【小説】もう一つの起源 第一話
二人は何者なのか。目的は果たせたのか。
誰も知り得ないSFファンタジー。
一人の男が機密資料の窃盗を企てた。彼は追手を振り切り、一人の女を連れて、高度な設備を備えるスペースシップを奪うと、宇宙空間へと去った。彼らが見た美しい天体の数々。彼らが出会った奇妙な惑星。さらに生物との出会いを通して、二人は神秘の創造に向かって歩を進めていく。
第一話
右前腕の皮下組織に光アラートが走る。警備関係者は一斉にバイオリンクを確認し始めた。それは高度な薄型情報端末のようにも見え、透明感と柔軟性から、存在感をまったく感じさせない。
バイオリンクに手がかざされ、コンパクトなホログラフィックディスプレイ(HD)が浮かび上がると、被疑者映像と統計に基づく予想逃走経路の数パターンが、行動予測や確率表示とともに描かれ始めた。
手のひらを水平にスライドさせると情報が切り替わった。見出しにはスパイ行為と記され、誘拐容疑もかかっている。被疑者名はジーク。捜査機関には目撃情報や関連情報が集積し、瞬く間に分類、分析されていた。
前方を行く足音を追うように、見知らぬ液体が点々と滴り落ちていた。息を切らせながらジークは後ろを振り返った。
「ベニー、何度言わせるんだ。それは捨てとけって言っただろ!」
「だってジークの……」
「位置が特定されるんだよ。捕まりたいのか!」
ジークは、ベニーが大事そうに抱きかかえた"自分の腕"を奪い取ると、彼女の細い腕を引っ張りながら、ドーム型の格納庫裏を目指して足早に走った。周辺一帯は港湾構造物のように見えるが、船舶の類は見当たらない。
二人は埠頭のような場所の護岸で立ち止まった。彼らの視界一面に、銀と紫が混ざったようなメタリックがゆらゆらと波打っている。ジークは、はるか遠方の光を目がけて、自分の腕を何の未練もなく放った。
「いくぞベニー、こっちだ」
二人は、予め工作を施した空調ダクトを目指して格納庫横に回り込む。物陰から周囲の気配を慎重に確認するべニー。その間にダクトの亀裂から侵入口を広げるジーク。
格納庫の天井は、銀色の配管やダクトが複雑な回路図のように走っている。天井のダクトの一部が突然開くとジークは逆さに頭を覗かせた。注意深く内部の気配を確認し、頭が引っ込むと今度はロープがするすると降りてきた。
格納庫には、奇異な形のものや三角形のものもあったが、どれも表面はなめらかで上品ささえ感じる。
二人は探査や生物研究設備を備えたライフシーカーに乗船した。ジークは操縦席に座ると即座に位置情報その他、連絡システムを遮断した。
船体のコックピットは円形の部屋で、中央には全体を見渡せる高座式の操縦席が配置されている。柔軟素材の操縦席は、体形に合わせて自動的に調整され、体にフィットするように変形する。座席の前にはHDが浮かび、船の状態や周囲の環境情報が立体的に映し出されていた。
音もなく船体が浮遊すると、自動的に格納庫のルーフトップが展開し、光沢を帯びた流線型の船体は、光の方向へと消えた。
「すまないが、メタシンクも持ってきてくれ」
適した代謝バランスに保つカプセル状の薬剤だ。
ベニーは医療キットの中から粘着質の特殊な合成繊維とメタシンクを手に取ると、ジークの腕の切断面に慣れない手つきで巻いた。
「助かったよ」
「長旅になるね……」
「行くしかないからな」
ベニーはコックピット側面に歩み寄り、船窓ごしにゆっくりと流れゆく星々を指でなぞっていた。
「腕……また生えてくるといいね」
「なら良いんだが、自分で切り落として贅沢も言えない。計画ではもっとスムーズに行くはずだったんだが、追手があんなに早いとは」
操縦席に座るジークの正面は大型スクリーンとなっており、360度のパノラマビューで宇宙の景色を映し出している。このスクリーンは、必要に応じて外部の景色を直接見ることも、データや映像を表示することも可能だ。
ジークはスクリーンを指さした。
「あの星雲を見て、クラストロだ。超新星爆発の残骸だよ。淡いブルーにピンクが絡み合って、まるで宇宙の彫刻のようじゃないか」
「きれいね。あそこまで行けるの?」
「行けないことはないが、近づけば美しさが失われるだけだ。観測可能な星雲は世代を超えて調査されて、多くの事が解明されたが、もうあそこはガスの溜まり場だ。何もない」
「あの二つのリングは?」
「あれはヴァルクタ星雲。こちらを見てるような姿だね。真ん中に白色矮星があって、以前はもっと輝いてた。あの星はもう終わりに近づいてる」
「詳しいんだね」
「ははは、これでも学者のはしくれだ。天文学以外にも、自然科学、地質学、生物学、バイオテクノロジーも学んだよ。興味があるならバイオリンクを開けばいくらでも学べる」
「私の腕にはバイオリンク付いてない」
「そうだった、残念。公的機関に属してないとな。そこのパネルを開いてごらん。アーカイブデータが残ってるから学問的なことは十分に学べる。この船の機能についてもね」
ベニーはパネルの中の半球状の物体に手をかざしてHDを起動させた。目的のトピックに触れると宇宙空間の外観図が投影され、彼らが飛び立った惑星を中心とした大きな球体が目を引く。
「この球体はなに?」
「それは、球体の範囲を超えてはならないってこと。半径680億光年と書かれてるだろ。予め安全が確認されてはじめてその外側を航行できる。勝手に危険なものを持ち帰ったら困るから、そういう規則になってるんだよ」
「ジークが言っていた未知の星に行くというのは、この範囲を超えるってことになるの?」
「そういうこと。だからといって君の問題を治せる保証はない。新しい環境に賭けてるんだ。といっても、その為に長い間研究したんだから勝算はあると信じてるよ」
「うまくいっても戻れないって言ってたね」
「仕方がない。仮に戻ったとしても手配されてるんだから。収容施設で働きたいか……未練はないだろう?」
ベニーが抱える問題は、未知の病であり、原因は不明である。現状は発声に軽い初期症状が出た程度だが、次第に運動機能が失われていくものだった。
ジークの研究生活の後半は、ベニーの病の原因究明に尽くしてきた。彼は専門外の分野にも、雲を掴むような思いで手を広げ、辛苦を重ねた結果、原因が環境要因や遺伝的要因にあるという考えに至った。
ジークが追われた理由は機密資料の窃盗であり、それは生物を構成する最小単位の設計図に相当するものである。
二人を乗せたライフシーカーは、プラズマの放射に包まれ、真空エネルギーを推力に変換しながら周囲の空間を折り畳んでいく。彼らを歓迎しているかのような漆黒の空間が、宇宙の神秘を解き明かしてくれと言っているように見えた。
ベニーは興味津々な顔つきで、宇宙の構造と題された文献に目を通していた。"宇宙に終わりはない"という言葉に首をかしげたまま動いてない。
「あの光を見てごらん」ジークはスクリーンを指さした。
「プリズンと呼ばれる天体で、物質が吸い込まれて光ってる。重力エネルギーを開放してね。船の反重力システムがなかったら、今頃はあの光に飲み込まれてる。仮にそうなったとして、どうなるのかは知らないけどね」
「なんだか宇宙って怖いし難しいね。他の危険はない?」
「ライフシーカーは平気だ。はるか昔は、微小隕石や放射線が問題だったらしいが、今ではプラズマや磁気シールドがそれらを防護している」
「でも球体の外側は未知の世界なんでしょ」
「その通りだ。知識がないことは怖いが、いずれにしても行くしかないから何が起きたとしても受け入れるしかないんだ」
「そうだね。じゃあ、そうなる前に力をつけておこう」
ベニーはコックピット裏のエクゾリザーブ(食糧庫)へ走っていった。
「はい、スターフロウとネブラブリュー」
どちらも半透明で内容物は不明だが、甘味なエネルギー飲料である。
「おや、助かる。いいかい、こうやって二つを混ぜ合わせると、旨味が倍化するのは僕の最初の研究成果と言えよう。知らないだろ?」
ベニーの顔は泡まみれになって、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
「ははは。蓋をすぐ閉めないとそうなる」
突如、船内にアラート音が響く。
ナビゲーション「航路上に大型惑星を検出。重力圏外に迂回可能です」
ジークは慌てる様子もなく、正面スクリーンに次々に映し出される情報を追っている。状況を理解できないベニーはうろたえていた。
「なに、なにが起きてる?」
「心配はない、恒星を除いた一定以上の大きさを持つ天体を航路に捉えるとアラートが鳴る仕組みなんだ」
「びっくりしたよ。旅が始まったばかりなのに」
「予防的なものだよ。手動でも自動航行でも衝突はありえない。これはオフにしておこう」
「本当にいいの?オフって言葉がなんだか怖い……」
「それよりスクリーンを見て。リングが二つ見えるだろ?あれはガス巨星だ。まだ実態は掴めないが、もうすぐ本当の大きさに驚くよ」
ライフシーカーは静かに空間を進み、目の前に浮かび上がる巨大なガスの塊に接近していく。その星は圧倒的な存在感を放ち、彼らの視界にその全貌が徐々に現れてくる。
船窓やスクリーンが見知らぬ色彩に染まり始める。船体が振動しているような錯覚さえ覚える。ベニーは感じたことのない恐怖心と好奇心が錯綜し、鼓動は高鳴り、指先は小刻みに震え、目を細めて様子を見ていた。
「ぶ、ぶつからない?」
「うん、この船はぶつからない限り無敵だ。いいかい、これからリングの間を抜けてみる。そこで何が見えるのかは僕も知らない」
ナビゲーション「スラスター修正。接近速度を維持」
ガス巨星は、鮮やかな帯状の雲が幾重にも重なり合い、独創的な模様を描いている。惑星の大気は色彩に満ち、青を基調として、緑、白の渦巻きが混ざり合い、絶えず変化する風景を作り出していた。
惑星に接近するにつれ、その巨大さがますます明らかになる。
ジークは解析パネルを開いた。すると即座に惑星の大気の詳細がスクリーンに描かれ始めた。
ベニーは左右の船窓を行き来している。彼女の目に飛び込んだ光景は、厚い雲の層が重なり合い、その中に無数の雷が閃光を放ち、巨大な嵐の渦が迫ってくると、その中心に向かって強力なジェット噴流が放出されていた。
更にジークはエコシミュレーターを起動した。これは異星の生態系を再現するためのシミュレーターであり、多様な地形や気候条件を再現し、既存生物の行動や適応を研究することができる。
「ほとんどヘリウムと重金属だ。大きな変化は見られないな。生命の痕跡も確認できない。しかし、リングの構成物質は……」
「きれい……」ベニーは、何もかも吸い込まれるような光景の中に、ひとつひとつ美しさを見つけ出すと、スクリーンの前で座り込んだ。
「ベニーすごいぞ、リングが何でできてると思う?」
「リングってどこ?」
「さっき遠くから見えただろ?僕たちは既にリングの中にいるんだよ。最初にリングを見たときは、単なる氷か岩石の集合体だと思ったんだ」
「散らばってるあの岩石のこと?」
「うん、あれを分析したんだが、驚くなよ、それぞれ構成物質の半分はダリーで出来ていた。よく見ればほら、きらきらと光ってるじゃないか」
大小さまざまの岩石群が、波紋のように秩序立った列を作っている。ある岩石は、スパンコールのように輝くピンクで化粧をし、ある岩石は、蒸気のようにガスをなびかせて、私が先だと言っているようだ。
「信じられない……私、ダリーが希少なことくらい知ってる!」
「このガス巨星は調査されていたはずだが、リングは手付かずだったんだ。よし、少し頂くことにするか」
「盗んでもいいものなの?」
「誰に怒られるって言うんだよ。やってみるか?指先ひとつで簡単だ」
「私にできるのだろうか……」
「いいかい、サイドハッチの隣にハーベイという装置がある。黒いキーを押せば自動的にスタンバイするから、HDの案内に沿って項目をダリーにセットしろ。僕がもう少し船を接近させればハーベイに岩石が映るはずだ。すると青いランプが点灯するからそれを押せばいい」
「わかった。だけど、どきどきするなあ」
ベニーの手により一筋の光線が岩石に照射されると、粉末状のものから小石大のものまで、光の軌跡に沿って引き寄せられた。それらは透明な管を通過して分離機に送られ、さらに研磨機にかけられ、1キロ相当のダリーが抽出された。
「これ面白いなあ、ずっとやっていたい」
「もう十分だよ。ダリーを元手に病が治るならもっと集めればいいが、知識が買えるわけじゃないからな。あまり寄り道しているわけにもいかない。先を急ごう」
ベニーは船体後部の船窓まで走っていった。名残惜しさを内に秘め、小さな手が静かに振られていた。神秘と威厳を感じる旅の番人は、希少なダリーの豊かさに、どこか気高さをも感じさせた。
「ここから約50億光年くらいかな、ある惑星で最初のサンプルを採取することになるが、ダリーの件もあるし、アーカイブデータはあまり信頼できるものじゃないな」
「一体なんの話?」
「ああ、すまない。詳しい計画は話してなかったな。とにかく、僕たちは四つのサンプルを手に入れる必要があるんだ。こればっかりは厳重管理された研究資料で、とても盗めるものじゃなくてね」
「盗んだのはどんなものなの?」
「あれは設計資料だ。四つをどのように組み合わせれば良いかについて、あくまで暫定の成果が書かれているだけだ。とにかく、これから一つ目のサンプルを採取しに行くよ」
「50億光年かあ……」
「10日くらいだ。付近までは自動航行だからゆっくりできる。それまでは……折角だし、ガス巨星からの贈り物を有効に……一緒に来て」
ジークは船室後部にある加工作業台に座った。台座の上には、白鳥の首を思わせる形状をした、シェイパーという高度な精密工作機器がある。
「直径2センチくらいのダリーを選んでくれるか」
ベニーは直径8センチほどのダリーを手に取ると、にやっとした。
「何を期待してるんだ?2センチだよ2センチ」
脱力した顔つきをベニーに向けると、彼女は握った両腕を前に差し出した。
「さあ、入ってるのはどっちだ?」
ジークは半笑いの表情を保ち、自ら適したサイズを探した。
「うん、ちょうど良い。こうやってトレーにしっかり固定して、項目をリングに合わせる……どれがお好みですかお嬢さま」
ベニーは人差し指を鼻の穴に入れて決断に迷ってる様子だ。そろそろしびれを切らしたジークは適当に指をさした。
「これにしようこれ、僕はこれが気に入った」
ベニーは画面を遮る指をハエを払うように叩くと、リングのサンプル画面にべったりと顔を近づけ、挙句に、決断できない原因を画面のせいにしはじめた。そして数時間後。
「ジーク、私は覚悟を決めたよ、ついに決断……あれ?」
ジークはもう寝ていた。ベニーは寄り添うように身体を横にすると、迷い疲れたのか、間もなくうとうとしはじめた。
二人は夫婦でもなければ、ましてや恋人同士でもない。一人の研究者の、学問に対するひたむきな熱意と、未知の病と診断され、未来を悲観した患者の思いが、世界を創造した何者かによって、まさに引力のように、互いを引き合わせたと考えざるを得なかった。
目を覚ましたベニーは、夢遊病者のようにシェイパーに向かうと、ひたひたという足音にジークは目を覚ました。
「ベニー、左手だよ」
ベニーは目の前にかざした指にリングがはまってることに気づくと、走り出してはジークの懐に飛び込み、さっそく疑問を投げつけた。
「なんでわかった?」
「ははは、本当?だとしたら偶然だ」
ダリーのリング。見た目はシンプルだが、ベニーの名が刻印されていた。
