【章間コラム5】 使い方が変わるとき
――同じ薬が、別の意味を持ち始めた(頓服薬と理由の変化)――
薬は、変わらなかった。同じ名前で、同じ場所に置かれ、同じように手に取られていた。だが、その「使われ方」は、少しずつ変わっていた。
その変化に、はっきりとした境界はなかった。ある日突然、何かが起きたわけではない。ただ、少しずつ、理由がずれていった。
医療の中では、このような状態は、ケミカルコーピングと呼ばれることがある。私はそのとき、それを言葉として捉えることができなかった。ただ、このまま続けば、何かが変わるのではないか、という感覚だけが残っていた。
注意を促したあとも、回数は減らなかった。そのとき語られた言葉は、一定の形を持っていた。
「時間になったから」
「医師がいいと言ったから」
それは、行動を支える理由であると同時に、その行動を見直さないまま続ける言葉にもなっていた。
増やしても、減らなかった
母の薬には、二種類あった。
一つは、定期の薬。決まった時間に飲むもので、長く効くように作られていて、一日を通して体の中に一定の量が保たれる。もう一つが、頓服の薬だった。定期の薬では抑えきれない波が来たときに、その場で足すためのものである。処方箋には「咳のひどい時に」と、使う目安が書かれていた。
だから理屈の上では、定期の薬を増やせば、頓服の回数は減るはずだった。土台が上がれば、はみ出す部分は小さくなる。
母の定期の薬は、段階的に増えていった。
だが、頓服の回数は減らなかった。
増やしても、また同じだけ使う。しばらくして、また増やす。それでも回数は変わらない。この繰り返しを、私は薬を渡しながら見ていた。
薬剤師として、この経過には見覚えがあった。効きが足りないと考えて増やす。すると一時は落ち着いたように見える。だがしばらくすると、また同じ回数だけ頓服が必要になる。追いかけているのに、距離が縮まらない。
もし症状だけの問題なら、どこかで釣り合うはずだった。釣り合わないということは、症状以外の何かが、そこに関わっている。
飲む理由が、時間帯で違っていた
もう一つ、私には引っかかっていることがあった。
母が頓服を飲む理由は、時間帯によって違っていた。
昼間は、動いたあとだった。花壇の世話をすると、息が苦しくなる。だから、動く前に飲んでおく。それは、症状に向けられた使い方だった。
そして夜は、決まっていた。眠れないから、寝る前に飲む。
「これを飲むとよく眠れる」
母はそう言っていた。
定期の薬も、夜に飲む。長く効くように作られた薬だから、その後の数時間は、体の中で最も濃度が高くなる時間帯にあたる。薬が最もよく効いているはずの時間である。
頓服は、その薬で抑えきれない波が来たときのためのものだ。ところが母は、まさにその、最も効いているはずの時間に、繰り返し薬を求めていた。
薬が足りないという説明だけでは、この使い方は説明できなかった。
昼は、来るとわかっている症状に備えて。夜は、眠るために。同じ薬が、違う場所に向けられていた。
量は、増え続けた
そしてもう一つ、気になっていたことがある。
この時期、母の薬の量は増え続けた。頓服の回数が増えると、定期の薬が増やされる。効き方を確かめ、また増やす。その繰り返しだった。
薬剤師にとって、これは注意して見る場面である。量が変わっている間は、体の状態も一緒に変わる。眠気が強く出るのか、逆に落ち着くのか。それが薬のせいなのか、病気の進行なのか、その時点では切り分けられない。
だから普通は、落ち着いてから評価する。
だが母の場合、その状態が落ち着いていた時期がどれだけあったのか、私には分からない。私が見ていた範囲では、増えることはあっても、減ることはなかった。
それは、コントロールの問題だった
使う理由が変わる。使い方が維持される。その状態が続いていく。そして、使用の仕方を自分で調整することや、必要性を見直すことが、難しくなっていく。
それは、単に理由の問題ではなく、コントロールの問題だった。
医療の中では、こうした状態に精神的依存という言葉が使われることがある。だがそれは、ある一点を超えたかどうかの話ではない。先に書いたとおり、これらは連続している。
ここで確かに言えるのは、使い方を、自分で変えることが難しい状態が続いていた、という、生活の中の事実である。
やがて、もう一つの変化が重なった。母は、いつ飲んだかを、覚えていないことがあった。
私は病院でもらった薬を実家へ届けていた。そのたびに、前回の残薬を数えた。飲み忘れはないか、頓服はどのくらい使われているか。薬剤師としての習慣である。
数が合わないことがあった。次の受診日まで、頓服が足りなくなることもあった。
いつ飲んだのかと尋ねると、母は思い出そうとした。だが、はっきりしなかった。その言い方自体が、確かめられていないことを示していた。
飲んだばかりなのに、また飲もうとすることもあった。私はそれを止めた。さっき飲んだところだよ、と言うと、母は手を止めた。
それは、記憶の問題であると同時に、自分の状態を自分で確かめられなくなっていく過程でもあった。
思い出せなくなっていたのは、飲んだ時刻だけではなかったのかもしれない。この一週間どうでしたか、と尋ねられて答えるためには、その一週間を思い出す必要がある。
ここで、一つのことに気づく。
問診は、症状について尋ねる。だがその時刻は、薬を飲んだ時刻とは無関係に決まる。
薬が効いている時間に尋ねられれば、いま困っていることは、たしかにない。そして、いつ飲んだかが曖昧であれば、それが薬のおかげなのかどうかも、本人には分からない。
困っていない、と答えた声は、そのとき嘘ではなかった。
記録されなかった変化
そして、その変化は、記録されていなかった。
同じ行為でも、その理由が変わったとき、それは別の意味を持ち始める。さらに、その行為を自分で調整できなくなったとき、その意味は、もう一段階変わる。だがその違いは、記録されなければ、残らない。
記録に残らないことは、例外ではない。研究では、専門医がケミカルコーピングを疑った患者のうち、診療録にその言葉が記されていた例は、ごくわずかだったと報告されている。
記録にないことは、なかったことを意味しない。だが記録がなければ、あったことを示すのは難しい。
生活の中で起きていたことは、確かに存在していた。だがそれは、そのままでは、一つの状態としては残らなかった。
このような変化は、いくつもの条件が重なり合う中で生じていた。それがどのように評価されるかは、法廷の役割である。
ここでは、その前にあった「条件」を、意味が与えられる前の形で残しておきたい。
薬剤師として、私が気にかけずにはいられなかった条件は、いくつもあった。
使う理由が、症状から離れていったこと。処方箋に書かれた目安から、使い方が外れていったこと。最も効いているはずの時間に、なお薬を求めたこと。増やしても、必要とする量が減らなかったこと。注意を促しても、使い方が変わらなかったこと。いつ飲んだかを、覚えていないことがあったこと。
ケミカルコーピングと呼ばれる状態がある。症状を抑えるための薬が、つらさそのものへの対処として使われていく状態を指す。そして医療の中では、それが依存へと連続していくことも知られている。
私は医師ではない。母がそうだったと診断することはできない。ただ、その疑いを持たずにはいられない条件が、一つずつ、そこにそろっていた。
薬の使われ方は、症状の話にとどまらない。医療用麻薬は、脳の働きに作用する薬である。それが長く続けば、物事の受け止め方や、判断の落ち着きにまで、影響が及びうる。それは後に、母がどこまで自分で決めていたのか、という問いにつながっていく。
この変化が、なぜ証拠にならなかったのか。それは、記録されなかったからである。
生活の中では、確かに起きていた。だがその時点では、残しておくべき変化として気づかれないまま過ぎていった。
🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』
の章間コラムです。
家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を記録しています。
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