🇹🇿タンザニア編11-2| 「部屋の中なら安全」は幻想だった〜アフリカで遭った最も巧妙な盗難【教科書に載っていない世界一周】
翌朝、部屋の鍵は閉まったままだった。
荷物も荒らされた形跡はない。
それなのに、カメラと25万円相当のトラベラーズチェックだけが忽然と消えていた。
(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)
🔓ホテルの部屋はきちんと施錠
話は前日の夜に遡る。
長距離バスで首都ダルエスサラームに到着。
東アフリカ最大の都市だけあって、それまで通ってきた地方都市とは規模が違った。数階建てのホテルも珍しくなく、ようやく戻ってきた都会。
既に暗くなっていたので、手頃なホテルを見つけ、荷物を部屋に置いて夕飯を食べに出かけた。
アフリカでは夜道は危険なので、貴重品を持ち歩くべきか。
悩んだ末、カメラなど一部の荷物は部屋に残していくことにした。
部屋の鍵はしっかり掛け、戸締まりも確認。
夕飯を終え、部屋に戻るときちんと鍵をかけ、ベッドに入った。

🎩 芸術的な犯行
異変に気付いたのは翌朝だった。
荷物を整理していると、バックパックに少しだけ余裕があるのに気づく。
中身を出して確認すると、カメラが見当たらなかった。日本から大切に持ってきた思い入れのあるカメラ。チベットの山々も、インドの街並みも、これまで見てきた景色のほとんどはこのカメラで撮影してきた。
もしやと思い確認すると、バックパックの奥に隠してあった数十ドルの現金と、トラベラーズチェックも見当たらなかった。
だが、いつ無くなったのか。全く見当もつかない。
バックパックの中は、服も本も旅道具も、すべて元のまま。
まるで誰も触っていないかのようだった。
だが、一番奥に隠していた物だけが忽然と消えていた。
記憶をたどると、荷物から目を離した唯一のタイミングは前夜。
夕食へ出かけたわずか1時間の間だけ。
唯一の痕跡は、バックパックの底に入れていたスーパーのナイロン袋が一枚、床に落ちていたこと。なんでこんなところに??と不審に思ったが大したことではなかったので、そのまま就寝。
夕飯に外出した1時間の間で、“賊”は部屋の鍵を開けて侵入した模様。
ぼくの荷物を全て、ベッドか床へ広げ、金目の物だけを抜き取り、残りは”元の順番通り”に綺麗に詰め直した、と考えられる。
敵ながら見事な手際だと言わざるを得ない。まるでプロの職人による「匠の技」を見せられたような気分だった。
💥 「部屋の中は安全」が崩れた
金額だけを見れば、被害は軽かった。
パスポートも、大部分の現金も身につけていたからだ。トラベラーズチェックも最終的には再発行できた(ものすごく大変だったが)。
だが、問題はそこではなかった。
ショックは2つ。
一つ目は「ホテルの部屋の中なら安全」という自分の中の神話が崩れたことだった。犯人はホテルに自由に出入りでき、合鍵を持つ人物。ホテル関係者だったのかもしれない。
それまで海外で大きな盗難被害に遭ったことはなかった。
四六時中注意を怠らなかったからだ。
しかし今回は違った。
稀にホテルに預けた物が盗まれたこともあったが、今回は鍵を掛けていたのに盗まれたのだ。
💰 本当の貴重品とは何か
そしてもう一つは盗まれた物だ。
お金は取られた。だが、お金はまた稼げばいい。働けば取り戻せる。
だが、思い出のある物(今回はカメラ)や写真は取り戻せない。
ぼくはこの時初めて気付いた。
旅人にとって本当に大切なのは、「貴重品」ではないのだ。
お金(いわゆる貴重品)よりも、思い出の品や写真の方がずっと価値がある。盗むなら、お金だけにしてほしかった。
👮 タンザニアでの盗難は解決できない
盗難に遭ったことを確信してすぐ、警察へ届け出た。
だが、書類を作るだけ。捜査する気配は全くない。盗難など日常茶飯事なのだろう。
ホテルへ戻り、オーナーに直談判に行った。
「部屋に鍵は掛けていたんです」
そう言うと、オーナーから即時に言い返された。
「だからなんだ? 荷物を部屋に置いていく方が悪い」
「フロントへ預けていない物については責任を負うつもりはない」
一瞬耳を疑った。
日本なら考えられない対応だ。
だが彼にとっては、それが当たり前だったのだろう。
部屋に置けば盗まれる。
だから盗まれたくない物はフロントへ預ける。
それがここでは常識だったようだ。
アフリカは想像以上にシビアな世界だった。
⛴️ 失意のままザンジバルへ
せっかく楽しみにしていたザンジバル行きだったが、その時のぼくは観光どころではなかった。そんな状況でも先へ進むしかない。心が折れたままフェリーに乗り、ザンジバル島に到着した。
そこは首都ダルエスサラーム沖合に浮かぶ島。実は「タンザニア」という国は、本土側の「タンガニーカ」と、島国だったこの「ザンジバル」が統合して誕生した名前。
そして中心都市ストーンタウンは、かつて、あの中東の🇴🇲オマーンが海洋帝国だった時の首都だった場所。現在のオマーンから3,000kmも離れているにもかかわらず、19Cにはここを拠点として奴隷や香辛料の交易が行われていた。

🕌 アフリカではないような町
ストーンタウンは細い路地が複雑に入り組み、イスラム圏特有の迷路のような街だ。住民の大半もイスラム教徒。
どこか穏やかで、南国らしい開放感があった。オマーン時代の要塞やスパイス農園を巡るツアーに参加。香辛料貿易で栄えた島の歴史を知ることができ面白かった。
🏝️ 久しぶりに「ほっ」とした
延々と続く遠浅の綺麗なライトブルーの海。足首ほどの深さの海が、はるか沖まで続いていた。
ゆっくり流れる時間。そこでは日本人女性が一人で経営するバンガローに泊まった。異国の地で10年近く宿を経営しているという。
昼はシュノーケリングを楽しみ、夜はココナッツミルクで煮込まれたロブスターを味わった。全く気の抜けないアフリカ本土とは対照的に、ここには穏やかな時間が流れ、久しぶりに「ほっ」とすることができた。
盗られたものは戻らなかった。
だが、ザンジバルでの穏やかな数日のおかげで、ぼくは再び旅を続ける気力を取り戻した。
この日以来、ぼくは「ホテルの部屋の中なら安全」という考えを捨てた。
旅先で本当に安全な場所は、案外どこにも存在しないのかもしれない。その現実を教えてくれたのが、ダルエスサラームのあのホテルだった。
<行程>
1/8 ムワンザ: ルワンダ国境よりバス10時間
1/10イシンダ: バス14時間
1/11 アルーシャ: バス10時間
1/13 ダルエスサラーム:バス9時間
1/14 ザンジバル: 船3時間
1/20 ダルエスサラーム:船2時間

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