たのめの里に坐す古き神 霧訪山の麓に眠る神を訪ねて~塩尻・小野神社編【紀行文】
春になった。諏訪信仰の古層の神々を訪ねる旅へ。今回は、諏訪から有鹿峠を越えようと思う。出発地は、諏訪市豊田にある千鹿頭神社。
この峠には古い伝承がある。その昔、諏訪の神々がこの峠を越えてやってきた――
峠の向こうには辰野の町がある。
今は車で30分ほどの道のりだが、かつては山中の細い道を越えていく難路だったはずだ。神々がそこを越えてきたという話は、この山中に潜んでいた多くの鹿たちと重なり、今の諏訪の神事に繋がっているのだと思う。
辰野町の矢彦神社、塩尻市の小野神社、ここには諏訪の古層の神々の痕跡があるという。二つに別たれた、この古社を巡った。

この地には、かつて神々が有鹿峠を越えてやってきたという伝承がある
有鹿峠を越えて辰野町へ
千鹿頭神社から、県道50号線をとおり、高速道路の下を潜って、急峻な有鹿峠を登っていく。古い神々がやって来た道を辿る心持でゆっくりと車を走らす。有鹿峠を過ぎ、山間のなだらかな道を辰野町へ向かう。
四月のある日、色鮮やかな花咲く街道は目も楽しませてくれた。
辰野町へ出てから、再び北へ塩尻方面に向かう。諏訪からいくとVの字のようなルートだ。
目指す小野神社と矢彦神社は、辰野町と塩尻市の境にある。地図で見ると不思議な土地で、塩尻市の中に辰野町の飛び地がある。
現代の行政境界でも維持されたこの境は、400年前の豊臣時代にあった領地争いによるものだ。
小野川沿いの道を走っていると、桜が咲いていた。河原の桜は明るく、春の長閑な景色が続いていた。

「頼母(たのも)の里」へ入る。「憑(たのめ)の里」とも呼ばれる。
清少納言の枕草子「里は」の段にもその名が見え、和歌にも「信濃なる伊那の郡のおもふにも たれか憑の里といふらん」と詠まれている、古くから都にも知られた聖地だ。
里に入った瞬間に、空気が変わったのを感じた。
明示的に何かが変わったとは言えないが、先ほど来の川筋に見える桜と河原の風景に変化はないのに、ふっと空気が変わった。古くから聖地と呼ばれてきた土地ゆえの、何かがあるのだろう。
諏訪の神をまつる小野神社(塩尻市)
小野神社・矢彦神社が見えてきた。
ほぼ正方形の境内が中央で別れ、北が小野神社、南が矢彦神社である。
まずは、小野神社の駐車場に車を止め、脇の参道から入る。

直ぐに池が見えた

しかし、今はあまり手入れされていないようだ

入ってすぐに三つの池がある。
大正期に整備されたものだというが、おそらくもとは湧水の沼地だったのだろう。少し荒れてはいるが、それがかえって神秘的な落ち着きを作っていた。

社叢は針葉樹と広葉樹の混交林で、150種を超える樹木が茂り、長野県の天然記念物に指定されている。
小野神社・矢彦神社は、霧訪山(きりとうやま)の麓の扇状地の末端に位置しており、湧水が豊富なこのあたりには、縄文時代の遺跡が多く発掘されているようだ。
水と山の恵み。縄文人が好んだ立地条件だ。古くから人々が住み、この地の恵みをもたらす神々に祈りを捧げてきたのだと思う。

拝殿の裏手、囲いの中にいくつかの本殿など四社が並んでいる。
江戸時代の建造物だが、それよりも古い時間が溜まっているような感じがした。何の神をまつっているのだろう。主祭神はタケミナカタだが、果たしてそれだけなのか。



小野神社を取り囲む塀の裏手に何か気配を感じて歩いていく。
石があった。
その後ろに木が立っている。石神の祀り方だと思った。




霧訪山のふもとのミシャグジ
小野神社の境内全体を歩いて、石神の痕跡はここだけだった。それが少し不思議だった。
霧訪山の麓に位置し、縄文の遺跡が多く出土するこの地であれば、もっと多くの石神的な痕跡があってもおかしくない。何かが、丁寧に消されてきたのかもしれない。





小野神社の祭神は、建御名方命(タケミナカタ)とされている。
伝承では、タケミナカタが諏訪に入ろうとしたところ、諏訪には土着の洩矢神がいて入れなかったため、しばらくこの小野の地に留まったという。
洩矢神が祀っていたのはミシャグジ――縄文時代から続くという説もある、石の神だ。そして各地にその石神の痕跡が「サグジ・シャグジ」というような形で残っている。
ミシャグジは、タケミナカタが諏訪に入るより前、すでにこの地にあった神、精霊のようなものだ。
本殿にタケミナカタが祀られているとされる一方で、それ以前の土着神がここに祭られているのではないか。本殿と副本殿が並び立つ姿を見てふとそう思った。
それがミシャグジか今ははっきりしない。
しかし境内裏の石と木、そして後述する「おぼこさま」と水神それらを含め、小野神社全体に漂う気配の中には、ミシャグジがいるような気がした。


水神を祀るという
神社随一のパワースポット おぼこさま
新潟県の弥彦神社でも、謂れのよく知られない古い神が祀られているという話がある。名のある神々の下に、名もなき土着の神が沈んでいる。日本各地の古い神社には、こうした重層の構造があると最近思っている。

小野神社の境内に「御鉾様(おぼこさま)」と呼ばれる石がある。
霧訪山から小野神社・矢彦神社の境界をまっすぐたどった先にある。神社が二つに分かれる前、ここが小野のお社のもっとも重要な場所だったのだろう。

中の様子は見られないが、私は「石」が祭られているのだと思う

伝承では、このくぼみの上に石棒が建っていたという



小野神社の資料館の受付の方から、
「あのおぼこさまは、パワースポットですから、ぜひお参りしてください」
と紹介を受けた。もちろん、今回の目的は、このおぼこさま。
調べてきたが、その謂われは謎めいている。石の周囲はふさがれており、直接調べることはできない。
立札には「伝・古代祭祀遺跡」とある。かつてここに石棒が立っていたという話があり、その石棒と思われるものが宝物館に古くからの伝来品として収められている。
霧訪山周辺、小野の地からは縄文期の遺跡が見つかっており、土器や石棒が見つかっている。石棒が各地の遺跡で多く見つかっており、用途は特定されていないものの、何かしらの祭祀に使用されたとみられている。
建てられた石棒に宿る神々の力を頼んだものだと思う。石棒は社殿を伴わない、神の依り代だったのだ。このおぼこさま、こそがこの一帯の信仰対象だったのではないかと考えた。

中央に孔が穿たれている


右の土器は縄文中期(荒神畑遺跡)


御鉾様には、かつて石棒が屹立していたのではなかろうか。それはいつしか忘れ去られ、土台とだけが残った。
その代わりに、ここに建てられたのは、鉄鐸(さなぎ)だったのかもしれない。
小野神社に伝わる鉄鐸(さなぎ)
小野神社の鉄鐸(さなぎ)は、古くから祭事に使われたとの言い伝えがあるがどのように祭事に使われたかは不明である。
12個の鉄鐸が結び付けられ、さらに麻幣がふさふさと結び付けてあり、7年目ごとに行われる御柱祭に一かけずつの麻幣を結ぶ習わしである。
古い麻緒はぼろぼろに崩れるほどになっており、数百年の間このサナギは神聖な音を鳴らし続けてきたのだ。


開館日にはぜひ訪れたい


小野神社の資料館には、豊富な神宝が展示されているのでお勧め!
御鉾様の石棒も、この鉄鐸も、祭神のタケミナカタよりも、もっと古い層からの神々の気配を感じる。
この辺りは、小野という地名だが、その名が古くからあるなら、それは山裾の野原というような意味があり、まさにこの地形に合致する。
またオノをオン・ノのように分解するのであれば、隠れた、奥まった雰囲気の場所となる。
そしてなにより、ここが今も伝わる「憑(たのめ)の里」という名を冠する地であることが、聖なる地として長く人々に認識されてきた場所であることの証左だ。憑は、憑依や取憑くのように使われる。
この地では、霧訪山、水神、雷このあたりの霊威の気配をミシャグジと捉えて、その力を石に「憑ける」祭祀が古くからおこなわれていたのではないかと思う。
その気配が濃厚に残るこの地であるからこそ、諏訪大社に次ぐ第二の宮として、長らく信仰されてきた、そして今もその濃厚な縄文的雰囲気を残す神域として存在している稀有な場所なのだと感じた。




矢彦神社についての記事はこちら。
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