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🇷🇼ルワンダ編10-2| なぜ“普通の人”が虐殺に加わったのか【教科書に載っていない世界一周】


(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)

🌿 穏やかな国の“もう一つの顔”

穏やかで美しいルワンダ。
なだらかな丘と緑に覆われた風景からは
この国で起きた出来事はとても想像できなかった。

1994年。わずか約100日間で人口の約1割
80万から100万の人々が命を落とした。
世界を震撼させたルワンダ大虐殺だ。

その現場が、ほぼそのまま残されている場所があると聞いた。
せっかく東アフリカまで来たんだから、自分の目で見ておくべきだ。
そう思った。

⚔️ なぜ虐殺は起きたのか

ルワンダには、大きく二つの民族が存在していた。
多数派のフツ族と、少数派のツチ族

もともとは同じ土地に住み、同じ言葉を話し、外見も大きな違いはない
だが植民地時代、宗主国🇧🇪ベルギーは両者を明確に区分し、少数派ツチ族を支配層として優遇。多数派フツ族との間に強い分断を作った。

ところが独立後、民主化の流れもあり多数派フツ族が政権を握る
すると今度はツチ族が迫害される側となった。

そして1994年4月。
🇷🇼ルワンダと隣国🇧🇮ブルンジの大統領を乗せた飛行機が撃墜される。

これをきっかけに、虐殺が始まった。
フツ族主体の政府や軍、ラジオが国民に向かって繰り返し呼びかけた

「敵を排除しろ」
「ゴキブリを駆除しろ」

さらにラジオでは、
「○○にツチ族が隠れている」
など具体的な情報まで流され、人々は集団で襲撃に向かった。

こうして虐殺は、軍だけでなく“国民全体”を巻き込む形で広がっていった。犠牲者にはツチ族だけでなく、少しでも同情的と見なされたフツ族も多く含まれていた。

🚌 現場へ向かう

首都キガリからミニバスで2時間
小さなミニバスに乗り換えて更に2時間
次に乗り換えたのは自転車タクシー。東南アジアにはバイクタクシーがあるが、アフリカにはなんと自転車のタクシーもあるのだ。荷台にまたがり、舗装されていない道を砂埃を上げながら1時間走る。
周囲には人影もまばらな丘陵が広がってきた。
ようやく辿り着いたのがギコンゴロ村、
少数派ツチ族の村だった。

かつてここには、約2万7千人が暮らしていたという。
そのうち生き残ったのは、わずか4人だった。

🧍 生き残った人から感じられたこと

現地ではその4人のうちの一人に会うことができた。
40歳前後の男性。こめかみに2cm程度の大きなくぼみがあった。襲われたときに、斧で殴られた跡だという。
そのとき、妻と3人の子どもは全員殺された。
彼だけが、命からがら山へ逃げ延びて生き残ったという。

当時の惨劇を語ってくれた彼の話し振りは、
まるで残りの人生全てを諦めているかのような
淡々とした口ぶりだった。
心の中にぽっかりと大きな穴でもあいているかのような話ぶりだった。

🏫 「記念館」と呼ばれる場所

当時の学校が残されていた。そこは「虐殺記念館」と呼ばれている。
案内されて中に入る。

説明板もなければ、整備された施設でもない。
ただ、当時の校舎がそのまま残っていた。

「虐殺記念館」

しかし、中に入ると強烈な匂いがした。
甘いような、酸っぱいような強い匂い

最初に入ったのは体育館。
数本の長いロープが張り渡され、何十着もの衣服が吊るされていた。

セーターやジャンパー、シャツ。どれも黒ずんでいる。
血と泥が、今もそのままこびりついていた。

虐殺が終わった後に、土の中から掘り起こされたものだった。

掘り起こされた衣類

👃 初めて嗅いだ“死の匂い”

教室へ向かう。近づくにつれ匂いは強烈になる。

教室に入り、匂いの正体がわかった。
それは初めて嗅いだ「死臭」というものだった。

甘いような、酸っぱいような、これまで嗅いだことのない濃厚な匂い。
それが死臭、死体の匂いだった。

🧍‍♂️ 残されていた数百の遺体

20くらいあった各教室には、数百の遺体が安置されていた。
それらも事後に掘り返されたものだった。
白い石灰のようなものを振りかけて腐敗を止めてある
半ばミイラ化したものもあれば、白骨化したものもある。

しかし多くは、殺された当時の姿のまま残されていた。

紫色に変色した服を着たままの男性。
後頭部が半月状にえぐられていた

髪の毛が残っているものもある。

なかでも子どもの遺体が多く、頭や顔を激しく殴られた跡が残っていた。

そこから感じとれたのは、単なる殺害ではなかった。
民族を「根絶やし」にしようとする意思だった。

💍 忘れられない一体の遺体

その中で、どうしても目を離せないものがあった。

一人の女性の遺体だった。
首にかけたネックレスを、
右手でしっかりと胸の前に握りしめていた
骨だけになっても、その形は崩れていなかった。

家族にもらったのかもしれない。
恋人から贈られたものだったのかもしれない。

ネックレスを握りしめながら理由なく殺されていった時の、
彼女の無念さを考えると目頭が熱くなってきた。

案内してくれた彼は言った。
「ここにある遺体のほとんどは、知り合いだ」

何百体もある遺体のほとんどが、友人や近所の人間。
それをこうして、外国人に案内し続けている彼の気持ちは、どんなだろうか。想像することすらできなかった。

🧍 「普通の人」がやったこと

帰り道、バスを待っていると現地の青年に声をかけられた。

「見てどう思った?」
そして、こう言った。

「ここにいる人たち、普通の人に見えるだろ?」
「でも、普通の人でも、あんなことができるんだよ。。。

その言葉を聞いたとき、人間というものの持つ一つの側面を垣間見たような気がして、背筋が凍った。

確かにここで起きたことは、特別な人間がやったのではなかった。

「どこにでもいる普通の人々」がやったことだった。

この出来事は、なぜ起きたのか。
そして、なぜ人はここまで残酷になれるのか。
その答えは簡単に出せるものではないのだろう。

🌧️ 惨劇を乗り越えて生きる人々

村の中では、人々が普通に暮らしていた。
子どもたちは遊び、大人たちは畑で働いている。
とても数年前に、あのような惨劇があったとは思えない。

ただこの国の女性は、周辺の国々と比べて、少し肝が据わっているような印象を受けた。愛想笑いもせず、どっしりと落ち着いている人が多かった。悲惨な光景を多く目の当たりにし、乗り越えてきた結果なのだろうか・・・。

虐殺記念館を見学してしまうと「怖くて夜も眠れなくなるのでは」と思っていたが、実際には違った。

目にした死体の数があまりに多すぎて、逆に現実感が湧いてこなかったのだ。🇮🇳ガンジス川でもそうだったが、「死」というものは🇯🇵日本で感じられるより、実際には遥かに身近な存在。「我々の生きている世界は、死に囲まれて存在する」ということをあらためて実感させられた一日だった。


次回はいよいよ🇹🇿タンザニアに入国します(初めてプロの窃盗に遭遇)。

こんな🇷🇼ルワンダという国の本質について
もし興味がありましたらこちらをご覧ください↓

【旅のルート】

  • 1/3カンパラ(ウガンダ):ケニアよりバス14時間

  • 1/4キガリ(ルワンダ):バス8時間

  • 1/5 ブタレ(ルワンダ):バス2時間

  • 1/7 タンザニア国境:バス2台9時間

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