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心が動く、発電する身体(6)

新宿から楢葉町まで歩いた「徒歩旅行劇」から約1ヶ月。道中で撮った写真とともに「心が動いた瞬間」をテーマに、振り返ります。前半の新宿〜水戸に続き、後半は水戸から大甕(おおみか)への旅からスタートです。

坂をのぼっていった先に、太陽の光が差し込んでいたのでカメラを向けた。星さんが光を浴びてポーズをとってくれた。朋佳は多分、映り込まないように歩く方向を変えようとしている。どちらも愛おしい。

茨城県那珂郡東海村にある原子力発電所「東海第二発電所」が遠くから見えた。恥ずかしながらここを通るまで、この横を通るということをわかっていなかった。かつて臨界事故があったということも、ぼんやりとは知っていたけれど、このとき初めてしっかり認識した。近くに「原電通り」という名前の道があったことを、なぜか強く覚えている。

大甕から高萩への道中。この日はずっと海の近くを歩いていた。最初に海が視界に現れたとき、強いエネルギーを感じて元気になった。「わあ!海だ!」あのエネルギーは一体なぜ湧き起こるんだろう。

高萩からいわきへの道で見つけた。津波のときに避難するための建物だと思う。このあたりを歩いていたときは、少しづつ震災の痕跡を感じ初めていたと思う。崩れたままのブロック塀があったり、廃屋が増えたり。

茨城県と福島県の県境にはトンネルがあった。大型トラックがビュンビュン通る、暗く歩道のない、危険なトンネルだった。茨城県6日間の旅を終えた感動はひとしおだった。個人的に一番エネルギーの生成を感じたのはこの瞬間かも。

勿来の海岸。僕は、福島県に入った途端に時間の流れがゆっくりになったように感じた。勿来の海はなぜか暖かく感じた。

植田からいわき中心部へ行くルートを、当初の予定を変更していわき湯本を通ることにした。結果、山中を抜けていくことになり、かなりアップダウンの激しい日になった。上の写真は、そのかなり標高の高いところらへんで撮った気がする。デカいキノコがかわいかった。

この看板には、「この先は歩道が行き止まりになっているため、反対側の歩道を使ってください」という趣旨のことが書かれている。これまでの道中で、歩道が寸断されており慌てて反対側へ渡るということが何度も何度もあったため、こんな親切な看板があるんだということに感動して記念に撮影した。

いい笑顔。

広野町と楢葉町の境あたりにある「広野火力発電所」が見えた。僕は個人的に、楢葉町からここまで歩いてきたことがあったので、頭の中で地図がつながり、震えるほどの感動を体験した。本当に来たんだ。本当に来たんだ。本当に繋がってるんだ。と何度も何度も感じた。いよいよ、楢葉町へ。

最終日。楢葉町では、風を感じた。たまたまとは思えないほど、この日は暖かかった。たまたまとは思えなかった。楢葉町は、暖かかった。同時に、楢葉町がとても静かだということにも気がついた。かつてたくさんの生活音に囲まれていたであろう道を歩きながら、胸を締め付けられる思いがした。

僕の身長は175cmだ。

目的地である福島第二原発付近についた。kashiwayaやおくの葉でずっとお世話になっているかおりさんが、カレーの炊き出しをして待っていてくれた。左は、コーディネートや写真撮影で昨年からずっとお世話になっている堺さん。写真には入っていないけれど、松館地区で仲良くなった方々も来てくれた。

旅を終えて。

この徒歩旅行劇は、「旅ってなんだっけ?」を取り戻したくて思いついた企画だ。まさしく、これは旅だった。旅の定義ってさまざまあると思うけど、きっと、比喩的な意味も含めて、「自分の足で歩く」ということなのかもしれない。「あっちかな?」「こっちじゃない?」「こっちか!」などと模索するプロセスを経て、何かを体験として獲得していくということ。

だからこれは、紛れもなく演劇だった。この旅での気づき、出会い、よろこび、苦しみ、すべてが今のぼくを形作っている。一本のあまりにも壮大な演劇を体験した後の変化が、体に残っている。

新宿から楢葉町まで、途切れることなど一瞬もなかった。僕はやっぱり、うっすら疑っていたのだと思う。本当に地続きなのかということを。浅はかだった。すべての道は繋がっていたし、すべての人々の営みが連続していた。そして、飲食店や旅館など、あらゆる営みでエネルギーは生成されていた。

エネルギーを、生んでは消費するというリニアなものとして捉えてはいけないことを学んだ。エネルギーは僕たちの間を循環する。生成される。今こうして生きている僕の中でも、明滅している。僕は誰かに、エネルギーを届けられるような存在になりたいんだと、強く思った。

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