🇺🇬ウガンダ編9-2| なぜウガンダは“公園のような国”なのか【教科書に載っていない世界一周】
(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)
🌱公園のような国
ウガンダの首都カンパラで感じた違和感。
それは、「アフリカらしくない」風景だった。
どこまでも続くなだらかな丘陵。整えられた草地。
荒々しい大地というより、どこか人の手が入った景色。
この違和感には、はっきりとした理由があった。
🏛️ 植民地が「風景」を変えた
ウガンダは1962年に独立するまでの約70年間🇬🇧イギリスの植民地だった。
ケニアとも共通するが、標高はおよそ1,000〜1,500m。
赤道直下にありながら、年間を通じて気温は20℃台前半。
蒸し暑い熱帯というより「涼しい高原」に近い。
この気候をイギリス人は非常に気に入った。
彼らはこの土地を単なる資源供給地としてではなく、
「住みやすい植民地」として整備していったのだ。
森林を伐採し農地へ転換
コーヒーや綿花などの商品作物を導入
🇰🇪ケニアから鉄道を延ばし外洋へつなぐ
こうして自然のままの大地は、今なら"自然破壊"と呼ばれるだろうが、
“管理された風景”へと少しずつ変えられていった。
更に驚くことには、第二次世界大戦中には、ドイツ軍の空襲を避けるため、🇬🇧イギリスが首都をロンドンからここへ移す構想すら検討していたと言われている。
それほどまでに、ウガンダの高原は
「ヨーロッパ人にとって居心地の良い場所」だった。
この結果、この国は
“収奪の場”であると同時に“生活の場”としても設計された植民地となった。それが、あの「公園のような風景」の正体である。

☕ 経済の柱は“コーヒー”
現在のウガンダは人口約4,800万人。
🇪🇸スペインに近い規模だが、国土は🇬🇧イギリスとほぼ同じで日本の本州よりやや大きい程度しかない。
人口密度がアフリカでもかなり高い。
多くの人々が暮らしていける理由は、この国の自然条件にある。
年間を通じて温暖な気候
雨量が多く農業に適した環境
火山性土壌による養分の多い土地
その結果、現在でも人口の約7割が農業に従事している。
最大の輸出品は☕️コーヒーで輸出額はなんと世界4位だ。
🍗 食べて分かる“土地の力”
実際、この国に来て強く感じたのは、土地そのものの豊かさ。
道路脇の屋台で、炭火で焼かれた地鶏を見つけた。
一本50円ほど。正直、最初は少し警戒した。
衛生状態も分からないし、見た目も日本のそれとは違う。
それでも思い切って食べてみると、驚いた。
香ばしさ、肉の旨味、適度な脂。
どれをとっても申し分なく、
これまで食べてきた鶏肉の中でもトップクラスに美味しかった。
野菜も美味い。トマトや青物は、味が濃く、力強い。
日本のように流通の都合で早採りされるわけではなく
完熟した状態でそのまま食卓に並ぶ。
アフリカの食は「乏しい」というイメージがあるかもしれないが、少なくともこの国に関しては、それは当てはまらなかった。
🥭まるでアフリカの宮崎
こうしたウガンダの特徴を例えるなら、
ウガンダは宮崎県に似ている気がした。
経済水準は全く違うが
温暖で自然が豊か
農業や牧畜が強い
人々が比較的おっとりしている
そして鶏料理が妙にうまい
という点だ。
🪖 すべてを壊した「アミン政権」
しかし、この豊かな土地を持ちながら、
ウガンダはかつて崩壊した時代があった。
1970年代の独裁者イディ・アミンの時代だ。
彼は1971年のクーデターで政権を握り約8年間支配した。
その間に起きたことはかなり深刻。
30万人規模の国民を虐殺。
当時の経済の中枢を担っていたインド系を中心とするアジア系住民を追放し、商業と流通を破壊。
その結果、モノ不足とインフレが一気に進行。
1978年に侵攻した🇹🇿タンザニアで敗北したことで、
翌年ようやく政権は崩壊。
その後は1980年代までは内戦が続いたのだった。
僕が歩いたカンパラの官庁街は、驚くほど穏やかだったが、その場所はほんの数十年前まで、拷問や処刑が行われ、悲鳴が響き渡っていたと聞いた。
🌧️ 次の国へ
雨は相変わらず降り続いていた。
停電した宿の部屋でろうそくを灯しながら、
この国のことをぼんやりと考えていた。
翌日、🇷🇼ルワンダへ向かうことにした。
東アフリカではバス停には時刻表はない。
人が集まり、席が埋まったら、ようやく出発する。
何時間かかるか分からない。
アフリカの旅は、いつもそんな調子だ。
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