神と人をつなぐ京都最古の神社 松尾大社に導かれて【紀行文】
導かれるように松尾大社へ
春分の日の早朝、京都駅に降り立った。新幹線から在来線に乗り換え、奈良県天理市の石上神宮へ向かう予定だった。しかし、奈良での行程には少し余裕があったため、思いつきで京都を散策してみることにした。
ふと思い浮かんだのが、嵐山にある松尾大社だった。松尾大社のことは神社検定の勉強中に知り、また私の合気道の先生が松尾大社と、その摂社である月読神社に参拝されたという話も耳にしていた。いつか訪れたいと、心に留めていた神社だった。
調べてみると、京都駅から地下鉄烏丸線で四条駅へ、そこから京都市電でアクセスできる。所要時間はわずか30分ほど。導かれるように、私は午前10時前に松尾大社に到着していた。

松尾大社の最寄り駅を降りた瞬間、私はまるで海辺に立っているかのような錯覚にとらわれた。神社とは反対側に広がる空気感が、なぜか海を思わせた。
実際には、そこに広がっていたのは桂川だった。そしてその対岸に、松尾山――別名・別雷山(わけいかづちやま)が聳えていた。この山こそが、松尾大社の本来の祭祀対象である。

京都市電の車窓から松尾山を見たとき、何か特別な気配を感じた。そして、松尾大社の二の鳥居をくぐると、鳥居の下に吊るされた杉玉のようなものに目を奪われた。
説明板によれば、これは「脇勧請(わきかんじょう)」というもので、神棚に備える榊の小枝を束ねて吊るしたものだという。私自身、初めて目にする光景だった。
榊の束が完全に枯れると豊作になるという言い伝えがある。吊るされている以上、いずれ枯れるのは当然だが、「必ず当たる占い」のような験担ぎとして信仰されているのだろうと思った。


朝の時間帯にもかかわらず、境内は多くの参拝者で賑わっていた。楼門をくぐると、流麗な松尾造の社殿が広がり、その背後には松尾山の岩肌が姿を現していた。松尾山には古代の祭祀遺跡、いわゆる磐座(いわくら)があるという。



本殿の奥に広がるのが松尾山で、本来はこの山そのものがご神体とされていたようだ。山肌が露出したところから、山全体が巨大な一枚岩のようにも見え、その存在感に圧倒された。
まずは本殿で参拝し、静かに松尾山の霊威を感じる時間を過ごした。
松尾山は古代の磐座信仰の名残をとどめる聖地であり、また謎の多い渡来系氏族・秦氏が建立した神社であると伝わっている。秦氏は日本における酒造りの始祖とも言われ、そのため松尾大社は「酒の神様」としても広く信仰されている。
境内の左手には、美しく積み上げられた酒樽が並んでいた。

境内にある三つの庭園の美しさも見どころ
松尾大社は庭園も見どころの一つ。平安時代、ここは東の賀茂の厳神と並び称される西の松尾の猛霊としての信仰と集め、栄えたようだ。
拝観券を購入し、境内にある三つの庭園を巡った。

曲水の庭は、平安貴族が遊んだ雅な遊びの場を表現したもの

松尾大社は701年に本殿が建立されたが、それ以前は山中の磐座で祭祀が営まれていた。その磐座を模して造られたのがこの庭。中央の巨石二つが、松尾大社の大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしましめのみこと)を表しているという。

蓬莱は神仙思想の伝説の山。回遊式庭園は、鎌倉期に流行し、全体が鶴が羽を伸ばした形をなっており、池に浮かぶ島々が神仙の世界を表している。
本殿裏から松尾山の麓へ 松尾山の不思議な力を感じる
本殿の裏手からは、本来であれば松尾山への登山道が続いていた。かつては、ここで身の穢れを祓い、山中にある磐座への参拝が許されていたという。
しかし現在は、数年前の台風の影響で登山道が閉鎖されており、松尾大社の公式ホームページにも「復旧の見込みなし」と記載されている。入口には立ち入り禁止の札が掲げられていた。(令和7年3月時点)


松尾山からの水は、不思議な力が宿る水として崇められているようだ。
霊亀の滝と呼ばれている水量は多くないが、枯れることのない小さな滝は、滝御前という神がいる場所とされていた。



本殿の背後にそびえる松尾山――別雷山(わけいかづちやま)。この「雷」の字に、私は何か意味深いものを感じずにはいられなかった。

京都には「別雷命(わけいかづちのみこと)」を祀る上賀茂神社(賀茂別雷神社)もある。「雷」は古来より稲妻と関連づけられ、雷光が稲の生育を促すと信じられてきた。
“わけいかづち”を素直に読むと、「雷によって分けられた山」と解釈できるのではないか。松尾山にあるという磐座は、もしかすると雷によって二つに裂かれたような形をしているのかもしれない。
そして、雷光によって刻まれたこの山に、「稲を育む力」が宿るとされ、そこから山そのものへの信仰が生まれたのではないか――そんな想像がふと浮かんだ。
酒の神様としての信仰
酒の神としての信仰もまた、この山や松尾大社が宿す大きな力の一端なのだろう。松尾大社に祀られる大山咋神(おおやまくいのかみ)は、酒造りの祖神として知られている。
この信仰の背景には、松尾大社の創建に深く関わったとされる秦氏の存在がある。秦氏は、桂川の堤防工事や農業技術の普及など、飛鳥時代において最先端の渡来技術をこの地にもたらし、のちの京都の発展に大きく寄与したと伝えられている。
その技術の一つが、酒造技術であった。酒は米を原料とし、神に供える神聖なものとして、また人々の生活に深く根ざすもの。酒造りと農業の発展に関わった秦氏と、その守護神である松尾大社は、強く結びついていた。
秦氏はいまだに多くの謎を残す渡来系氏族であるが、その影響力は大きく、平安時代以降、松尾大社の神階は急速に上昇し、貞観元年(859年)には「正一位」の神階を授かっている。これは神社として最高位であり、それ以降も変わらぬ崇敬を集め続けている。



境内には、神饌田(しんせんでん)があり、氏子によって毎年丹精込めて稲が育てられている。そして、その収穫された稲は、神前に供えられる。このような神饌田をもつ神社は、現代では非常に稀少な存在だという。
大いなる自然の力により人々の生活に欠かせない米と酒を守る神
こうした伝統が、地域の人々によって今も大切に守られていることに、私は深く感じ入るところがあった。
大いなる自然の力と神々、そして人の暮らしに欠かせない「米」と「酒」。それらを結びつけ、守る神としての松尾大社は、太古の昔から現代に至るまで、多くの人々の祈りの場であり続けている。
ふと導かれるようにして来た松尾大社だが、その導きは、今の私に必要な物事を示していただいているのだと思った。
この後、松尾大社の摂社である月読神社に詣でた話に続きます。
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