生活は、それでも続いていた――制度の外側に残った時間(第Ⅴ部・第31章)
第Ⅴ部
裁判のあとに残ったもの
――制度が終わったあとも、現実は続いていた――
法廷では、時間は日付で区切られる。
訴状が提出された日。契約書が作成された日。遺言が書かれた日。判決が言い渡された日。
制度は、その日付を基準に出来事を整理していく。
けれど、生活は違う。
畑では、時間は芽で区切られる。
土を耕した日。苗を植えた日。雨を待った日。収穫した日。そして、次の春へ向けて枝を整えた日。
生活は、季節を繰り返しながら続いていく。
判決の日付が刻まれても、土の中では次の季節が静かに進んでいる。
裁判は、一つの区切りにはなった。けれど、生活まで終わったわけではなかった。
私は、この部で、判決のあとに残ったものを書いていく。
制度の中では語り切れなかったこと。記録の外に残った生活。そして、それでも続いていく時間について。
私は、芽のほうの時間へ戻る。
第31章 25分の反対尋問で、こぼれ落ちる生活
――記録に残るのは、問いとして提示された部分だけだった――
私は反対尋問の準備に関わっていた。
実際に尋問を行ったのは代理人弁護士であり、私は当事者として、何を問い、何を法廷へ残すべきかを整理する立場にあった。
その日のために、多くの問いを準備した。
相手方を追及するためではない。
相手方が海外赴任していた約八年間、父とともにA4の農地を耕し続けていた私の生活は、どのような時間の積み重ねだったのか。
父が、私の自宅と隣接する農地を切り離さず、一つの生活の場として整備していった経緯には、どのような意味があったのか。
住宅ローンの連帯保証、農業台帳、固定資産税の負担は、長年続いてきた生活をどのように支えていたのか。
私が納めていた固定資産税は、年に34,177円だった。
だが、あの春、父がメモ帳をめくった先には、私の名前が書かれていた。その下に並んでいたのは、二つの土地だった。
A3、宅地、29,452円。
A4、田、3,370円。
合計、32,822円。
差額の1,355円は、私が父と一緒に耕していた他の三枚の田畑の税額と一致する。
その三枚は、メモには書かれていなかった。承継する者を、まだ決めていないと父は話していた。
父は、私が払った額を書いていたのではなかった。私に対応する土地を、書いていた。
さらに私は、父と毎年続けてきた稲作や野菜づくり、少しずつ増やしていったブルーベリー、父が亡くなる直前に「植えておいてくれ」と託したジャガイモの作付け、A4を東西に分ける線が引かれた家族会議の図面、そして相手方が海外赴任中に私へ送った、
「(筆者)が家をやってくれると言う事ですので、私達は出て行きます。親の事、お願いします。」
と記された電子メールまで、一つの流れとして法廷で確かめたいと考えていた。
それぞれは裁判では別々の証拠として提出された。けれど私にとっては、どれも切り離せない一つの生活だった。
私は、その生活を法廷で確かめるための問いを、一つひとつ整理した。問いをテーマごとに並べ替え、順序を考え、想定される応答も検討した。
しかし、本番で扱われたのは、その一部だった。
反対尋問の時間は25分。極端に短いわけではない。だが、十年以上積み重ねてきた生活を法廷で確かめるには、あまりにも短かった。
実際に法廷で確かめられたのは、相手方が海外赴任していたこと、農業には通年の管理が必要であること。
そして、相手方から送られた電子メールや家族会議の図面など、生活の骨格となる事実だった。
それらは記録として残った。
だが、その骨格を支えていた生活までは残らなかった。
父と毎年続けていた稲作。
一緒に植えてきた季節ごとの野菜。
少しずつ苗木を増やしていったブルーベリー。
父と相談しながら整備した住宅と農地。春になれば畑へ向かうことが、ごく当たり前だった日々。
そうした時間は、問いとして立てられなければ、法廷では記録の外側へ置かれていく。
私は、そのとき初めて理解した。
裁判で記録として残るのは、人生そのものではない。
問いとして提示され、応答として確定された部分だけである。
それ以外は、否定されたわけではない。
証拠が足りなかったわけでも、存在しなかったわけでもない。
ただ、限られた時間の中で、問いとして法廷へ差し出すことができなかっただけだった。
私は代理人弁護士と何度も打ち合わせを重ねた。それでも、私が見てきた生活のすべてを共有することはできない。
本番では想定していなかった応答もあり、時間にも限りがある。
生活の中では自然につながっている出来事も、その場で法廷の言葉へ翻訳できるとは限らなかった。
準備とは、問いを増やすことではなかった。
限られた時間の中で、生活の骨格を残すことだった。
多くの問いは使われなかった。
けれど、使われなかった問いにも、確かに生活は存在していた。
その生活が消えたわけではない。
法廷では、すべてを語ることができなかっただけだった。
だから私は、その続きを、この記録に残すことにした。
🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』の一章です。
家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を、順番のまま記録しています。
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