見出し画像

第18章 なぜ、私は確認できなくなったのか

――観察が断たれていった時間――


ある朝のことを、今も覚えている。

出勤前の短い時間に、私は実家の前を通った。自宅と実家のゴミを出し終え、少しだけ足を止めた。リビングの窓には、薄いカーテン越しの光が見えていた。

起きている。

それだけで、分かることがあった。部屋の明かり。人の気配。動き始めるまでの間。昨日より動きが速いか、少し遅いか。それだけでも、母の状態は、おおよそ見えていた。

言葉にならない確認だった。だが確かに、確認だった。

母は、肺がんの進行に伴い、医療用麻薬による薬物療法を受けていた。症状には一定の緩和が得られていたが、状態は日によって揺れていた。昨日と今日が、同じとは限らなかった。

私はその変化を、一回ごとの出来事ではなく、時間の流れとして見ていた。

表情。
動作。
返事までの間。
呼吸のリズム。

そうしたものは、連続して見なければ分からない。一度だけ見ても、基準がない。前日との差があって、初めて変化として浮かび上がる。

だから私は、朝の短い立ち寄りを続けていた。それは、特別な確認ではなかった。生活の延長にある、ごく自然な習慣だった。

だが、ある時期から、その確認ができなくなった。

窓越しに部屋の様子を確かめようとしても、見えなくなっていた。外から、中の様子が分からなくなっていた。私は、窓の前に立っても、何も確かめることができなくなった。

電話はできた。声も聞けた。だが、声だけでは分からないものがある。

昨日より動きが遅いこと。
横になっている時間が長いこと。
返事までの間が、少し伸びていること。

そうしたものは、言葉の中には現れない。その場にいなければ、見えない。

私は、診断をしようとしていたわけではなかった。ただ、昨日との違いを確かめていた。その連続が、途切れた。時間として続いていたものが、断片になった。

遮断されたのは、距離ではなかった。観察の連続だった。

後になって、問われることになる。

「なぜ、そのとき確認しなかったのか」

だが、私にとってそれは、確認をしなかった時間ではなかった。確認の形そのものが、成立しなくなっていた時間だった。私は、会わなかったのではない。観察をやめたのでもない。

見えなくなっていた。

それだけだった。

そしてその頃の私は、なぜ見えなくなっていたのかを、まだ知らなかった。





🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』の一章です。

家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を、順番のまま記録しています。


📖 続きを読む


📘 はじめての方へ(全体像)


🕊 プロローグから読む

▶ ホワイトナイトはいなかった
(なぜ生活は「証拠」に変わったのか)


📚 まとめて読む(順番で追う)

生活の流れをそのまま辿りたい方へ
▶ 連載マガジンはこちら


🧭 意味から読む(コラム)

出来事の意味や構造から理解したい方へ
▶ コラム一覧はこちら



いいなと思ったら応援しよう!