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🇞🇿゚スワティニ・🇲🇿モザンビヌク・🇱🇞レ゜ト線14・15・16 |豊かな囜、壊れた囜、戊う囜【教科曞に茉っおいない䞖界䞀呚】

ゞンバブ゚を埌にしたがくは、
倜行バスで🇿🇊南アフリカのペハネスブルクぞ向かった。
次に蚪れるのは、南アを取り巻く぀の小囜。

たずは人口玄100䞇人の🇞🇿゚スワティニ圓時スワゞランド。
続いお、1,800䞇人の🇲🇿モザンビヌク。
そしお最埌に、200䞇人の山岳王囜🇱🇞レ゜トだ。

地図で芋れば隣り合う囜々だが、
実際に歩いおみるず、その違いは想像以䞊だった。

「豊かな囜」
「壊れた囜」
そしお「戊う囜」

わずか数癟kmの移動で、
これほど感じ方の異なる囜が存圚するのは少し意倖だった。


(この蚘事は110ヶ囜を蚪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001幎からの13ヶ月にわたる䞖界䞀呚を、珟圚の目線で振り返ったものです)

🛍豊かな囜 ― 🇞🇿゚スワティニ

🇿🇊ペハネスブルクからバスで囜境を越え、
最初に到着したのぱスワティニの銖郜ムババネ。
暙高1000mを超える高原郜垂で、
緑の䞘陵が続く颚景は、
🇚🇭スむスや🇊🇹オヌストリアの田舎町を思わせる。
䞘にはもやがかかり、幻想的な矎しさを醞し出しおいる。
アフリカ南郚で最も颚光明媚な囜ずも蚀われおいる。

がくが最も驚いたのは、
街の䞭心にあったショッピングセンタヌ。
日本のむオンを少し小さくしたような建物だ。
なんずドアは自動。

店内には冷房が効いおいる。
棚には掋服や電化補品、食料品がぎっしり䞊び、
明るい照明がフロア党䜓を照らしおいる。
しかも階建おで、゚スカレヌタヌたである。

数か月間アフリカを旅しおきたがくには、
東京のデパヌトのように芋えた。
あたりの快適さに思わず立ち尜くした。

店内のネットカフェぞ入り、
ゆったりしたむスに腰掛ける。
久しぶりにメヌルを確認し、
旅行蚘を曞き進めた。

気が付くず䞉時間近くも過ごしおいた。
窓の倖ではスコヌルのような激しい雚が降っおいたが、
店内は別䞖界だった。
倧げさではなく、「文明に垰っおきた」こずを実感し、
少しだけ目頭が熱くなった。

圓時の゚スワティニの䞀人圓たりGDPは、
アフリカ諞囜平均の玄倍。
南アずの経枈的な結び付きが匷く、
その豊かさは街を歩くだけで䌝わっおきた。

🏚壊れた囜 ― 🇲🇿モザンビヌク

ムババネでは、モザンビヌクのビザを取埗し、
二日埌には銖郜マプトぞ向かった。
゚スワティニずの囜境から100kmほどだ。

しかし、その100kmがあたりにも遠かった。
街ぞ入ったが、赀茶けた瓊瀫のようなビルが立ち䞊び、掻気はない。

ガむドブックで調べおおいた、営業しおいそうな安宿のあるビルぞ入った。

宿には䞻人が1人いただけ。
チェックむンを枈たせるず郚屋に案内された。
内装はコンクリヌトがほがむき出し。
掗面台の蛇口をひねるが、氎は出ない。

代わりに枡されたのは、
なみなみず氎の入ったキャップのない
2Lのペットボトル䞀本だった。
これで顔を掗い、歯を磚くのだった。

17幎間で玄100䞇人が犠牲になった内戊が
終わり10幎が過ぎおいたが、
街にはその傷跡が色濃く残っおいた。

歩いおも歩いおも商店は数えるほどしかない。
道路も閑散ずしおおり、銖郜なのに車は数えられるほど。

ようやく芋぀けた食堂ぞ入った。
だがメニュヌは、「チキン」「ビヌフ」「魚」の皮類だけ。
味はずもかく、そこは食事を楜しむような堎ではなく、
”日々の生掻のために食べる堎所”だった。

昚日゚スカレヌタヌが䜿えた゚スワティニからわずか100km。
それだけで、ここたで生掻氎準が倉わるものなのか。
あたりの萜差に蚀葉を倱う。
がくにずっおは泊が限界の囜だった。

ただ、察照的にこの囜で最も印象に残ったのは、
人々の芪切さだった。

道に迷えば向こうから声を掛けおくれる。
宿の䞻人に䞡替できる堎所を尋ねるず、
わざわざ自分のお金を払っおバスに乗っおくれ、
レヌトの良い䞡替所たで案内しおくれた。

もちろん芋返りなど求めない。
最初は䜕か裏があるのではないかず疑ったほどだった。
戊争で倚くを倱った囜だからこそ、
人ず人ずの助け合いが自然に身に付いおいるのかもしれない。

荒れ果おた街は奜きになれなかった。
しかし、人は奜きだった。
これたでアフリカで蚪れた囜で䞀番芪切な人の倚い囜だった。

再建された珟圚のマプトのホテル

🏔戊う囜 ―🇱🇞 レ゜ト

再び🇿🇊ペハネスブルクぞ戻り、
次に向かったのはレ゜トだった。

人口玄200䞇人。
南アフリカに完党に囲たれた、
地理的に䞖界でも珍しい囜だ。

囜境を越えるず、
🇺🇞アメリカ䞭西郚のような也燥した高原がどこたでも続く。
土地は痩せ、サボテンが目立぀。

平均暙高は玄2,000mであり、
囜土党䜓が暙高1,000mを超える䞖界唯䞀の囜。
本圓は山岳地垯たで足を延ばしたかったが、
亀通の䟿も悪く、
今回は幹線道路沿いを回るだけにした。

銖郜マセルも、🇿🇊南アフリカずの
経枈栌差を感じさせる街だった。
産業は少なく、囜民の人に1人が
南アフリカぞ出皌ぎに出おいた。

街を歩いおいお気になったのは、
囜境を越えた途端にパが目に芋えお増えたこず。
生掻氎準を物語っおいた。

さらに驚いた出来事もあった。
普通に道路を歩いおいるず、
䜕台もの車から怒鳎られた。
「邪魔だ」ず蚀われたようだ。
歩道など無かったこの囜では道は車のためにあるようだ。

倚くの運転手は家畜を远うためのムチを垞備しおるようで、
運転しながら邪魔になるものを叩くのだ。
がくも叩かれそうになり、慌おお逃げた。
こんな荒々しい経隓ができるのはアフリカならではで、
🇳🇬ナむゞェリア以来だった。

この荒々しい気質はどこからきおいるのか。
それは戊い続けおきたこの囜の歎史から
きおいるのかもしれない(埌述)。
いずれにせよ、同じアフリカ南郚でも、
囜が違えば人々の気質たで倧きく倉わるこずを実感した。

山がちなレ゜ト

👑同じ王囜でも、生き方は正反察

🇞🇿゚スワティニず🇱🇞レ゜トは、
珟圚も王制を維持しおいる぀しかないアフリカの
王囜である(もう぀は🇲🇊モロッコ)。

しかし、その歎史は察照的だった。
🇞🇿゚スワティニは、自分より匷い盞手ずは争わなかった。
🇬🇧むギリスずも🇿🇊南アフリカずも協調し、
経枈的な恩恵を受けながら囜を守っおきた。

䞀方の🇱🇞レ゜トは違う。
山岳地圢を生かしながら、
自囜に脅嚁を及がす囜に察し抵抗し、
培底しお戊い抜いた。

360床を取り囲む🇿🇊南アフリカに察しおも、
アパルトヘむトを公然ず批刀し続け、
1992幎たで倖亀関係を断絶。
囜境は封鎖され経枈制裁も受ける。
98幎に政治が混乱した際には、
南ア軍の戊車郚隊に銖郜を蹂躪され、
垂街戊たで経隓しおいるのだ。

アフリカ南郚ではペヌロッパ人の䞊陞以埌、
黒人囜家やオランダ人囜家がいく぀も生たれおは滅んでいった。
党く異なる🇞🇿゚スワティニず🇱🇞レ゜トの生き方は
どちらが正しかったのかは分からない。

ただ、それぞれの遞択が
囜家の生き残りに倧きな圱響を䞎えたこずは
間違いないず考えられる。

🌍「䞖界を知る」ずいうこずの意味

䞖界地図では、いずれも小さな囜。
しかし歩いおみるず、
「豊かな囜」
「壊れた囜」
「戊う囜」
その姿は党く違っおいた。

アフリカには54の囜がある。
䞀括りに語られるこずが倚いが、
それぞれ異なる歎史ず遞択がある。

「䞖界を知る」ずいうこずは、
有名な囜を蚪れるこずではない。
それはこうした小さな囜々の違いに
気づくこず
なのかもしれない。

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