🇴🇲オマーン編6-1|なぜ産油国では神が近くなるのか──オマーンで感じた“信仰の理由” 【教科書に載っていない世界一周】
あなたが思い浮かべる「中東」は、どんな場所だろうか?
砂漠、石油、宗教、危険、あるいは豪奢な高層ビル群。もしそうしたイメージしか持っていないなら、この国は少し意表を突くかもしれない。オマーン編を読むことで、「中東はひとつの顔ではない」という感覚を知ってもらえると思う。
(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)
✈️ 空港から街へ─オマーンでの第一歩
バハレーンの次に立ち寄ったのが、オマーンだった。
空港を出た瞬間、ローカルバスの乗り場がさっぱり分からない。案内表示も乏しく、通じる英語も限られている。まったくシステムがわからない。
一方で、タクシーだけは世界共通。明らかに外国人旅行者と見て、法外な金額をふっかけてくる。交渉するのもバカらしく、まわりを見渡す。
すると道路を走る小さなミニバスが目に入った。迷ったが、手を挙げると停まった。いわゆる乗合バスだ。運よく僕の目的地まで行くという。終点までは、ほんの100円ほど。中東は決して「すべてが高い世界」ではない。
🍽 ラマダンの食事は禁断の味
訪れた時期はラマダン。イスラム教徒が日の出から日没まで飲食を断つ期間だ。断食は昼間だけで、夜になると一転して街は賑やかになる。
とはいえ、空腹は待ってくれない。昼間も営業しているレストランを探した。通常営業しているのは国際的なホテルくらい。むかし出張で行ったことのある、シェラトンホテルへ向かった。ビュッフェは約4000円と、ぼくらバックパッカーのような旅人にとっては法外な値段。だが、久しぶりに美味いものを心ゆくまで食べられるチャンスだ。
ラマダン中の昼間の食事ほど格別なものはない。我々異教徒にのみ許された特権だ。ただし、屋外で食事をすると10日以上"ムショ"に入れられることになるので気をつけないといけない。多少値は張るが、3ヶ月に一度の贅沢と思い切り、ラグジュアリーな「禁断の味」を満喫した。一般的に中東の5つ星ホテルのビュッフェはレベルが高い。一人きりではあるが、天国のような贅沢を満喫した。
宿は、市内で最も安いホテルを選んだが、それでも一泊3000円。インドを長く旅してきた身には、明らかに「中東料金」。この地域が、途上国でも貧困国でもないことを実感する。
🗡 帯刀が許されている国
夕方、街を歩く。民族衣装をまとった男たちの多くが、腰に短剣を差している。日本で江戸時代に武士が帯刀していたのと同じで、今でもオマーンでは伝統衣装の一部だ。
いろいろな国を回ったが、いまだにほぼ全ての男性が帯刀している国はオマーンだけだった。もはや飾りの要素が強いが、中東のなかでもここは異文化であることは間違いない。

🕌 祈りが生活の中心にある社会
日が沈むと、断食が終わる。昼とは別の街が立ち上がるように、人が増え、賑わいも増す。スーク(アラブ世界の市場)を歩いていると、地元の人が気軽に声をかけてくる。ミントティーをご馳走になり、言葉少なに世間話をする。
モスクを覗くと、人々がそれぞれ一心に祈りを捧げていた。モスクは異教徒でも出入りが許されており、心が落ち着く空間だ。イスラム圏を旅すると、ぼくもよく一息入れさせてもらっている。この国では、仕事よりもお祈りが優先される時間帯が、日常の中に自然に組み込まれている。日本の感覚からすれば少し不思議だが、彼らにとってはごく当たり前の光景なのだろう。
🛢 “天からの恵み”と神への感謝
その姿を眺めながら、ひとつの考えが頭に浮かんだ。
信仰心の篤さとは、
「自分の運命を、どれだけ自分でコントロールできると感じているか」
に"反比例"するのではないだろうか。
オマーンの豊かな生活の基盤は「石油」だ。だが石油は、努力や技術の積み重ねによって“勝ち取った成果”というより、偶然その土地に埋まっていた、天からの授かり物に近い。
産油国の人々は、自分たちが生きていく基盤の一部が、自分の能力や勤勉さとは無関係に与えられていることを理解している。
だからこそ、「これは自分の力だけではない」という感覚が、神への感謝や信仰へと自然につながっていくのではないか。
言い換えれば、人生において“自分以外の力”が介在する割合が大きいほど、
神の存在を意識しやすくなる、ということなのかもしれない。

🌏 実力で勝ち取る社会と信仰との関係
逆に努力や競争によって人生を切り拓けた人ほど、宗教を必要としなくなるという見方も成り立つ。
そう考えると、戦後、日本人が懸命に働き、努力によって豊かさを手に入れてきた過程と、日本社会における信仰心の薄さは、無関係ではないようにも思えてくる。
もちろん、これは一つの仮説にすぎない。宗教や信仰を、単純に経済状況だけで説明できるはずもない。
それでも、モスクで静かに祈る人々の背中を見ていると、
「人はどんなときに神を必要とするのか」
という問いが、自然と浮かび上がってきた。
あなたの信仰心はいかがだろうか?
(トップ写真はマスカットで立ち寄ったアルブスタンホテルからの景色)
