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生きる意味について考えていく-3- 【実存主義とは何か】

前回の記事では、生きる意味を考える上で役に立つ実存主義について書きました。

人の実存は本質に先立つ。物の本質は実存に先立つ。これをサルトルは本当に言ったのでしょうか。下の本を読んでまた記事を書きます。

実存主義を唱えた代表的な哲学者サルトル自身の文章を読んで、考察を進めていきます。

この本は手元になかったので、国会図書館のデジタルコレクションからサルトル全集を引用しています。登録すればいつでもネットで利用できるので便利ですよ。

人間はまず先に実存する

サルトルの文章を引用します

《実存主義とは何か》サルトル

実存が本質に先立つとは

人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。

不意に」という単語に注目します。これは「予期せず」とか「偶然に」と言い換えてもいいのではないでしょうか。つまり、

人間は世界内に偶然に姿をあらわし

としても差はないと思うのです。

でも、なぜこんな当たり前のようなことを書くのでしょうか?

現代の日本人にはイメージしにくいと思うのですが(私もです)、神が人間をつくったと考える人たちもいた(今もいる)のです。彼らは「人間が偶然に姿をあらわした」とは考えませんでした。

そのかわり、神が意識的に人間をつくりあげたと考えたのです。「意識的に」というのは「本質を事前に想定して」という意味にとらえてもいいと思います。

つまり、神が意図した本質が先にあり、そのあとに人間という実存(現実存在)がつくられたよという考えがあり、それに反対する意見を実存主義が唱えているのです。

サルトルは本質が実存に先行する物の例としてペーパーナイフを挙げています。
ペーパーナイフは「一定の用途」を持っていると書いているので、私は「何かを切ること」と具体的に書きました。職人はその「一定の用途」という本質を先に想定したあとに、ペーパーナイフという触ることのできる実存をつくるとサルトルは書いています。
同様に、神は人間の本質を先に想定した上で人間を作ったと考える人たちがいるのです。

ここから、人間はなぜ神を想定しないといけなかったのか、という疑問が出てきます。一言で言えば、意味のない自分に耐えられないからということだと言い切ってしまいましょう。

なぜ耐えられないかを直接述べる前に、一度本文に戻りましょう。

人間が偶然に存在すると考えることで、実存主義は次に何を主張したいのでしょうか。次回はそのことについて考えます。







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