」がこの1枚でした。
父が危機に陥る中、自らも巻き込まれかねないリスクを背負いながらも、授乳をすることで生きながらえさせる。
社会情勢的にいろいろ異なる面はありますが、それでも慈愛の大切さを伝える1枚。
光の差し込み方や肌の質感、視線や布の動きなど、絵作りとしても勉強になりました。
フランソワ・ブーシェ「褐色の髪のオダリスク」

https://meiga-louvre.amebaownd.com/posts/42007870/
エロい。
それだけで終わっちゃうとただのスケベなので(否定はしませんが)。
目線や表情、ほほの赤らみや布のしわなど、間接的な表見で官能的な情景描写をしています。
まじまじと見ているのは憚られるシーンなはずなのに、引き込まれて一歩踏み出してしまいそうな、作者のエネルギーをビシビシ受けているように感じる1枚。
リオネッロ・スパーダ「放蕩息子の帰還」

https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2014/12/post-c3a9.html
放蕩息子というエピソードは知っていたものの、詳細な「どういう意味を持っているか」までは知りませんでした。
展示作品と解説をみて、なるほど理解。
…していたら後ろからカップルの声が。
「これなんて読むの?ほう…ほうとう?」
「ほうとう?…山梨?」
やめろそのネタは私に効く。
その後数分間、とある男性2人組が脳内でコントを繰り広げてくれました。
「…うどん粉? …ま、知ってて言ってんだけどさ。」
その他写真
撮影OKなエリアがあったので撮ってきました。
なおホワイトバランスが崩壊しているので、綺麗な状態の絵は実際に見に行ってください…




以下、展示を観たうえでの考え事です。
恋愛と暴力って近しい、のかもしれない
※以下にショッキング・センシティブな内容を含みます
苦手な方はブラウザバック推奨です。
本展示のなかで、愛と暴力についての節がありました。

wikiwand「オーレイテュイア」より引用
https://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%82%A2
神話の神々が、力づくで女性をさらっていく描写が何枚か展示されていました。
これは推測ですが、神話を作った当時、また倫理観が醸成され切っていない社会では、力による略奪などが今以上に存在していたのではないでしょうか。
恋愛という欲は、神々であれど逆らえないほど、強力な欲求であると伝えようとしたように思えます。
この絵画を見て、一つの事件を思い出しました。
「神戸連続児童殺傷事件」です。
当該Wikipediaに、このような記述があります。
A自身が友人に、全部で20匹ぐらいの猫を殺したと語っている[52]。標準的な人は性的な発育が始まる以前の段階で、性欲や性的関心と暴力的衝動は分離されるが、Aは性的な発育が始まった時点で性欲や性的関心と暴力的衝動が分離されず(鑑定医はその状態を未分化な性衝動と攻撃性の結合と表現した)、動物に対する暴力による殺害と遺体の損壊が性的興奮と結合していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6#%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AF%E5%86%A4%E7%BD%AA%E3%81%8B
いつだったかこの記述を読んで、性的興奮と暴力衝動が”発達とともに分離する”ということに驚いた記憶があります。
つまり生まれてから第二次性徴までの間に、未分離の状態が存在するということ。
具体例でいえば、虫を捕まえて解体して喜んだりとか。
はたまた、好きな相手にいたずらをしたくなったりとか。
ご覧のあなたにも、実際に経験がある、もしくは見聞きした経験が少なからずあると思います。
年をとっても、痛みを受ける・与えることによって性的興奮を覚える方が、少なくない人数存在します。
それが経験によるものなのか、発達によるものなのかは知り得ませんが。
恋愛や性的欲求が、破壊・支配・暴力的な衝動と隣り合わせである、という論は、脳の発達の過程や事象から見ても正しそうです。
「愛」にいろいろ包含させすぎ問題
以前「愛」についての記事を書いたことで、それ以降色々考えるようになりました。
今現在、自己愛も、恋愛も家族愛も、いまいち分からなくなっています。
当該記事でもいろいろな種類の「愛」について触れましたが、一例としてギリシアにおける4つの愛、エロース (性愛) 、フィリアー (隣人愛) 、アガペー (自己犠牲的な愛) 、ストルゲー (家族愛)。
異なる間柄における感情を、同じ「愛」という範疇で括っているのです。
愛さんに抱えさせすぎでは???
そして個人的には、エロースとそれ以外って隔たりがあると思うのです。
別の言い方をすれば、性愛・恋愛と、自己愛・友愛・隣人愛・家族愛、とで種類を分けた方がいいと。
前者には略奪や暴力、つまり先ほど触れたような内容が含まれているのです。
(毒親やフレネミーなどの要素は別物として見ます、というか愛から形を変えた愛ではない何かなので)
今回の展示を見ても、表現に隔たりが見えました。
性愛にはドロドロした面も清らかな面も描かれ、それ以外は神聖なものとして描かれる。
性愛・恋愛は、人間をおろかにしてしまうのではないでしょうか。
まとめ:恋愛怖い
雑なまとめは「恋愛怖い」。
最近、ちょっと色々イベントがあり、考えることが多かったのです。
そして思うのが「パートナーに傍にいてほしいと思う一方、恋愛における支配・独占欲求を発露するのが気持ち悪い」と言いましょうか。
仮に自分がそういった欲求を発露した場合、展示されている絵画のように映ってしまうのだと思うとね…
ちょっと、いやかなり気持ち悪い。
清らかな気持ちにさせてくれる絵もたくさんあった一方で、どこか心臓にくぎを打たれた気持ちにもなった展示でした。
ただ内容としてはとてもいいものでしたので、ぜひ行くことをお勧めします。
そして私と同じように放蕩息子で一人でツボってください。
おわり。
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