諏訪の地に残る古層の神を求めて―上社御射山で知った古い信仰の形【紀行文】
近頃、諏訪がブームなのではないか。
『諏訪の神様が気になるの』は、諏訪の神に興味を持った著者が、丹念に古文書や聞き取り調査を行い分かりやすく解説した本で人気だ。
また、諏訪大社の秘儀を再現した『鹿の国』というドキュメンタリー映画は、異例の大ヒットとなっている。
今、諏訪の神が再び脚光を浴びている。
諏訪信仰の不思議の沼にハマって
私はその流れに先んじて、数年前から諏訪信仰の不思議に惹かれ始めた。
毎年2~3回は八ヶ岳山麓周辺を訪れ、地域の資料館や博物館に足を運んできた。
しかし、スポットで資料館や史跡、神社を巡るばかりで、じっくりと諏訪の地を歩いたことがなかった。
諏訪信仰とは、言うまでもなく、この地に残る古層の人々の心性に根ざした信仰である。
私はこの土地を歩くことこそが、諏訪信仰への理解を深める上で欠かせないと思っていた。そうした想いから今回、下諏訪温泉に宿を取り、じっくりと諏訪の地を旅する計画を立てた。
諏訪郡富士見町の御射山へ
諏訪旅行の初めは、私が好きな諏訪郡富士見町の井戸尻考古館に立ち寄った。その記事はこちら。
そこから同町内にある諏訪大社上社の御射山へと足を向けた。
御射山は八ヶ岳の西南麓、諏訪大社上社の東南約13キロにある一帯で、諏訪明神の御狩場であったと伝える地。
この地では中世から御射山祭と呼ばれる鹿狩りの神事が行われてきた。
私の関心は諏訪の古層信仰にあり、中世の祭礼にそれほど造詣があるわけではない。
けれども、その中世の諏訪信仰の中に、より深い古層の神々の姿が浮かび上がってきているはずだと考えていた。それゆえに、一度この聖地を訪れてみたかったのである。


境内地に点在する社と墓
広い道路から一本脇に入った森の中に御射山神社境内が広がっている。
車を降りると、そこには神妙な空気が満ちていて、私は清々しい気持ちになった。
案内図近くには、冨士浅間社があり、独特な形の鳥居が気になった。
祠にある文字を読むと江戸期に建立されたもののようだ。方角的に富士山に向いているため、火山としての富士山を鎮めるためのものだろうか。

そこから少し山を下った谷筋に川が流れていた。そのほとりの平地にいくつもの社が点在しているようだ。
ひときわ静謐な空気が流れ、張り詰めた感じがあった。

★ ★

大四御蘆社(おおよつみほしゃ)には、出雲の国土開拓に関わる四柱の神々(大己貴命、事代主命、建御名方神、下照姫命)が祀られている。
このうち建御名方神(タケミナカタノカミ)は大国主神の子孫で、父は大国主神、母はヌナカワヒメとされる。いうまでもなく諏訪の主神である。



偶然ではないだろう
諏訪氏初代大祝有員(おおほうり ありかず)の墓所も、この境内の一角にひっそりと佇んでいる。
初代、有員の実像・実在は詳らかではないが、その名が残る神氏系図などについては、今後調べてみたいと思う。



巨木と敷石の謎
注目すべきは、これらの社の多くが巨木と敷石という組み合わせで構成されていることだ。
諏訪氏やタケミナカタノカミを祀る祠の後ろには、意図的に配置されたかのような大きな木が立ち、その前には丁寧に敷かれた石があった。
これは諏訪信仰に多い形式である。
一方で子育ての神としても知られる神功皇后を祀る社やヌナカワヒメを祀る子安社には、そうした配置が見られない。異なる信仰体系が混在し、それぞれが区別されて祀られているようだった。


諏訪信仰とは、巨木を目印に神霊を天から降ろし、その麓に置いた石に神の力を宿すという形が大元だったのではないだろうか。
そのような形式の「諏訪」社を数多く見てきた。
西宮社での気づき
境内の奥にある西宮社を訪れた時、そこに供えられた棘付きの栗の実が目に留まった。社の後ろに聳えるのは栗の木で、その樹皮には特徴的な割れ目が刻まれている。



ぼんやりとその模様を眺めていた時、私は電撃のような気づきを得た。この栗の木の樹皮は、縄文土器の模様にそっくりではないか。

縄文時代、人々は既に栗の栽培を始めており、アク抜きをして食料としていた。縄文土器の表面に記された文様は、もしかすると識別標のようなものだったのではないか。あるいは樹皮の模様を写し取ることで、その霊力を器に宿そうとしていたのかもしれない。
神を天から大樹を伝って下ろし、その元に何らかの石(石皿・石棒)を据え、霊力を宿した。あるいは、直接土器を据えたのかも。
そして、その霊力を持つ土器の中で、栗や土地の実を煮ることによってアク抜きをし、食べられるものに変えるという「マジック」。
これが諏訪信仰の根本ではなかったであろうか。私はその気づきにこの御射山の中で至ったのである。
三輪社での発見

大和の三輪一族とのかかわりがあったのであろう
さらに奥にある三輪社でも、同様の巨木と敷石の配置を見ることができた。

帰り際、その近くの大きな木の根元、地面に落ちた木の実を見つけた。
それは土偶の顔に似た形をしていた。
竹倉史人氏の『土偶を読む』でも指摘されているように、土地の実の精霊を土偶に込めたというのは、それが全てではないが、あながち間違っていないのではないかと思っている。
木の実の精霊を土偶に込めた――そんな古い信仰の痕跡が、一部の土偶や土器に見られるのだ。
私はその根元の柔らかな土を少し掘ってみた。どこまでも掘れそうなほど軟らかく、何かが突き刺さっていたような痕跡があった。
恐ろしくなって途中で止めたが、そこには石棒が立てられていたのではないだろうか。

大地に石棒を立て、木から神霊を降ろす。それは雷鳴であり、稲妻であったかもしれない。
石棒を通じて大地に霊力を流し込み、豊穣をもたらす――そんな呪術的な関係が、諏訪信仰の根底にあったのではないか。
聖なる時間と空間
御射山の地は深山というほどではないが、確かに聖なる空間特有の厳かな雰囲気に満ちていた。
音が静まり返り、何かに見守られているような感覚。畏れ多い何かが、確かにここに存在していると感じられた。

そこは居心地の良い空間で、もう少しそこにいたい気持ちもあったが、私はメインの諏訪市周辺探訪のために重い腰を上げた。
なお、これは上社の御射山であり、下社の御射山は霧ヶ峰の麓にあるという。そちらもいつか訪れてみたいと思う。
今回の御射山訪問で、私は諏訪信仰の根底に流れる古い水脈のようなものを感じることができた。
巨木と石、器と実、土と石棒―これらが織りなす呪術的な関係性こそが、この地の信仰の本質なのかもしれない。
現代の私たちは、そうした古層の感覚からはるかに遠ざかってしまった。
けれども、諏訪の地を歩き、その風土に身を委ねる時、かすかにでもその感覚を取り戻すことができるのではないか。
そんな想いを胸に、私は次の目的地へと向かった。

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