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【聖なる経済学】 価値という物語②

訳者コメント:
金の価値に裏付けられた金本位制によって、人類は地下深くから金を採掘するように駆り立てられ、実用上の必要を上回る量の金が金庫室に眠っているという状態が作られてきました。ならば、この地上に創り出したいものを裏付けとした通貨を作ろうという主張です。「美しい地球」本位制です。


①から続く

紙幣や電子マネーの制度に裏付けがある場合、私たちはその裏付けこそが本当のお金であり、紙幣は単にその代理物にすぎないと考えがちです。しかし実際には、その紙切れこそが本当のお金です。きんとの結びつきは、意味の投影であり、ほとんど魔法の薬のようなものであって、そのおかげで私たちは価値という物語を信じることができたのです。物語が価値を創り出すのです。実際、紙幣を手にした人の全員がそれを金に交換できるわけではありませんでした。あまりにも多くの人が交換を求めたら、中央銀行は単に交換しないと宣言することができました(それが行われた実例もあります)[5]。紙幣が何グラムかの金に交換できるという厳然たる事実は、じつは単なる構築物、都合の良い虚構なのであって、それは社会的な合意や共有された認識の網の目に依存しているのです。

今日に至るまで、外国政府は米国の連邦準備銀行に金を保管しています。もし外国政府が米国の機嫌を損ねたら、米政府は単に外国政府が金を本国に取り返すのを拒否します。

お金が裏付けられているという宣言は、集団的な人間の信念から力を得ているという点で、他の儀式的な呪文と大して違いません。金の場合もそうでしたが、さらにその傾向が顕著なのは、より最近の、より洗練された裏付け通貨の提案で、例えばベルナルド・リエターの「テラ」通貨や、経済活動全体を反映する商品バスケットによって裏付けられるIMF特別引出権の改訂案などがあります。この方法には確かに利点があり、実際、本書で私が構想する方向への一歩と言えます。しかし、この裏付けというのは明らかに虚構です。誰もテラを裏付ける物と実際に交換して、その石油、穀物、炭素クレジット、豚バラ肉、鉄の延べ棒などリストにある物の指定された組み合わせを、玄関先まで配達してもらおうとは思わないでしょう。個人がこれらのものを個人的に所有する必要などありません。その価値は集団的なものであって、広大な経済関係の網の中にのみ存在するのです。でもそれで良いのです。実際の償還可能性は、何かを裏付け通貨として認定するために必要なものではありません。確かに償還可能性は虚構であり、物語に過ぎませんが、物語には力があります。すべてのお金は物語です。物語の枠組みの中でお金を生み出す以外に、私たちには選択肢がありません。ここまで私が書いたことは、裏付け通貨を否定するものではありません。しかし、もし裏付け通貨を選ぶのであれば、その理由を明確にしておきましょう。それは、裏付けのない通貨が偽物だから、お金を「本物」にしようというわけではありません。私たちが創造したい価値の物語をお金に吹き込むためなのです。

裏付けという物語を利用すれば、貨幣の創造を制限し、方向付けることができます。今日、私たちはその権利を銀行だけに与え、利益追求という動機によってそれを方向付けているので、より多くのお金を生み出す者にお金が渡ることになります。しかし、正確に歴史的に言えば、貨幣の発行は特別で神聖な職務であり、軽々しく手放すべきものではありません。貨幣は象徴としての魔力を宿し、社会全体の合意を具体化します。社会の魂の一部が貨幣の中に宿っているのであり、貨幣を創造する力は、シャーマンが薬袋を守るように用心深く守られるべきです。間違った者の手に渡れば、その力は人々を奴隷にするために使われるかもしれません。今それが起こっているのを否定できるでしょうか。人々や国家全体が金貸しの奴隷になっているのを否定できるでしょうか。

私たちはお金と神聖なものをまったく自然に結びつけるだけでなく、お金として使うものは何であれ神聖に「なる」傾向があります。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」のです(マタイ福音書6章21節)。こうして人々はきんを崇拝するようになりました。もちろん、彼らは金をあがめるという信仰の告白をしたわけではありませんが、行動は言葉よりも雄弁です。彼らが切望したのは金であり、犠牲を捧げたのも金であり、崇敬したのも金であり、超自然的な力と特別な聖なる地位を与えたのも金でした。同じことが牛を取引する文化圏にも起こります。牛は神聖な地位を帯びるようになり、他の商品とは区別されます。

ここ百年は裏付けのない通貨が増加してきた時代であり、同時に何も神聖なものがない時代でもありました。序文で述べたように、今もし神聖なものが何かあるとすれば、それはお金そのものです。なぜならお金は、二元論における肉体から切り離された神性と結びつけられる特性、すなわち遍在性、抽象性、非物質性を持ちながらも、物質的な事柄に介入して創造や破壊を行う能力を持つからです。物質から神性を完全に排除することは、やはり何も神聖と捉えない、何も本物と捉えない、何も実感できるものと捉えないことになるのです。しかし、神聖なものが何も無いというのは幻想です。多くの人が指摘しているように、科学は新たな宗教となり、宇宙創成の物語、世界の仕組みを難解な言葉で表現した神秘的な説明、司祭とその通訳者、階層化された聖職者制度、入会儀式(例えば博士号の口頭試問)、価値観の体系など、多くの宗教的要素を備えています。同じように、貨幣に裏付けがないように見えるのも幻想です。信用貨幣を裏付けているのは(明示的な裏付け通貨とは異なる種類の社会的合意ではありますが)経済全体の財とサービス、そしてより深くは成長です[6]。利子付き債務として創造された貨幣は、その価値の持続性を、財とサービスの領域の際限のない拡大に依存しているのです。貨幣を裏付けるものは何であれ神聖になります。したがって、成長が何世紀にもわたって神聖な地位を占めてきたのです。進歩、自然の力の利用、最後のフロンティアの征服、自然の支配など、さまざまな形をとる〈上昇の物語〉において、私たちは子孫を増やし繁栄するという聖戦を遂行してきたのです。しかし、もはや私たちにとって成長は神聖なものではありません。

本書で述べるのは、お金の裏付けとして、いま私たちにとって神聖となりつつあるものを用いる具体的な方法です。それは何でしょうか。それが何なのかは、人々が献身的な努力によって創造し守ろうとする様子を通して見えてきます。未来のお金を裏付けるのは、私たちが育み、創造し、守ろうと望むもの、すなわち、未開発の土地、清浄な水と空気、偉大な芸術作品や建築物、生物多様性と遺伝子という共有財産、行使されていない開発権、行使されていない炭素クレジット、未回収の特許使用料、サービスに転換されていない関係性、そして商品に転換されていない天然資源です。さらに言えば、地中に眠る金さえも、その裏付けとなるのです。

お金と結びつく(ひいては抽象的な「価値」と結びつく)ことで、その物を神聖な地位に高めるだけでなく、ますます多くを作り出すように私たちを駆り立てます。きんがお金と結びついていることは、金採掘を続ける(それも非常に環境破壊的な)努力を促します。地面に穴を掘って埋め戻すのは無駄な労働の典型ですが、金採掘とは本質的にそういうものです。膨大な労力を注ぎ込んで、私たちは金鉱石を地面から掘り出し、運び、精錬し、最終的には地下金庫室という別の穴に保管します。この労力と金の希少性が、貨幣供給量を調整する(非常に場当たり的な)一つの方法となっていますが、なぜ意図的な社会・政治的合意、あるいはもっと有機的なプロセスを通して調整し、穴を掘る手間を省かないのでしょうか。

金に関する上記の問題は他の商品にも当てはまります。牛が貨幣として使われている地域では、牛は乳や肉といった実用性を超えた価値を持つようになり、結果として人々は実際に必要な数よりも多くの牛を飼育するようになります。金採掘と同じように、これは人的労働力を浪費し、環境に負荷をかけます。私は、商品を基にしたあらゆる貨幣が同様の影響を及ぼすのではないかと危惧しています。もしそれが石油であれば、燃料として必要な量に加えて貨幣に必要な量も含んだ、より多くの石油を採掘する動機が生まれます。一般論として言えば、「何かを貨幣として利用すれば、その物の供給が増加する」という原則が成り立つのです。

第11章ではこの原則に基づき、人類と地球にとって有益だと私たちが認めるものの供給を増やす貨幣制度を構築します。もしも貨幣の「裏付け」が、清らかな水、汚染されていない空気、健全な生態系、文化的な共有財産だったらどうでしょうか。これらの資源の創出を、ちょうど金の価値という社会的な合意が私たちを金の採掘へと駆り立てるのと同じように、ますます促進する方法はあるのでしょうか。ちょうど金を貨幣化したことで、私たちは金を渇望し増産を目指すようになり、金を手放すのは本当に差し迫った必要がある時だけになったように、このようなものを貨幣として利用することで、私たちはそれらをより多く生み出し、より美しい地球を創り出し、それらを犠牲にする時は、熟慮された理由のため、本当の必要に対処するため、破壊されたものと同じくらい価値のあるものを創り出すためだけになるかもしれません。私たちは今日、お金のために多くのものを破壊していますが、お金そのものを進んで破壊することはありません。それは当然です。

通貨の裏付けという問題は、より広範で本質的な問いへと私たちを導きます。誰が、どのような方法で貨幣を創造するでしょうか。貨幣の創造量にはどのような制限を設けるべきでしょうか。貨幣が具体化する合意とは何でしょうか。さらに一般的に言えば、私たちは貨幣にどのような価値の物語を与えるでしょうか。

古代から、お金はいつも何らかの合意を具体化してきました。しかし通常、その合意は意図的なものではありません。人々はきんに価値があると信じ、その価値が慣習的なものであると立ち止まって考えることはほとんどありませんでした。その後に登場した法定紙幣は明らかに慣習的なものでしたが、私の知る限り、交換手段を提供するという以外の、特定の社会的な目的を念頭に置いてその発行を設計した者はいません。「私たちはどのような世界の物語を創造しているのか、そしてその物語を体現し強化するのはどのような種類のお金なのか」という問いは、これまで一度も問われたことがありません。人類の領域の拡大を促すという意識的な目的を持って、部分準備銀行制度を創設しようと決めた者もいません。今日、私たちは初めて、お金の選択に意識を注ぎ込む機会を得ました。私たちは今こそ、この地球上にどのような集合的な物語を創造したいのかを自らに問い、その物語に沿った貨幣制度を選択する時なのです。

これ以降の本書で概略を描いてゆく貨幣制度は、人類が私たち自身や地球との間に新たに結びつつある関係性を具体化するものです。それは、私たちにとって神聖になりつつあるものを反映し育む貨幣制度です。また集団レベルと個人レベルの両方で、現状からそこへ到達するための方法についても提案します。この神聖な経済は、以下の特徴を備えたものになります。

私たちの職業生活や経済生活に、贈与ギフトの精神を取り戻します。

金銭によって引き起こされた社会の均質化と非人間化を逆転させます。

生態系の拡張であり、生態系への侵害とはなりません。

地域経済を活性化させ、コミュニティを再生させます。

主体性を促し、起業家精神に報います。

ゼロ成長と両立しつつ、人間特有の才能ギフトの絶え間ない発達を促します。

富の公平な分配を促します。

世界を神聖なものとして扱う新たな唯物論を育てます。

政治的平等主義と民衆の力に沿ったものであり、中央集権的な統制を進めることはありません。

自然、社会、文化、魂の資本の、失われた領域を回復させます。

そして何より重要なのは、それを私たちが今すぐにでも作り始めることができるということです。

次の数章では、未来の貨幣制度を規定する新たな価値の物語における様々なテーマを提示し、統合していきます。それらを一体に織り上げることで、今日私たちが知っている経済とは全く異なる経済像が浮かび上がってくるでしょう。


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注:
5. 実際、このようなことは何度も起こりました。大恐慌時代には、ほぼすべての国で発生しました。通貨保有者は銀行、そして最終的には中央銀行に金を要求しましたが、中央銀行は最終的にこれを拒否しました。1930年代の米国では、ルーズベルト大統領の行政命令6102号により、ほんのわずか以上の金の保有が違法となりました。しかし、金に価値が依存しているはずのドルは、無価値にはなりませんでした。
6. 次のように考えてみましょう。銀行が発行する信用を裏付けるのは、融資の担保か、無担保融資の場合は借り手の将来の収入です。したがって経済全体では、発行されたすべての信用貨幣の総額を裏付けるのは、経済における既存および将来のすべての財とサービスの総額、つまり成長の約束です。別の見方をすれば、成長がなければ、債務不履行率は上昇し、通貨供給量は縮小するということです。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-9-the-story-of-value/



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