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縄文の狩猟神をまつる千鹿頭神社~諏訪湖南岸のミシャグジを巡る【紀行文】

 幾分緩んだ夏の日差しが降り注ぐ中、諏訪湖の湖面は鏡のように静かに光を返していた。
 観光客で賑わう湖畔を背に、私はSUWAガラスの里でレンタルしたクロスバイクのペダルを漕ぎ出す。
 今日の目的地は、湖の南側、豊田地区の山間にひっそり息づく古い神々の世界だ。湖畔の平坦な道から上り坂に差し掛かる。
 太ももに力を込めて十分ほど坂を上がると、まちの喧騒はたちまち遠ざかり、静謐な空気に包まれた。

有賀峠に向かう山間にある千鹿頭神社へ

 訪れたのは諏訪大社上社の摂社である千鹿頭(チカト(ウ))神社。諏訪湖南岸の豊田地区の山間にある。この地に息づく古い信仰の痕跡を辿った。 

郷社 千鹿頭神社 諏訪大社上社の摂社
 北有鹿公民館のあたりの丘陵地を登ったところにある

 千鹿頭神社は諏訪大社上社の摂社で、御頭祭に供される鹿を用意する神社として知られている。
 祭神は内県命あるいは千鹿頭神であり、タケミナカタの御子、狩猟の神とも伝えられている。

すぐ上を国道が通り、その向こうは有賀峠(あるがとうげ)を越えて伊那方面へと続いている。

 この辺りは住宅地になっており、千鹿頭神社のすぐ上には国道が通っている。その国道の向こうは、どうやら伊那方面へと入っていくようだ。
 千鹿頭神社の上の国道には有賀峠という箇所があり、ここは「有賀(あるが)」と書くが、その「か」は鹿の意である。

 ふと思い出す。
 「鹿=しか」は「か」の「し」であり、「し」は肉という意味。ちなみに「い」は猪を指す。つまり「しか」は鹿の肉、「いのしし」は、猪の肉という意味になる。
 古来より食されてきた馴染み深い動物であることから、このような一文字で表されるものであったのであろう。

濱南宮と大書された扁額 諏訪湖の南の宮という意味であろう

 この千鹿頭神社に祭られるこの千鹿頭神というのは、建御名方命の御子神にあたるという神々の家系図が存在するらしいが、建御名方命がこの地に来る前の洩矢一族の神でもあるとされ、その由来は詳しくはわからない。
 そして全国にこの千鹿頭という名前の神社は点在している。主に関東圏に「チカト(ウ)」という名が広がっており、狩猟神として信仰されているとのこと。

 松本市にも、千鹿頭神社があり、こちらの方が有名ではあるらしいのだが、本家はこの諏訪地区の神社であり、千鹿頭信仰の大元がここではないかと思っている。
 このこの千鹿頭神というのは狩猟の神であり、鹿をよく捉えることができる神。上社の神事で供えられる鹿はここで調達されたのではないか。この北側の有賀峠一帯は鹿や猪の狩場であった。

 境内に参拝者の姿はなく、どこか静寂に包まれている。社殿の造りは簡素で、手入れも万全とは言えないが、長い年月を経て受け継がれてきた重層感ある雰囲気は感じられた。
 諏訪大社の上社の神事に関わる神社でありながら、この場所にはどこか土着の、野性的な神の気配が感じられた。

 諏訪大社の神紋と同じ梶の葉が刻まれており、諏訪信仰との深い関連が窺われる。

地域に残る御社宮司社(ミシャグジ社)

 静かな境内をゆっくりと歩いていると、拝殿左手にある小さな祠がだけが、清らかに保たれている様子が目を引いた。
 近づいてみると、石柱に「御社宮司社」と書いてあった。お神酒もきちんと供えられており、最近誰かが参拝し、掃除をした様子がある。

御社宮司社は、ミシャグジ社と読むのだろう

 この御社宮司社は、千鹿頭神社の本社よりもむしろ篤い信仰を集めているように見えた。
 この社の後ろには、巨木が立っていた。

 石の上に社が据えられ、背後に巨木が立つ。これは、諏訪の土着信仰であるミシャグジ信仰の形そのものではないか。

石の上に社が据えられ、そして背後には巨木が立つミシャグジ信仰に見られる形だ

十三社の考察とミシャグジ社巡り

 千鹿頭神社の境内には、いくつかの社が点在していた。右手の比較的開けた場所には十三社という新しい祠があった。これは地域の十三の神々を合祀したものと伝えられているが、その由来については諸説があり、確たることは分からない。

地元神十三神をまつる

 この十三社というのは、諏訪に伝わる伝承によれば、タケミナカタがこの地に来る前から住んでいた十三の地元神を祀るものであるとされている。

建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけ)、伊豆早雄命(いずはやお)、妻科比売命(つましなひめ)、池生神(いけのお)、須波若彦神(すわわかひこ)、片倉辺命(かたくらべ)、蓼科神(たてしな)、八杵命(やきね)、内県神(うちあがた)、外県神(そとあがた)、大県神(おおあがた)、意岐萩命(おきはぎ)、妻岐萩命(つまぎはぎ) 

Wikipedia 諏訪大社の項より

 この十三神の名前については諸説あるようだが、この十三という数字に奇妙な符号を覚える。十三神に上・中・下の3を掛けると三十九神となるが、『三十九神』は『ミサク・ジ』という音とも響きが近い。
 三十九神(ミサクジン=ミシャグジ)とも解せるのではないだろうか。そんな連想を抱いた。

境内にある水神の碑の周りにも、御柱が建てられていた。
どうやらこの神社の近くを昔は川が流れていたようだ。

 地図を見ると、この千鹿頭神社と近くの山腹には、他にもいくつかの御社宮司という名の社が点在している。
 私は千鹿頭神社を辞し、その前の道を、自転車で上社方面に向かって走りだした。そして地図を見ながら、それらを順に見て回った。
 それらは本来、祭りの際に一時的に建てられる仮設の社であったものが、そのまま地域に残ったような簡素な造りをしていた。

公園の片隅にひっそりとたたずむ
ミシャグジ社ではないが、こうした祠が点在している
既に失われ石碑のみ残るところもあった
石碑も多い

特別な聖性を感じた蓼宮神社

 しばらく上社方面に向かって走っていくと「蓼宮神社」があった。
 一見して、今日見てきた神社や祠と比べて立派なつくりであり、蓼宮大明神の旗がはためていてた。

蓼宮神社
郷社 蓼宮とある 斜面地を使い高低差がある神社だ
力強い貌の狛犬
拝殿
下の社務所から続く回廊もこの急角度

 この近くに妙見信仰の北斗神社があることから、この蓼宮神社にも北辰信仰の影響があったのかもしれないと思った。
 ただ、祭神は草奈井比賣命(くさないひめのみこと)で、こちらも千鹿頭神と同じく建御名方命の御子神とされる。

 急な石段は、少し怖さを覚えるほどであったが、登り切ったところにある拝殿は、清浄にされ、何かの儀式を待っているかのようだった。拝殿の左手は他の場所とは異なる厳かな空気が漂っている。
 何か目に見えない力が満ちているような、聖なる場所特有の雰囲気を、千鹿頭神社よりも、むしろこちら蓼宮に感じた。

拝殿右手の場所
境内には御柱もあった

巨木と磐座信仰の痕跡

 この蓼宮神社で興味深かったのは、拝殿のさらに奥に切り倒された巨木があり、その上に社の屋根がかかっていたことである。
 これは木そのものを御神体として祀っていたことを物語っているのではないだろうか。

切り株の上に屋根がかけられている
これが本殿か

 また、この一帯に巨石が祀られていたとすれば、蓼宮神社が磐座信仰の名残を留めている可能性もある。石こそがこの地域の信仰の根本であるならば、現在の社殿の形態は、古い磐座信仰を発展させたものかもしれない。

蓼宮神社付近から諏訪盆地を見下ろす 遠くの霧ヶ峰あたりまでが良く見渡せる

 蓼宮神社から景色を眺めると、霧ヶ峰をはじめとする山々の裾野が美しく広がり、諏訪盆地全体が一望できる。
 この眺望からも、ここが単なる諏訪大社の摂社、
末社ではなく、何か特別な意味を持つ場所であったことが感じられる。

諏訪市豊田地区の市街地へ

 レンタル自転車の時間もあり、次の目的地を目指して、蓼宮神社から一気に自転車で坂を下って市街地へ向かった。
 豊田地区にある八剣神社を目指した。
 平坦な道を走りながら、ここがかつて湖底であったであろうことを想像する。現在の諏訪湖は往古に比べて大幅に縮小している。かつての諏訪湖は水位が高く、上社と下社のそばまで水があったのだ。
 実際、諏訪大社上社本宮には、波除鳥居がある。

 市街地を走ると、田んぼの中にぽつんと立つ神社をいくつか目にした。
 これらも御社宮司社であったり、諏訪の地域には身近に神社があり、地域の人々によって大切に守られている様子が窺える。

平坦な田んぼの中にポツンと社がある
近づくと御社宮司社だった

諏訪湖の御渡りを観測する八剣神社

 八剣(やつるぎ)神社に着いた。(この先、剣、剱、劔などはすべて「剣」に統一する)

豊田地区にある八剣神社

 諏訪市街地中心部小和田にある八剣神社の元宮が、ここ豊田の八剣神社であるようだ。全体的に新しく感じられたが、そもそも「やつるぎ」という名や境内にある三峯社の存在など、諏訪の中にあっては異質に感じた。
 この謎は、翌日訪れた小和田にある八剣神社で解明された。

酒造メーカーの蔵が並ぶ通りから少し裏側に入ったところにある

 八剣神社の宮司の宮坂清氏が社務所にいらっしゃったので、少しお話を伺うことができた。同氏はこの地域の伝承に極めて詳しい方で、八剣神社について教えてくださった。

八剣神社の御由緒には、八千矛神のほか、日本武尊、誉田別尊を合わせ祀ると書いてある

 八剣の「八」は「多い」という意味であり、主祭神は八千矛神であるという。代々宮坂氏の家系が宮司を務めていらっしゃるようだが、名古屋の方の出身とのこと。
 実際調べてみると、名古屋近辺に八剣神社が多くある。
 この神社の起源は西方にあるようだが、諏訪における重要な役割として、諏訪湖の御渡りについての記録を代々続けられている。
 この記録は1443(嘉吉3)年から連綿と続けられ、世界で最も長く記録されている気象記録のようだ。 

 諏訪湖の水位が低くなり、新たに生じた土地が諏訪にある高島城や豊田八剣神社のあるあたりだ。
 諏訪信仰が色濃く残るこの地に、新しくやってきた宮坂氏の先祖が、営んだのが、この尾張地方由来の八剣神社であり、そこに祭られる神々も諏訪信仰とは異なる経歴なのだ。私が抱いた違和感の正体はここで解明された。

 しかし、一方で、諏訪の御渡神事を記録するという重責を任されたという不思議さが、また謎としてむくむくと湧いてきたのである。

重層的に重なる歴史と神々

 諏訪の神々を訪ねるこの小さな旅で、私は古い信仰の多層性と複雑さを垣間見ることができた。
 千鹿頭神社、数々の御社宮司社、そして八剣神社の重要な役割。
 これらはすべて、この地に重なり合う信仰の歴史の断片である。

 諏訪の信仰は、土着の洩矢神と出雲系の建御名方神、さらに後世に流入した様々な信仰が融合して成り立っている。
 今回の巡拝で感じた多様性こそが、諏訪信仰の本質なのかもしれない。
 夕陽が落ち始め、落ち着いた色合いに染まりゆく湖畔の景色を眺めながら、私は自転車のペダルを踏み、SUWAガラスの里へと戻った。

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前回の旅(富士見町の上社御射山探訪)はこちらから。

その他 諏訪湖のレンタルサイクル情報

 SUWAガラスの里で自転車のレンタルができる。2時間2,600円(令和7年8月時点)。山間部をいくのであれば、軽快なクロスバイクがおすすめだ。

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