【聖なる経済学】 富の再分配と階級闘争
訳者コメント:
高度成長期の日本には「一億総中流」という認識があって、不平等は表面上は見えなくなっていました。経済成長が行き止まりになった平成以後、正確にはバブル崩壊以後、竹中平蔵の推し進める新自由主義政策によって、非正規雇用と海外生産移転が激増し、格差社会が誰の目にも明らかになりました。これは財務省と経産省の失策というよりは、換金可能な資本を食い尽くした高利貸し経済の行き着く先だったということが、この節での議論でいっそう鮮やかに浮かび上がります。
古代ギリシャの時代から、債務の棒引きという形で富の再分配が行われ、辛うじて経済社会を維持してきたのですが、現代では社会保障制度のようなマイルドな形の再分配制度でさえ破壊が進んでいます。維新の会が唱えるような新自由主義政策というのは、富裕層への富の集中を加速させるのですが、「手取りを増やす」という甘い言葉に釣られて投票するのは、騙されているのだと知るべきです。
負債によって成り立つ社会は、国家のレベルでも負債を抱えることになります。安倍政権以来、日本の米国製兵器「爆買い(有償軍事援助:FMS)」による将来の支払い義務(後年度負担・ツケ払い)は、2018年度〜2023年度の6年間で累計約3兆5520億円の契約総額に上ります。特に髙市政権は、その成立からして「ホンタ(クーデター軍事政権)」と呼ぶべきものです。このように独裁体制が人民を犠牲にして外国から借金をした場合、独裁体制が崩壊したあとの民主主義的政府は、独裁時代の債務を「不当債務」として返済を拒否することができる、という考え方があります。自民党政権がいずれ自滅した後、この巨額負債は拒否されるべきです。
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富の再分配と階級闘争
富の再分配がなければ、利子を伴う負債ベースの貨幣制度においては、特に経済成長が鈍化した場合、社会の混乱は避けられません。とはいえ、富の再分配が行われる時、富裕層は必ず抵抗します。なぜなら、再分配されるのは彼らの富だからです。したがって、経済政策は富の再分配と保全の間でバランスを取ることになり、時が経つにつれ再分配は、社会秩序を維持するための最小限へと収斂していきます。
従来から自由主義政権が努めてきたのは、累進所得税、相続税、社会福祉制度、高額な最低賃金、国民皆保険、無償の高等教育、その他の社会施策といった再分配政策によって、富の集中を緩和することです。これらの政策が再分配的だといえるのは、税金が富裕層に偏って課せられる一方で、支出や施策はすべての人に平等に恩恵をもたらし、あるいは貧困層を優遇さえするからです。これらは、利子に基づく制度における富の集中という自然な傾向を弱めます。少なくとも短期的には、これらの政策は富裕層の利益にも反しているため、現在の保守的な政治情勢において、こうした政策は階級闘争とみなされるのです。
再分配政策に反対する保守的な(つまり新自由主義の)政権は、富の集中を良いことだと考えているようです。あなたが裕福であれば、あなたもそう思うかもしれません。なぜなら富の集中が意味するのは、あなたには多く、他のすべての人には少なく、ということだからです。家政婦を雇った方が安上がりです。あなたの相対的な富、権力、特権は大きくなります[9]。したがって、富裕層の(短期的な)利益に奉仕する政府は、前述の分配政策とは正反対の政策、すなわち、定率所得税、相続減税、社会保障施策の削減、医療の民営化などを主張します。
1930年代、アメリカ合衆国をはじめとする多くの国々は、社会支出と富裕層への課税を通じて富を穏やかに再分配するか、あるいは富の集中が革命と暴力的な再分配という段階にまで達するのを放置するかという選択を迫られました。1950年代までに、ほとんどの国はニューディール政策で確立された社会的な妥協策を採用しました。すなわち、富裕層はその地位を維持できるものの、資本所有による利益を相殺する額を税金として返上しなければならないという妥協です。この妥協策は高い経済成長が続く限り、しばらくの間は機能し、実際1970年代初頭まではそうでした。
もし経済のパイが成長しているなら、富裕層はますます大きな取り分を得ることができ、その他の人々は大きくなるパイの小さな取り分を得ることになります。相対的に見れば99%の人々は貧しくなりますが、絶対的に見れば以前と同じか豊かになります。これが第二次大戦後の状況でしたが、それが機能したのは経済成長している間だけでした。
しかし、この穏やかな解決策でさえ、多くの望ましくない結果をもたらします。高い率の所得税は、収入が多い人を罰し、単に資産が多い人を優遇することになります。それはまた、税務当局と市民の間に終わりのない争いを引き起こし、市民はたいていの場合、少なくとも税の一部の支払いを回避する方法を見つけ出し、その過程で何万人もの弁護士や会計士を雇うことになります。これは果たして人的資源の有効活用と言えるでしょうか。さらにこれは、お金の所有者に対し一方の手で与えながら、もう一方の手で奪うような制度なのです。
利子に基づく制度おいて、穏やかな形であれ露骨な形であれ、階級闘争は避けられません。資産保有者の短期的な利益は、債務者層の利益と対立します。遅くとも1980年以降、富裕層に有利な状況ができあがり、1930年代に西側諸国のほとんどで構築された様々な再分配的な社会保障制度を、富裕層の政治的代表者たちが解体してしまいました。第二次世界大戦後の時代、高度成長によって階級闘争の本質が覆い隠された時期があったものの、その時代は終わりました。
古代には、定期的な債務の無効化によって富の二極化に対処した社会もありました。例えば、〔古代ギリシャ立法者の〕ソロンが制定したセイサクテイア(「重荷おろし」)では、債務が帳消しにされ、債務奴隷制が撤廃されました。また、古代ヘブライ人の「ヨベルの年」もその一例です。「七年ごとに汝は解放を与えねばならぬ。解放はこうあるべし。隣人に何かを貸した債権者は皆、それを解放しなければならぬ。隣人や兄弟からそれを取り立ててはならぬ。何故ならば、これは主の解放と言うものだからである」(申命記15章1節2)。これら古代の慣習は、現代の破産よりもはるかに抜本的なもので、債務者が財産や担保を保持できました。ソロンの時代には、土地さえも元の所有者の手に戻されました。
債務取り消しのもっと最近の例としては、貧困にあえぐ災害被災国の対外債務一部免除が挙げられます。例えば、2008年にはIMF、世界銀行、米州開発銀行がハイチの対外債務を帳消しにしました。第三世界の債務全般を帳消しにしようとする動きは数十年前から存在していますが、今のところ大きな進展はありません。
これと関連する再分配の形態として破産があり、これは通常、債務者の財産の大部分が債権者に没収された後で債務から解放されます。それでも、これで名目上の富を債権者から債務者へと移転することになるのは、財産の総額が債務額よりも少ないからです。近年、米国では真の個人破産を宣言することがはるかに困難になっていて、(クレジットカード業者の要請により書き換えられた)法律によって、債務者には将来にわたって収入の一部を債権者に割り当てる支払い計画が強制されます[10]。債務はますます逃れられないものとなり、債務者の労働は生涯にわたって請求の対象となり、債務者は奴隷状態に置かれます。セイサクテイアやヨベルとは異なり、破産は資産を債権者に移転し、債権者は物的資本と金融資本の両方を支配します。元債務者は再び借金をする以外にほとんど選択肢がありません。破産は富の集中における単なる中休みに過ぎません。
さらに極端なのは債務の完全な否認、つまり債務の支払いや、債権者への担保の引き渡しを拒否することです。もちろん普通なら、債権者は訴訟を起こし、国家の力を行使して債務者の財産を差し押さえることができます。法制度と国家の正当性が崩壊し始めたときにのみ、個人による債務の否認が可能になります[11]。このような崩壊のときにこそ、お金と財産は社会的な慣習であることが明らかになります。慣習による象徴の解釈に基づいたものをすべて取り除いたなら、ウォーレン・バフェットは私よりも裕福ではありません。せいぜい彼の家が大きいくらいです。権利証書があるから彼のものだというだけのことであり、それさえも慣習の問題です。
執筆時点では、債務不履行は一般市民にとって現実的な選択肢とは言えません。主権国家にとっては全く別の問題であるように見えるでしょう。理論の上では、強靱な国内経済があり近隣諸国との物々交換に使える資源を持つ国は、公的債務を不履行するだけで済みます。しかし実際には、そうすることは稀です。民主主義国家であろうとなかろうと、支配者は通常、世界の金融権力層と同盟を結び、その見返りとして多額の報酬を受け取ります。それに逆らえば、あらゆる種類の敵意に直面します。マスコミは彼らに背を向け、債券市場は彼らに背を向け、「無責任」「左翼」「非民主的」といったレッテルを貼られ、政敵が世界中の権力者から支援を受け、クーデターや侵略の標的になることさえあります。社会資本や自然資本をお金に転換することに抵抗する政府は、圧力をかけられ、罰を受けます。これは、ハイチでアリスティドが新自由主義政策に抵抗し、1991年と2004年にクーデターで打倒されたときに起こったことですし、2009年にホンジュラスでも起き、世界中で何百回も繰り返されてきました。(キューバでは失敗に終わり、最近ではベネズエラでも失敗し、今のところ侵攻の段階を免れています。〔これはトランプ率いるアメリカ軍が2026年1月にベネズエラに侵攻したことで破られました。キューバへの武力介入さえ検討されています。〕)2010年10月にエクアドルでもクーデターがかろうじて未遂に終わりました。エクアドルは2008年に39億ドルの債務支払いを拒否し、その後、額面1ドルを35セントで経済再編を行った国です。2017年には、ラファエル・コレア大統領に代わって就任したレニン・モレノが、すぐに緊縮政策を実施しました。債務体制に抵抗する国は、どこもこのような運命を辿るのです。
元経済学者のジョン・パーキンスは著書『エコノミック・ヒットマン:途上国を食い物にするアメリカ』の中で、その基本戦略を次のように説明しています。まず支配者への賄賂、次に脅迫、そしてクーデター、それでもだめなら侵略です。その目的は、国に融資を受け入れさせ、返済させること、つまり借金漬けにすることです。個人であれ国家であれ、借金はしばしば巨大プロジェクト、例えば空港や道路網、超高層ビル、住宅リフォーム、大学教育などから始まります。これらは将来の大きな利益を約束しますが、実際には外部勢力を潤し、借金の罠を仕掛けることになるのです。かつては軍事力と強制的な貢納が帝国の手段でしたが、今日その役割を果たすのは借金です。借金が国家と個人に強いるのは、生産性をお金のために捧げ、それを他者に明け渡すことです。個人は夢を諦め、借金を滞納しないために働きます。国家は、外貨を生み出さない自給自足農業や地域的な自給経済から、輸出商品作物や搾取労働の工場生産へと転換し、外貨を稼ぎます[12]。ハイチは1825年以来、債務を抱えていますが、それは1804年の奴隷反乱で失った財産(つまり奴隷)をフランスに賠償せざるを得なかったからです。いつになったら債務を完済できるのでしょうか。永遠に不可能です[13]。第三世界の国々はいつになったら債務を完済し、生産力を自国民のために使うことができるのでしょうか。永遠に不可能です。皆さんのほとんどはいつになったら学生ローン、クレジットカード、住宅ローンを完済できるのでしょうか。永遠に不可能です。
ジュビリー負債キャンペーンによれば、貧しいグローバルサウス諸国は、2020年に政府歳入の平均14.3%を対外債務の支払いに充てていて、これは2010年代の倍以上です[14]。しかし、ますます多くを支払いに充てているにもかかわらず、途上国全体の負債水準は下がりませんでした。途上国の負債が完済されることは決してなく、これら債務国に強いられるのは、永遠に続く緊縮政策、賃金切り下げ、天然資源の換金、民営化などで、その報酬として借金を継続し、国際金融制度の一角に留まることができるのです。
とはいえ、国家レベルであれ個人レベルであれ、債務返済拒否の時代は私たちが考えているよりも近いかもしれません。現体制の正当性は薄れつつあり、少数の債務者が返済を拒否すれば、残りの債務者もそれに続くでしょう。こうした債務に対する異議申し立ては、法律が債権者にとって有利なように偏っている場合、単に法律の条文を拠り所にしただけでは行うことができません。しかし、本来は合法である債務に対しても異議を申し立てる法的根拠は存在します。それは、不正に発生した債務は無効であるという「不当債務の原則」です。本来は、国家に代わって指導者が負った債務が、実際には国家に利益をもたらさない場合を指した概念ですが、これは社会システムを変革するための強力な手段へと拡張することができます。
他にどのような債務が「不当債務」にあたるのでしょうか。その例としては、ウェスティングハウス社やマルコス政権の側近たちが莫大な利益を得たものの、一度も発電することのなかったフィリピンの悪名高いバタアン原子力発電所の建設資金や、エルサルバドルやギリシャの軍事政権による軍事費などが挙げられます。しかし、大規模で中央集権的な開発プロジェクトのために借り入れられた国家債務の大部分についてはどうでしょうか。新自由主義のイデオロギーによれば、それらは国家にとって大きな利益をもたらすものだとされますが、今や明らかになりつつあるのは、その主な受益者が融資を行った当の国の企業だったということです。産業発展の定説とされてきた道筋さえも、今や疑問視されています。「発展途上」諸国が抱える債務の大部分は、植民地主義や帝国主義的な関係から生まれたものであり、不当な債務だと言えないでしょうか。
地方自治体、家計、個人の負債についても、同様のことが言えるでしょう。税法、金融規制緩和、そして経済のグローバル化により、資金は企業や超富裕層の手に吸い上げられ、それ以外のすべての人々は、基本的なニーズを満たすために借金せざるを得なくなっています。自治体や地方政府は、かつては税収で賄われていたサービスを、今や借金をして提供しなければなりません。これは、世界的な「底辺への競争」の中で、規制が最も緩く賃金が最も低い場所へと、産業が逃げてしまったためです。学生たちは今や大学に通うために借金をしなければなりませんが、かつて大学は政府から多額の助成を受けていたのです。賃金の停滞により、家族はただ生活するためだけに借金せざるを得なくなっています。増大する債務の波は、怠惰や無責任が蔓延したからだという理由では説明できません。この債務は制度的なものであり、逃れようがありません。それは不公平であり、人々もそれを知っています。「不当債務」という概念が広まるにつれ、それを返済しなければならないという道徳的義務感は薄れ、新たな形の債務抵抗運動が台頭するでしょう。おそらく、私たちがその重荷を振り払う時は、間もなく訪れるかもしれません。
注:
9.資金を富裕層に渡せば投資が増加し、雇用が増え、すべての人々の繁栄につながるという保守派の主張は、投資された資本の収益率がリスクフリーの金融投資の一般的な金利を上回る場合にのみ成り立ちます。富の再分配が行われないまま富が際限なく集中していく様子が示すように、そのような状況は稀であり、成長の限界に近づくにつれて、消滅しないまでも、ますます稀になっていくでしょう。
10. さらに、〔米国の制度では〕学生ローンや税金債務など、一部の種類の債務は破産によって免除されません。
11. こうした崩壊の兆候は、2010年の米国住宅ローン関連書類危機に見られます。この危機では、住宅ローンを構成する複雑な契約体系そのものが問題視されました。住宅ローンがあまりにも多くの断片に分割されたため、実際に誰がその不動産を所有しているのかを証明することが困難になりました。契約、法律、規制、そして書類作成慣行といった体系全体が、その複雑さゆえに自壊し始めたのです。
12.世界銀行の政策が、輸出作物の開発のみを対象として農業融資を認めているのは偶然ではありません。国内で消費される作物は、融資の返済に必要な外貨を生み出さないからです。
13. 本章の執筆後、ハイチの対外債務は、2010年の地震後の窮状に同情した国際社会によって帳消しにされました。現在ハイチには自由な収入と資産があり、これらは新たな債務の担保に最適だとして狙われています。
14. ジュビリー債務キャンペーン、「債務データポータル」。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-6-the-economics-of-usury/
翻訳メモ:
odious debt:「不当債務」とでも訳すべき米国特有の法概念。独裁体制が人民を犠牲にして外国から借金をした場合、独裁体制が崩壊したあとの民主主義的政府は、独裁時代の債務を「不当債務」として返済を拒否することができる、という考え方。
junta:(クーデター後の)臨時政府、軍事政権。起源のスペイン語で「ホンタ」、英語では「フンタ」または「ジャンタ」と発音される。
