見出し画像

【聖なる経済学】 コモンズの通貨①

訳者コメント:
公正で、創造的で、美しい世界を創り出そうとするとき、いつも対立することになるのがお金です。その根本にあるのが、コモンズ(共有財産)を私物化し独占するという働きで、そこには「所有」という概念そのものが絡んできます。これを批判すると、たいていの場合は共産主義だとレッテルを貼られ、旧ソ連のような独裁体制と同一視されます。しかし良く見てみると、旧ソ連の社会主義は生産手段を国有化したのであって、所有という概念に手を付けてはいませんでした。人類が太古の昔から培ってきたコモンズという仕組みは、国有化と権力エリート層による中央集権的管理とは全く違う、共同体による分散的共同管理だったのです。本章では、このコモンズを裏付けとする通貨の可能性を探っていきます。


第11章:コモンズの通貨

お金はすべて信念の問題である。—アダム・スミス

私たちの暮らす自然豊かな地球は、生命を支える賜物ギフトの源です。第4章で述べたように、この地球の豊かさ、たとえば土壌や水、空気、鉱物、全遺伝情報ゲノムは、誰が創ったものでもなく、したがって誰の所有とすべきでもなく、生きとし生けるもののために共同で管理されるべきなのです。同じことが、人類の技術と文化の蓄積についても当てはまります。それは私たちの祖先から集団として受け継いだ遺産であり、生きている誰もが等しく享受するに値する富の源泉です。

しかし、この認識をどう扱うべきでしょうか。これらの真実は、マルクス主義とアナキズムによる所有権の批判と密接に関連していますが、マルクス主義の解決策、つまり生産手段の集団所有と国家による管理は、根本的な問題に深く踏み込んでおらず、本当の問題にも対処していません[1]。本当の問題は、共産主義体制と企業資本主義体制の両方とも、社会の富をどのように配分するかを権力エリート層が決定し、そこから利益を得ているということです。共有であれ私有であれ、所有という慣習は、どちらの場合でも富と権力の配分を正当化し促進するために利用されているのです。

人間経済の変容は、私たちの時代に進みつつありますが、マルクス主義革命よりもさらに深いものとなるでしょう。なぜなら、それが紡ぎ出す〈人々の物語〉は、単に新たな所有のあり方についての作り話などではなく、所有の本質が虚構と慣習だということを認識するからです。所有とは、ある人が特定の方法で何かを使用する権利を持つという社会的な合意に過ぎないのではありませんか。所有は現実の客観的な特徴ではなく、資本主義理論も共産主義理論も等しくそれを基本に据え具体化していますが、そうすることで無意識のうちに、私たちはそれを内包する物語の奴隷となるのです。聖なる経済学の出発点として、所有を基本特性と見ることはできないと、私は考えています。なぜなら、そのような概念によって受け入れることになる世界観、自己と世界の物語は、真実ではない、あるいはもはや真実ではなくなったのです。それは、宇宙という物体の中にいる個別ばらばらの自己という世界観です。したがって、マルクス主義者のように、自然や文化の遺産は共同所有されるべきだと言うのではなく、これらのものに所有という概念を適用すること自体をやめ、その代わりに、それらの価値を経済システムの中でいかに公正に、創造的に、そして美しく具現化するかを考えようではありませんか。

今日、信用によって資金を得られるのは、商品やサービスの領域を拡大する可能性のある人々に限られています。神聖な経済において、それはより美しい世界に貢献する人々に与えられるでしょう。その世界がどのようなものであるかについては、必ずしも全員の意見が一致しているわけではありませんが、現代において重要な共通の価値観が多く生まれつつあります。私は、政治的立場を問わず様々な人々と交流してきましたが、彼らがほぼ一様に、コミュニティ、自然、そして人間文化が生み出す美に対し、ほぼ普遍的な敬意を持っているのを見て、嬉しく思います。政治の言葉は共通の人間性を分断で上書きしてしまうので、このような共通の価値観を曖昧にしがちですが、それを中心にして、聖なる経済の通貨は生まれるでしょう。

この章では「政府」という言葉を通貨発行の文脈で用いますが、覚えておいてほしいのは、他のあらゆる制度と同じように、政府もこれから何年かの間で劇的に変化していくということです。究極的に私が思い描くのは、分散型で自己組織化され、創発的で、ピア・ツー・ピア型の、生態系に統合された政治的意思の表現です。またこれと並行して思い描くのは、貨幣のエコロジー、すなわち、多くの補完的な流通・交換の方法を備えた経済制度です。その中には贈与ギフトの新たな拡張があり、労働を強制から解放し、すべての人に生活必需品を保証するでしょう。

どのような形であれ、政府の本質的な目的、おそらく「最も」本質的な目的は、共有財産コモンズの管財人としての役割を果たすことです。共有財産コモンズに含まれるのは、地表の土地、地中の鉱物、地表および地下の水、土壌の地力、電磁波の周波数帯、地球上の全遺伝情報ゲノム、地域および全地球生態系の生物相、大気、何世紀にもわたる人類の知識・技術の蓄積、そして先祖代々受け継がれてきた芸術、音楽、文学の宝物などがあります。社会改革者たちが二千年以上にわたって指摘してきたように、このどれについても、正当な権利を主張できる個人は誰もいません。

以前なら、政府の目的はこれらの宝物を全ての人々の利益のために管理することだと私は言っていたかもしれません。それは良い出発点ですが、いま私たちが「地球を愛する」関係へと踏み出すにあたり、私は違う考えに立ちます。政府とは、これらの宝物を地球そのものの代理として共同で管理する私たちの役割を具体化するものであり、人類は地球の最も新しい器官なのです。もはや人類を惑星上の単なる生命体の一つとして見ることはできません。なぜなら、人類は他のどの種も成し遂げたことのない力で地球を作り変え、あるいは破壊することさえできる力を持っているからです。

これほど貴重で神聖で「価値ある」もの以上に、貨幣制度の基盤、つまり価値の物語としてふさわしいものがあるでしょうか。その結果として、神聖な貨幣供給マネーサプライの一部は、このような私たちが共同管理するものによって「裏付けられる」ことになります。その仕組みの一つとして、まず人間の目的に利用すべき自然の適切な量について、政治的に仲裁された集団的な合意を結びます。海の産物をどれだけ、土壌や水をどれだけ、大気の廃棄物吸収・変換能力をどれだけ、鉱物採掘による傷跡から回復する土地の能力をどれだけ、化石燃料、金属鉱石、その他の富といった賜物ギフトをどれだけ、機械音に譲る自然の静寂をどれだけ、都市の明かりに譲る真っ暗な夜空をどれだけ。こうした決定には科学的な理解が必要なことが多いのですが、同時に価値判断も伴います。どちらも、私たちがどれだけの自然資本を消費すべきかという集団的な合意の一部となります。

このような決定は、地球上では前例のないことです。確かに、今日の政府は規制や税金を使って、共有財産コモンズの特定の部分の消費を止めたり遅らせたりしていますが、私たちはこれまで「どれだけあれば十分なのか」みんなで集まって話し合ったことはありませんでした。古代の村々は、伝統や慣習、社会的圧力によって共有資源を守っていました(「コモンズの悲劇」の大部分は神話です[2])が、今日の社会規模では、合意に達してそれを実行するためには、政治的プロセスに取り組む必要があります。このプロセスでは、コモンズのどのような利用が持続可能であるかについての科学的合意だけでなく、例えば、内燃機関の省力化の利便性と静かな秋の日の楽しみを天秤に掛けるような、相対的な重要性についての社会的合意も考慮する必要があります。

それぞれのコモンズをどれだけ利用可能にするかを決めれば、それを裏付けとした通貨を発行できます。例えば、大気は年間200万トンの二酸化硫黄の排出を許容できると決定したとしましょう。すると、排出権を通貨の裏付けとして利用できます。他のコモンズについても同様です。結果として、経済目的で利用することに合意した共有資源のすべての要素を含む長いリストができます。概念的には次のようなものになるでしょう。

私たちの通貨の価値は、ニューファンドランドのタラ漁業から30万トンのタラを漁獲する権利、オガララ帯水層から毎月3000万ガロンの水を汲み上げる権利、100億トンのCO2を排出する権利、地下から20億バレルの石油を汲み上げる権利、電磁スペクトルのXマイクロヘルツ帯を使用する権利などに由来します。

これを実際どのように運用するのでしょうか。一つの方法は、政府が単純に通貨を発行し、現在の税支出と同じように経済に投入することです。通貨は経済を循環し、生産者が担保商品と交換することで最終的に政府に戻ってきます。これはオークション方式で実施することもできますし、担保商品の相対価格を事前に設定し、二次市場の実際の価格に応じて毎年調整することもできます。いずれにせよ、通貨と担保商品の交換は、資源や汚染に対する税と同様の機能を果たすことになります。

それがどのように働くか、具体例を見てみましょう。地方自治体は、警察官、消防士、そして地域の環境清掃隊員に給与を支給します。その一人が、給与を食費、電気代、そして車の新しいトランスミッションの交換に使います。食品は地元の農場で生産されたもので、その農場は年間30万ガロンの地下水を地元の帯水層から汲み上げる権利を得るために、そのお金の一部を支払います。この支払いを受け取る地方自治体は、そのコモンズの一部を管理します。

一方、トランスミッションの代金の一部はどこかの工場に渡り、工場はその一部を操業に必要な汚染排出権の費用として支払います。この費用はトランスミッションの価格に反映され、他にも輸送に使用されるガソリンの汚染排出権、鉄鋼製造に使用される鉄鉱石の採掘権なども反映されます。これらの支払いは、地域、地方、国、あるいは世界規模の様々なコモンズの管理者に渡ります。ある工場が、例えば汚染物質の排出量を減らしたり、廃品置き場からリサイクル金属を使用したりするなど、共有資源の使用量を減らす方法を見つけたなら、その工場はコストを削減し、より高い利益を上げることができます。こうして利益追求という動機は、地球を癒したいという私たちの願いにとって、敵ではなく味方となるのです。

②に続く


前< 回帰の法則②
目次
次> コモンズの通貨②

注:

1. ここで述べておきたいのは、純粋なマルクス主義理論では、国家所有は共産主義の最終段階とは見なされておらず、国家はいずれ消滅し、おそらくそれに伴って財産の概念も消滅すると述べているということです。
2. コモンズの悲劇は、フリーライダー(タダ乗り)問題を例示するために作られた架空の物語です。この物語では、村の共有地にある牧草地が丸裸にされてしまいましたが、その訳は、できるだけ多くの羊を放牧することが村人の一人一人にとって有利だったからです。皆が自分の利益を追求した結果、過放牧となり、全員が損失を被ることになったのです。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-11-currencies-of-the-commons/


いいなと思ったら応援しよう!