🇿🇦南アフリカ編17-2 | 世界を渡り歩く81歳の年金バックパッカー【教科書に載っていない世界一周】
「80歳を超えた日本人が、アフリカで一人旅をしてるらしい」
そんな噂を初めて聞いたのは、ケニアだった。
しかも、団体旅行でも豪華客船でもない。若者と同じように大きな荷物を背負い、安宿に泊まり、バスやトラックを乗り継いで世界を渡り歩くバックパッカーだという。
日本人の長期旅行者の間では、「年金バックパッカー」として知られているらしい。80歳を超えて、なぜそこまでして旅を続けるのだろう。
どんな人なのか、会って話を聞いてみたいと思った。
(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)
👒タンザニアのバスから見かけた老人
初めて見かけたのは、🇹🇿タンザニアだった。
バスの窓から、麦わら帽子をかぶった東洋系の男性が道を歩いているのが一瞬見えた。年配のようだが、どんな人なのかは分からなかった。
次に見かけたのは、🇿🇼ジンバブエの安宿だった。
宿に到着すると、入れ違いにその男性は荷物を持って出発。
「こんにちは〜」と挨拶を交わしただけで、
名前を聞く間もなく姿を消した。
見た目は60歳くらい。
80歳を超えているようには、とても見えなかった。
その後、宿にいた日本人旅行者から、
「あの人が有名な年金バックパッカーの水津さんだよ」
と教えられた。
しまった!もっと話しておけばよかった。
せっかく目の前にいたのに、
誰なのか分からないまま見送ってしまった。
互いに行き先も日程も決まっていない旅人同士。
もう二度と会えない可能性の方が高かった。
🛏️ケープタウンで相部屋に
それから1か月後。
南アフリカでケープタウンの安宿に入ると、
そこには麦わら帽子と白い口ひげの男性がいた。
まさかと思いながら声をかけた。
「ひょっとして水津さんですか?」
男性は少し驚いた表情を見せた。
「以前、ジンバブエで少しお会いしたんです。
あとで水津さんだと聞いて、
もっと話をしておけばよかったと思っていたんですよ」
そう事情を話すと、すぐに打ち解けることができた。
会いたいと思っていた旅人と、
広いアフリカの南端にある安宿で一緒になった。
旅をしていると、ときどきこのような偶然の再会が起こる。
翌日から2日間、ぼくは水津さんと一緒にケープタウンを回った。
⛰️81歳と歩いたテーブルマウンテン
ケープタウンの背後にそびえるテーブルマウンテンと、
喜望峰を一緒に訪れた。
彼は当時81歳。その姿には、どこか仙人のような雰囲気があった。
しかし、一緒に行動してみると「老人」という印象は全くない。
80代の人と旅行するとなれば、
歩く速度を合わせたり、
頻繁に休憩したりする必要があることも多い。
だが、そのような気遣いはほとんど不要だったのだ。
普通にスタスタ歩き、普通に会話し、
ぼくらと同じように自分の荷物を持って移動する。
60代ほどに見えたのは、単に顔や体が若々しかったからではない。
歩き方、話し方、周囲を見る目の動きまで、
年齢を感じさせなかったのである。

🧳定年後17年間で60か国以上
大阪で生まれた彼は、
戦前に満鉄(満州鉄道)の関係会社に勤め、
その後は日本の電機メーカーで定年を迎えたという。
本格的に海外を旅するようになったのはその後だった。
それから17年間、年金をもらいつつ、
安宿に泊まりながら60か国以上を回ったそうだ。
今回の旅も、日本を出発してからすでに1年半が経過していた。
ホテルを予約して観光バスで名所を回るような旅ではない。
現地のバスに乗り、安宿の相部屋に泊まり、
状況によってはヒッチハイクもする。
旅の仕方は、ぼくら若いバックパッカーと変わらなかった。
親兄弟にはすでに先立たれ、
身近な家族はいないとのことだった。
だから旅を続けられるのかもしれない。
しかし、時間が自由に使えるからといって、
80歳を超えてアフリカを一人で歩こうと考える人は、
あまりいないのではなかろうか。
🚣 80代とは思えない旅のスタイル
さらに驚いたのは、旅先での行動だった。
水津さんは少し前に、ビクトリアフォールズでの
激流のラフティング(いかだ下り)にも挑戦していた。
急流を下るコースで、ゴムボートが激しく揺れ、
参加者が川へ放り出されることもある。
若者でも覚悟の要るアクティビティだった。
それだけではない。
スカイダイビングもする。
スキューバダイビングもする。
チベットでは、ラサからジープで未舗装の道を
片道1週間もかかるカイラス山まで行った。
🇵🇪ペルーでは首絞め強盗にも遭った。
そして🇪🇹エチオピアから🇰🇪ケニアへは、
トラックをヒッチハイク。
荷台の鉄パイプにつかまりながら、
悪路を2日間耐え続けたという。
ただ、水津さんは自分の冒険を
自慢するような話し方はしなかった。
特別なことをしたというより、
行きたい場所へ行くために、
必要な方法を選んだだけ
という様子だった。
🧠旅を続けるから若いのか
80歳を超えた人に対して、ぼくは無意識に
「体力が衰え、行動範囲も狭くなった人」
というイメージを持っていた。
水津さんは、そのイメージを完全に覆した。
もちろん、誰もが81歳で急流下りや
長期旅行をできるわけではない。
体力にも健康状態にも個人差がある。
それでも、人間が老いていく速度は、
実際の年齢だけでは決まらないのだと思った。
旅をしているから若いのか。
若い気持ちを持っているから旅ができるのか。
おそらく、その両方なのではなかろうか。
💬「いろいろ見てみたいんじゃよ」
長い人生を生き、多くの国を歩いてきただけに、
水津さんの話には重みがあった。
戦前の満州や太平洋戦争についても、
自分の体験談として語ってくれる。
教科書で読んだ歴史を、
実際にその時代を生きた人からアフリカの
安宿で聞くのは、貴重な体験だった。
ぼくは尋ねた。
「何を求めて旅をしているんですか?」
長年旅を続けてきた人なのだから、
人生や世界について、何か深い答えが
返ってくるのではないかと思った。
しかし、水津さんの答えは単純だった。
「やっぱり、いろいろ見てみたいんじゃよ」
そして
「まだまだ行ってみたい所があるんじゃよ」
と続けた。
「畳の上で人生を終えるより、
旅先で最期を迎えるのが理想なんだよ」
とも話していた。
旅が危険でも、体力を消耗しても、
最後まで自分の目で新しいものを見ながら
生きたいということなのだろう。
世界を60か国以上歩き、81歳になっても、
まだ見たい場所が残っている。
結局、水津さんを17年間も旅へ向かわせていたのは、
そんな単純な好奇心だったのかもしれない。
👣何歳になっても、次の場所へ
ケニアで噂を聞き、タンザニアで一瞬見かけ、
ジンバブエでは10分違いですれ違った。
そして最後に、ケープタウンの安宿で同じ部屋になった。
僕が水津さんと過ごしたのは、わずか2日間だった。
それでも、81歳になってなお
「まだ見てみたい所があるんじゃよ」
と話す姿は、ずっと記憶に残っている。
あれから僕も歳を重ねた。
何歳まで旅ができるのかは分からない。
ただ、ぼくも何歳になっても、好奇心を失わずにいたい。
いつか水津さんと同じ年齢になったとき、
「まだ見てみたい場所がある」と言える人間でいたいと思う。
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