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こんな広い国が相手なら負けちまうわな。


アメリカに住んでいたとき、祖父と祖母を招待したことがある。

1月の寒い時期だった頃だろうか。
とは言っても、日本のように突き刺すような寒さではない。夏はそこまで暑くなく、冬もそこまで寒くない、一年中カラッとしている気候の良い地域だ。


祖父母が初めてアメリカの土地の降り立った日も、まさにそんなカラッとした天気の良い日だった。

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祖父母がアメリカに来ることが決まってから、こちらはとにかく張り切って準備しまくった。

観光スポットとして船に乗って鯨を見に行くというのが有名だったので、船の予約をしたり、魚の美味しいレストランにも連れて行きたかったから、レストランの予約もしたり。
庭でバーベキューもしたかったから、いつもは絶対買わないちょっと高級な美味しいお肉も用意したし、通っている学校や普段よく行くスーパーに連れて行くという予定も立てたりして。


とにかく日本ではなかなか経験できないことを2人には体験してほしいという気持ちから、アレコレ考えたわけだ。

今思い出しても、本当にどれもこれも良い思い出ばかり。色々考えて準備したのも、そのどれをも喜んでくれた祖父母の顔を見ることができたのも、最高だった。


でも、「その中で一番の思い出は?」と聞かれると、実はそのどれでもないことに最近気づいた。


いつも最初に思い出して、尚且つ、一番強く印象に残っていること。


それが祖父のたった一言だった。


祖父の一言


祖父母がアメリカに到着した日は、母の運転する車で兄と三人、空港まで祖父母を迎えに行った。

到着ロビーには大きな荷物を抱えた人たちでごった返していて、キョロキョロと誰かを探す人もいれば、見つけた家族と抱き合っている人もいた。そんな様子を横目に、こちらは今か今かと待ちわびていたのだが、ようやく見知った顔がロビーから出てきた瞬間は、それはもう嬉しくてしょうがなかった。

お互い再会を喜び合い、二言三言交わしてさっそく車に乗り込んだわけだが、空港から自宅まではハイウェイで約1時間。

道中の景色は私たちにとっては見慣れたものでも、祖父母にとっては全部が初めて見る景色だ。その日はよく晴れていて、空がやけにすっきりと青かったこともあって、景色のひとつひとつに二人とも喜んでいた。


車線の数も、車のサイズも、乗っている人も、建っている家も。とにかく何もかもが日本とは違う。ひとことで言うと、全部がビッグなのだ。なんともアメリカらしい。
そのスケール感に、祖母はさっきから「ヒェ〜」だの「ハー、大きいねぇ」だの、ひたすら感心しっぱなしだった。
もともと口数の少ない祖父は何も言わなかったが、車窓をキョロキョロ見回す様子から、興味津々なのは伝わってきた。


さぁそろそろ自宅に着くぞというとき。
突然祖父がぽつりとつぶやいた。


「こんな広い国が相手なら、日本は負けちまうわな。」


あの頃は言葉の意味がよくわからなかったけれど、この一言がやけに印象に残っていて、今でもその情景をはっきりと覚えている。
そして、大人になった今、なぜ祖父がその言葉を発したのか。その理由がよくわかるのだ。



祖父は13歳のとき、戦争で両親と兄弟を失った。ほかにも兄弟はいたけど、みんなバラバラになってしまったから結局一人ぼっちに。


もちろん中学には行けず、そのまま就職。
13歳から職人として生きてきた。
終戦の年に13歳ということは、当時の状況もそれなりに理解していただろうし、記憶も鮮明だったはず。


怖い思いも、悲しい思いも、痛い思いも、山ほどしてきたに違いない。


歴史を学び、祖父や祖母から昔の話をぽつぽつと聞くようになってから、改めてあの日のあの言葉を思い返すと、なんとも言えない気持ちになる。もっとも、普段の祖父はそんな深刻な顔をしているわけではなく、テレビの前で相撲を見ながら「あの力士はいかん。弱っちいな。」とか呑気なことを言っていた、普通のおじいちゃんだったのだが。


でも、あのとき。
本当の意味で何もかもを失って、たったひとりになってしまったあのとき。
これからどう生きていけばいいのか、考える余裕すらなかったと思う。とにかく今日を、明日を生き延びなきゃ、と必死だったんじゃないだろうか。

そんなことを想像してみたりもするが、私には到底わかるはずもない。
それでも、壮絶な体験をした祖父が数十年後、当時は敵地だったアメリカに降り立ち、あの広い空の下でふと漏らしたことがあの言葉なのだと思うと、胸の奥がぎゅっとなる。


そして、それと同時に、自分はちゃんと生きているだろうか、自分の生き方は亡き祖父の目にどう映っているのだろうか。

そう考えるようになった。


祖父だけではない。
曾祖父母、高祖父母、さらにもっともっと遡れば、顔も名前も知らないご先祖様たちがいる。どんな暮らしをして、どんな仕事をして、どんな人だったのか。詳しいことは何ひとつわからない。でも、確かにその人たちがいたから、今の私がここに存在しているのだ。


ある時代のご先祖様は、もしかしたら戦争に駆り出されて命がけで生きていたかもしれない。またある時代は、田んぼでお米を作っていたかもしれないし、商売をしていたかもしれない。

いずれにせよ、いつの時代も社会情勢は不安定だっただろうし、それに右往左往する民衆がいて。みんな、それなりの不安を抱えながら生きてきたと思う。形は違うけど今だってそうだ。

みんな大なり小なり不安を抱えながらどうにかこうにか生き抜いて命をつないできた。


そして今、私がその最前線に立っている。

まさに命がけのリレーだ。
そのリレーの走者としてバトンを渡されて、今懸命に走っているのが私。


そう考えると、なんだかそれだけで胸がいっぱいになる。月並みだけど「命って尊いな」としみじみしてしまう。

顔も知らないご先祖様の話をすると、少し遠く感じてしまうかもしれないが、私にとって身近な先人といえば、やっぱり祖父だ。(兄もいるが兄弟ということもあって、先祖というのはまだ今は違うような気がしている。)


そんな祖父が孫を見る目は、いつもとても温かかった。何かに挑戦するときは「頑張れよ」のひとこと。それだけでは足りないと思ったのか、わざわざ遠くの神社までお守りを買いに行って、渡してくれたこともあった。
兄が病気をしたときも、毎日のように祈ってくれていたらしい。「それくらいしかできんから」と本人は言っていたけれど、その気持ちがとにかく嬉しかった。

口数は少ないけれど、いつもどこかから応援してくれている。不器用で、優しい祖父だった。

そんな祖父のことを思うと、顔も名前も知らないご先祖様たちも、きっと同じような優しい眼差しで子孫を見守ってくれているのではないかと思えてくる。

「そっちに行ったら危ないよ!」とか「がんばれ〜がんばれ〜!」とか。もしかしたら「そいつと縁を持ったらいかん!こっちの方がいいぞ!」なんて、余計なお世話まで焼いてくれているかもしれない。


目には見えなくても、毎日そうやって見守ってくれているような気がしてならない。



今日は8月15日。

終戦の日であり、お盆の時期だ。


きっと今、たくさんのご先祖様たちがうちに帰ってきてくれているのだろう。ご先祖様の数があまりに多すぎて、うちの狭さではろくなおもてなしもできないけれど、「お帰りなさい!どうぞゆっくりしていってくださいね。」という精一杯の歓迎の気持ちだけは込めて過ごしている。


命をつないでくれたことへの感謝と、たくさんの笑顔と、渡されたバトンを最後まで持ち続ける責任と。今後自分に子どもが授かれるかどうかはまだわからないけれど、どんな形であれ、私にできることをこれからの子どもたちに何かを繋げられるような生き方をしたい。

それが恩返しになるような気がするから。


最後に、ご先祖様へ。
これまで命をつないでくれて本当にありがとうございます。おかげさまで、どうにかこうにかここまで生かされています。このお盆の期間中はみなさんと一緒にいるつもりで、楽しく、明るく生活していこうと思います。皆さんも楽しんでいってくださいね。

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