【限りなく透明に近いブルー】 芥川賞読んでいく:18冊目【1976年受賞作】
芥川賞の受賞作を片っ端から読んでいくということをしています。
今回は 第75回 芥川賞受賞作 限りなく透明に近いブルー について書いていきます。

東京の福生を舞台とした小説。現在はごく普通の平和な町ですが、当時の福生は違ったのでしょうか。国立や立川よりも向こう側にある町で、私も何度か訪れたことがありますが独特の雰囲気がある気がします。米軍基地には行ってませんが、どこか非日本的な昭和のスナックやパブが並んだ道があったり、歩いていて外国人を見かけることも少なくないです。
そんな町に外国人が住むハウスがあり、昭和の頃にはドラッグが普通に使われるような治外法権であったらしいです。小説はそんな町に住む日本人の男リュウを主軸として治外法権を描いています。
あれは町なんかじゃないぞ
小説の最後をいきなり引用します。薬物に溺れたリュウはこんなことを話します。
リリー、俺帰ろうかな、帰りたいんだ。どこかわからないけど帰りたいよ、きっと迷子になったんだ。もっと涼しいところに帰りたいよ、俺は昔そこにいたんだ、そこに帰りたいよ。リリーも知ってるだろ?いい匂いのする大きな木の下みたいな場所さ、ここは一体どこだい?ここはどこだい?
リュウはひたすらどこかに帰りたがっています。ただ帰る場所が「どこかわからない」。
君は黒い鳥を見たかい?君は黒い鳥を見れるよ、グリーンアイズはそう言った。この部屋の外で、あの窓の向こうで、黒い巨大な鳥が飛んでいるのかも知れない。
リュウは「黒い巨大な鳥」が見えると言います。隣にいたリリーは部屋を歩き窓を開けてそんなものいないわよと言いますが、リュウは彼女の言葉が耳に入らないかのように話を続けます。
黒い夜そのもののような巨大な鳥、いつも見る灰色でパン屑をむ鳥と同じように空を舞っている黒い鳥、ただあまり巨大なため、嘴にあいた穴が洞窟のように窓の向こう側で見えるだけで、その全体を見ることはできないのだろう。
黒い鳥はあまりに巨大で「その全体を見ることはできない」と言います。「嘴にあいた穴が洞窟のように窓の向こう側で見えるだけ」というのは私は分かりませんでした。
僕に殺された蛾は僕の全体に気付くことなく死んでいったに違いない。緑色の体液を含んだ柔かい腹を押し潰した巨大な何かが、この僕の一部であることを知らずに死んだのだ。今僕はあの蛾と全く同じようにして、黒い鳥から押し潰されようとしている。グリーンアイズはこのことを教えにやって来たのだろう、僕に教えようとして。
「僕に殺された蛾は僕の全体に気付くことなく死んでいった」とも言っています。蛾にとって人間は巨大で、その全貌を捉えることはできないはずだと。
「今僕はあの蛾と全く同じようにして、黒い鳥から押し潰されようとしている」

リリー、鳥が見えるかい?今外を鳥が飛んでるんだろう?リリーは気が付いてるのか?俺は知ってるよ、蛾は俺に気が付かなかった、俺は気が付いたよ。鳥さ、大きな黒い鳥だよ、リリーも知ってるんだろう?
「蛾は俺に気が付かなかった」
「俺は気が付いたよ」俺を押し潰そうとしているその巨大な何かに
リリー、あれが鳥さ、よく見ろよ、あの町が鳥なんだ、あれは町なんかじゃないぞ、あの町には人なんか住んでいないよ、あれは鳥さ、わからないのか?
「あれは町なんかじゃないぞ」ということは人々はその巨大な何かを町だと思っているということでもある。それどころか人々は押し潰そうとしている「黒い夜そのもののような巨大な」何かがあることさえ気が付かずに生活している。
「その全体を見ることはできない」からだ。

草の匂いが全身を包み、からだを犯していた熱がゆっくりと地面に逃げるのを感じた
リュウは割ったガラスで自らを突き刺し町を走る。
あの時、リリーの部屋を出る時、血が溢れる左腕だけが生きている気がした。血だらけの薄いガラスの破片をポケットに入れて、霧に霞んでいる道路を走った。家々は戸と窓を閉ざして動く物は何もなく、僕は巨大な生物に呑まれて、腸の中をぐるぐる回る童話の主人公なのだと、自分のことを思った。
なぜ自傷が生きる実感をつくるのだろう?
この前まとめた『蛇にピアス』でも同じ問題を孕んでいた。感覚自体は共感できるものかもしれないが、なぜ痛みが生きていると感じさせるのか、説明するのは大変じゃないだろうか。「生きている実感」ってなんだろう。
指を入れてやると背中に模様のある丸い虫が僕の唾液に濡れて、這い出てきた。濡れた足を滑らせて草の上に戻った。虫が引っ掻いた歯茎を舌で撫でているうちに、草に乗っていた露が、僕のからだを冷ましていった。草の匂いが全身を包み、からだを犯していた熱がゆっくりと地面に逃げるのを感じた。
ずっと僕はわけのわからない物に触れていたのだ、と草の上で思った。きっと今でも、この優しい夜の病院の庭にいる今でも、それは変わらないのだろう。巨大な黒い島は今でも飛んでいて、僕は苦い草や丸い虫と一緒に胎内に閉じ込められている。小石と同じになったこの蛾のようにからだを硬く乾燥させてしまわない限り、鳥から逃れることは出来ない。
走り抜けて草むらに転がり込んだリュウの身体を「草に乗っていた露が」優しく冷ましていく。部屋で言っていた帰りたかった場所と関係があるのだろうか。
巨大な黒い鳥から逃げるには「小石と同じになったこの蛾のようにからだを硬く乾燥させてしま」うしかないとはどういうことだろう。蛾は押し潰されて死んだのだから、これは死を意味するのだろうか。
記事を書いてきて思ったこと
これまで自由に記事を書いてきたのですが、今回意識したことがあります。
それは記事の一回目では問題提議を主軸に書いていこうということです。
これまでの記事では問題を定義した後、すぐに考えを長ったらしく書いていったのですが、それを記事として分けた方がすっきりすると思ったのです。
メリットとしては見返しやすくなることで、デメリットはその場で出てくるリアルタイムな自分の考えが残らないかもしれない(忘れるから)ことです。
今回も書きたいことはまだまだありました。巨大な黒い鳥は社会です。1970年代は戦後の日本が急速に経済成長していった年代であり、それに伴い無視され、踏みにじられ、そして失われていったものが多くあります。はっぴいえんどや安部公房と養老孟司の対談動画なども引用しながらのちに書いていこうと思っています。
これから数回はこの辺り、問題定義で抑えるのか、それとも考察を述べるのか考えながら書いていこうと思います。
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