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悪人の「くらし」の本質的事実

そもそもソローはなぜ森でくらしたのでしょうか。

ぼくが森へ行ったのは、慎重に生きたかったからだ。生活の本質的な事実だけに向き合って、生活が教えてくれることを学びとれないかどうかを突きとめたかったからだ。それにいよいよ死ぬときになって、自分が結局生きてはいなかったなどと思い知らされるのもご免だった。
『ウォールデン』 ちくま学芸文庫

ソローは「くらし」の本質的事実に向き合うために行ったと言います。そこから何が見えたのか。

わが町の青年たちを見ていると、彼らの不幸は農地、住居、納屋、家畜、それに農具を相続したことだと分かる。これらのものは、手に入れることが容易なわりには、手ばなしにくいものだからだ。・・・彼らは・・・生まれたとたんに、どうして墓を掘り出さねばならないのか。
同書

前回引用した中野孝次の文をもう一度引用します。

人は所有が多ければ多いほど所有物に心を奪われて、心は物の奴隷になってしまう。
『清貧の思想』 

僕たちは「はたらき」ます。人のために、家族のために、お金のために。でもお金のためばかりになってしまうことに対してはソローやセネカは強く批判します。

彼らは将来もっといい暮らしができるようにと、いまを忙しく立ち働いている。今の生活を犠牲にして人生を設計する。遠い先を視野に置いて計画を立てる。事実はしかし、人生の最大の損失とはまさにこういう延期、先送りなのに。彼らは遥か遠い先にあるものを得ようとして、いま目の前にある日々を未来に捧げ、未来の成果のために現在を奪うのです。だが、今日を無にして明日を得ようとするこの期待こそ、生きる上での最大の障害なのです。
「人生の短さについて」9−1~3 『ローマの哲人 セネカの言葉』

僕は「はたらき」ますが、お金のためだけになってやしないか、ソローの言う墓を掘り出すことにつながっていないか、セネカの言う最大の障害そのものになっていないか、と己につねづね問うべきだと感じます。

人間というやつはやがて大部分が土の中に鋤きこまれて、肥料になる。そういう彼らが、ふつう必要と呼ばれる運命もどきに支配されて、昔の本の言うとおり、虫が喰ったり錆び付いたり、泥棒が侵入して盗むような財宝ばかりを、せっせと貯めこむことに励んでいる。これは愚者の生き方だ。彼らにもそのことは、人生の途上では無理としても、最後まで生きてしまえば分かるはずだ。
『ウォールデン』 ちくま学芸文庫

・・さて、明日は何のために「はたらき」ましょう?

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