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🇺🇬ウガンダ編9-1| ナイル川の始まりは想像と違っていた【教科書に載っていない世界一周】

ケニアからウガンダの首都カンパラへ夜行バスで移動。
深夜に国境を越え、ナイルの源流を通り過ぎる。
日本人のいない場所なのに、日本語が氾濫していた。


(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)

🌙 夜行バスで国境を越える

🇰🇪ケニアの首都ナイロビから、夜行バスで隣のウガンダへ向かう。

日本人宿で一緒になった女性と同行することに。30代半ばの一人旅。
商社の仕事を辞め、これからアフリカを一周するという強者(つわもの)だ。🇪🇬エジプトから南下し、ナイロビに着いたばかりだった。この旅は3週間後に彼女の人生を大きく変えることになる。僕らはまだそのことを知らない。

夕方、バスはターミナルを出発。
乗客はほとんど現地人。外国人はほとんど見かけない。

窓の外には、広大な草原と大地溝帯の風景が続く。
やがて暗くなり、車内は静まり返る。舗装もまばらな道を、バスは揺れながら進んでいった。

深夜になりバスが突然止まった。
「降りろ」
国境だった。

全員が外に降ろされ、出入国手続きが始まる。
小さな小屋の前に、数十人の乗客が並ぶ。
明かりは白熱灯が数個あるだけ。
国境でも黒人以外の姿は見当たらない。

一時間以上待たされる。
ふと見上げると空には満月。
漆黒の大地を、月明かりが照らしていた。

ようやく手続きが終わり、再びバスへ戻る。
気がつけば、そこはもうウガンダだった。
とはいえ、あたりは真っ暗で、国境を越えた実感はほとんどない。

途中のドライブインらしき場所で休憩があった。
トタンで作られた粗末な小屋。売られているのは、ゆで卵くらい。ケニアよりも、さらに貧しい場所に来たことははっきりと分かった。

🌅 ナイル川の“はじまり”

やがて夜が明ける。
数時間走ると、風景がゆっくりと変わっていった。
起伏の少ない平地へと降りていく。
その途中で、大きな川を渡った。
それが、ナイル川の源流だった。

ナイル川といえば、エジプトを流れ、地中海へと注ぐ世界最長の川。それが、こんな穏やかな場所から始まっている。しかもその川は、想像していた“川”とは違っていた。

あまりにも水量が多く、広くゆるやか。2ヶ月前に渡った茶色の黄河とは全くの別物。川なのか、湖の一部なのか分からないほどだった。

ナイルの源流(むこうがビクトリア湖)

🌧️ 首都カンパラは泥だらけ

首都カンパラに到着。ナイロビを出発して14時間後だ。
宿にチェックインし街を歩いた。

カラッとしていたケニアとは違い、空気は湿っている。
ちょうど雨季だったらしく、舗装されていない道は泥でぬかるみ、歩くだけで靴はすぐ泥だらけになった。

夕方、戻るとフロントでろうそくを手渡された。
「今夜は電気が来ない」
停電は日常的なものらしい。
少し肌寒く、外では雨が降り続いていた。

🚐 街にあふれる「日本語」

翌日、街を歩いていて、不思議なことに気づいた。
いたるところに、日本語があったのだ。

走っているミニバスの多くが、日本から来た中古車だった。
単なる日本車ではない。
「○○市婦人消防団」
「○○建設」
「○○運輸」

そう書かれたままの車が、そのまま走っている。
日本では役目を終えた業務用の車が、塗装もそのままに中古車として輸出され、ここでは現役で使われているのだ。

ときには救急車まで走っている。
習志野市」と書かれた救急車も見つけたので乗ってみたいと思ったが、行き先が分からず断念した。

日本人などほとんど見かけないこの街で、
見慣れた文字だけがあふれている。
どこか懐かしく、そして少し不思議な光景だった。

カンパラのバスターミナルは日本のミニバスの宝庫だった

🌿 「アフリカらしくない」風景

さらに意外だったのは、この国の風景だった。
そこには、いわゆる「アフリカらしさ」がほとんどなかった。

ウガンダは高原に位置しており、気候は穏やかで過ごしやすい
丘陵地帯には緑が広がり、どこまでもなだらかな風景が続く。

その様子は、いわゆる“アフリカのイメージ”とはかなり違う。むしろ、北海道や千葉のゴルフ場のような景色に近かった。

後になって知ったことだが、この土地はかつてイギリス人にとって非常に居心地の良い場所だった。
気候は穏やかで、高原にあり過ごしやすい。彼らはこの地を気に入り、入植して森林を切り開き、芝生を植え、外来の樹木を持ち込んだ。
風景そのものを「作り変えた」のだ。

🇬🇧大英帝国の首相だったウィンストン・チャーチルがこの国を「アフリカの真珠」と呼んだのも、そうした背景がある。

ウガンダは、単なる貧しい国ではなかった。
そこには、人工的に作られた風景があり、
その上で人々は生活していた。

ただ、その裏にはもっと重い歴史があった。
それは、この静かな街の表情からは、想像しにくいものだった。
(続く)

ウガンダの美しい茶畑

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