時の輪が巡る場所、そして立山が育んだ摩崖仏の日石寺と富山県埋文へ【紀行文】
古代は時間の輪が巡り閉じる
北陸の縄文史跡や翡翠を巡る旅。新潟の翡翠関連史跡から親不知・子不知の難所を超えて、富山県へ越境した私が最初に足を向けたのは、朝日町のヒスイ海岸であった。前回の記事はこちら。

南に見える立山は、まだ雪を抱き、その峻険な姿を見せていた。
万葉集の古歌に詠われる神々しさを感じる。
立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし 大伴家持
ーー立山に降った雪が真夏でも見られるのは、飽きることがない、それは神が住んでいるからであろうーー
3000m級の北アルプスから一気に落ち込む地形にある富山湾は、深い藍色を湛え、多くの海産物に恵まれていることなどから「世界でも最も美しい湾クラブ」への加盟が認められている。
波打ち際には家族連れが散在し、熱心に翡翠を求めて砂を掻き分けていた。この朝日町には浜山玉つくり遺跡があり、太古の昔から翡翠が宝石として産出され、人々の手で研磨されていたことを物語っている。

浜山玉つくり遺跡の傍には三崎神社という雰囲気ある社が佇んでいた。何を祀るかは不明だが、恐らくはこの地に充満する翡翠の神秘的な力が集束する結界のような場所だったのではないか、などと想像する。
そして「ミサキ」という響きから、出雲の国風土記にある国引き神話の一説を思い出す。
出雲の国の創造神ヤツカミズオミツヌノミコトが「くにこ、くにこ」と引き寄せた島の一つは高志(こし)の国からで、そこは三穂の埼(美保関)となったという。
ミサキの名を冠すこの神社から、出雲との深いかかわりや交流を思った。忘却の彼方に取り残されたかのような小さな社に、太古からの歴史と不思議な力を感じ、私は敬虔に両手を合わせ、この杜の雰囲気を味わった。


こうした場所に立つと、あたかも深淵に吸い込まれるような、時の彼方をさまよう感覚に襲われる――今で言えばタイムリープというのだろうか。
現代人である我々は時間を未来に向かって、一直線に流れるものと認識しているが、古の人々にとって時の流れとはそういったものではなかったのだろう。
四季の循環の中に永遠に輪廻する、円環。そのような時間観念こそが当時の常識だったのではないか。そうした時間の環が完結したような時と場所が、太古~古代の日本であったと思う。
摩崖仏で有名な大岩山日石寺へ
立山の山懐に分け入り、磨崖仏で名高い大岩山日石寺へと向かった。
日石寺は真言密宗の総本山であり、修行の道場として長い歴史を培ってきたところである。
おそらく立山を中心とする修験の拠点として創建された場所だろう。磨崖仏とは岩肌に直接不動明王の姿を刻み込んだもので、こちらは重要文化財に指定されている。

日石寺では、幾重にも連なる山々に抱かれた中に、荘厳な寺院建築群が広がっていた。起伏に富んだ地形を巧みに活かし、門前町や幾棟もの宿坊が立ち並んでいる。
この寺の名物はそうめんだという。折しも昼時。私もこのそうめんを口にする機会を得た。乾麺と生麺の両方が供されていたが、名物とされる生麺の手打ちそうめんは、かつて味わったことのないもちもち触感で、とても美味しかった。

歴史のある宿坊や食事処を後にし、本堂への参拝に向かう。
境内には本堂や巨岩をくりぬいて作られたお堂、滝行の場が設けられ、また至る所に湧水が湧き出ていた。
水の存在が境内全域に息づいている。


富山県に足を踏み入れてから道中「〇〇の霊水」という標識を幾度となく目にした。豊穣な山々の雪解け水が地下を通り、この地に湧出するのであろう。水の恵みに満ちた土地である。
これらの霊水は地元の人々が大切に汲み続けているのだろう。それゆえ富山の酒もまた格別だ。
私も日石寺内に湧く霊水を一口含んだ。予想外の甘さが舌先に広がった。
磨崖仏は圧倒的な威容を誇っていた。現在では磨崖仏を拝観する形で本堂が配置されているが、当初からこのような設計意図があったのだろうか。
この巨大な不動明王像を岩肌に刻み込む労力は計り知れず、一人の力では到底成し得ない業であったに違いない。おそらく複数の修行僧が協働して完成させたものと考えられる。
なぜ木造の仏像ではなく岩に刻むという手法を選んだのか、個人の修行から集団の行へと展開する中で、共同体の精神性を重視したーーそうした地域性の表れかもしれない。

最先端の研究成果も 富山県立埋蔵文化財センターへ
日石寺を後にして、富山県立埋蔵文化財センターへと足を向けた。この施設には富山県内の主要な遺跡の情報が集約されている。決して広いとは言えない建物ながら、簡潔明瞭に考古学的データが整然と配置されていた。
単なる解説というよりも、学術的研究成果を分かりやすく説明する姿勢が貫かれており、一般的な文化財センターよりも専門性の高い展示内容だった。

ここでは出土した人骨の研究がとても興味を引いた。例えばDNA分析など、最先端の研究手法を駆使した成果が提示されていた。
この地域から出土した骨には、例えば骨折痕が修復され、その後の生活痕が確認できるものがある。これは当時既に骨折を治療する医療技術が存在していたことを示唆している。また頭蓋骨や歯の保存状態も良好で、抜歯の風習なども詳細に判読できるという。

このセンターの白眉は、出土した人骨からDNA分析を実施し、縄文人の生物学的特性を解明している点にある。一例を挙げれば、縄文人のアルコール耐性についても判明しているらしい。どうやら彼らは酒には強かったらしいのだ。一般に本州の現代人には、10~12%程度縄文人の血が流れているというが、酒に弱く数杯で顔を赤らめる私には、この血が薄いのだろうか(笑)
また、この時代には既に家族の一員として遇されていたと思われる犬の骨も発掘されており、その復元模型も展示されていた。

一方で富山県域から出土する縄文土器の文様には、私が中部高地や北陸系の土器に対して抱いたような強烈な吸引力や情熱的表現は稀薄であった。
装飾性よりも機能性を重んじたのか、あるいは別の美意識があったのだろうか。
ここでは、力強い渦巻模様や四方を意識した幾何学的な特徴があると思った。



歴史文化に興味があればぜひ立ち寄ってみていただきたい
富山県の史跡を巡る旅、もう少し続きます。
次回は、古代の街道を見つめる王族の墓について考察します。
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