共育の出発点(雑記)
約1週間ぶりに書いてみます。書いて、またひと休みします。1ヶ月くらいはこのペースで行ってみようかな、って。
とりとめのない話です。
こんな本をいま手に取っています。

第2章に、高所得者層は自己責任的・競争主義的、低所得者層は格差や過度な競争を忌避する傾向をもつことが書かれていました。
そこからごくおおざっぱに考えて、経済重視のマネージャーと経済以外へと視点を移すプレーヤーから成るチームみたいな社会になってきているのかなと感じました。チームとしてバラバラになってきている。マネージャーの目指しているところをプレーヤーは目指さなくなってきている。見えにくいけれど、いろんなところでそんな現象が起こっているのかもしれません。
ローカリズムでもある時代で記載しました
企業に勤める「人々」でありさえすれば、とりあえず生活は安定し、いつかは住宅も取得できて、老後は年金と預金で暮らす。こんな「人々」の姿が自分たちにとっては虚無化している。
この先にみえているのは増税や年金の破綻、社会保障水準の切り下げ、大量のワーキングプアと一緒にこの社会をつくっていかなえればいけない重さ。「人々」の群れの中に加わっていれば何とかなるというイメージは崩れ去った。
こんな感覚をいだきながらこれからの生き方を模索する時代がすすんでいく。
内山節に見えていた世界観と、三浦展らしい調査・分析とがつながっていく。プレーヤーとマネージャーとが別々のところを目指していることが推測だけでなく、観測できるようになってきています。
そして、そこから未来を見てみる。これからの生き方を模索していく。
話がすっ飛んじゃってるかもしれませんけど、大人は「いのち」のために学ぶ必要性が高まってきている、と僕は感じます。
安心、安全、安定を支えてきた日本社会の土台はどんどんと薄らいでいて、社会保障も年金も経済成長も見通しが必ずしも良くなく、年々税は重くなっている。マネージャーはだからもっと稼ごうと考えるけど、プレーヤーはもっと稼ぐという手段を非現実的と捉え、「いのち」を考えるようになってきている。なんのために生きるのか、生きる喜びはなにか、しあわせとはどんなだろう、くらしをより良くするためには、本当の豊かさとは..
僕はいま共育に関する書籍化、その構成をぼんやりと考えていますが、「いのち」のために学ぶところから始めるべきだろう、と考えるようになりました。
