【教科書に載っていない世界一周】〜4-1陸路でインドへ
○インド初日の戦いの相手は蚊
果てしなく続くかに思えたネパールの山と谷を越え、バスはようやく平原へ下り、インド国境の町スナウリに到達。ヒンドスタン平野が始まるのはここからだ。起伏のない平地に久しぶりに胸が踊る。気温は30℃。10日前に寒さで震えたチベットが嘘のようだ。
ネパールとインドの国境は、町の商店街の真ん中にあった。両国を貫く通りに、踏み切りのような遮断機。それが国境。そのすぐ脇まで両国の商店がひしめき合っている。これほど生活感のある国境は初めてだった。脇にある小屋が入国管理事務所。ここでパスポートに入国スタンプが押された。このヒンドゥー語で記された何気ない薄いスタンプ。それが出国時に大きなトラブルを招くことになることを僕はまだ知らない。
まず目指したのがヒンズー教の聖地バラナシ。だが、アスセスが悪く、ガイドブックにも載ってない聞いたこともない町(ゴカルプール)で一晩を過ごすはめに。そこはどこを見ても、外国人など泊まりもしない、小汚いボロボロの宿ばかり。中でも多少マシな宿を選んで宿泊した。
世界中にはいろんな害虫がいるが、インド最大の敵は「蚊」。この国では生まれて初めて巨大な「蚊柱(かばしら)」を見た。蚊の大群が回遊魚のように空中で群れをなし、外から見るとまるで"巨大な柱"のように見える現象だ。これに襲われるとひとたまりもない。この宿の周りは蚊柱こそ見かけることはないが、窓は隙間が多く、外界との仕切りは十分ではなかった。そんな環境で一晩をやり過ごさねばならない。
「やつら(蚊)はきっとやってくる」そう確信したぼくは、寝支度を整えるとともに、臨戦態勢でベッドに横になり、夜明けを待った。虫除けをつけ、長袖のシャツ・長ズボンに靴下・軍手。顔もタオルで覆い、うだる暑さのなか、完全に身体を覆い、恐怖のなか眠れずに彼らに備えた。
夜更け頃、彼らはやってきた。しかも大群で。虫除けは多勢に無勢でほとんど効かない。それを覚悟で全身をしっかり覆ったつもりだった。
ところが、靴下に穴が空いており、知らぬ間に彼らの集中攻撃を受け、数箇所食われてしまっていた。”耳なし法一”にでもなったような気分。かなりの痒さに襲われたが、まだマラリアの季節でなかったのが不幸中の幸いだった。

○聖なるスラム街バラナシ
バラナシ(ワーラーナシー)はインドで最も有名で、インドらしい町。通りを走るのは車ではなく、無数の人力車だ。戦前に日本から伝わり現地でも今だに“リキシャ”と呼ばれている。観光客が多いため、詐欺まがいのリキシャ運転手が多いので有名だ。
今回ぼくが乗ったのもその一つ。乗車前に値段を決めたのに、降りる時になって倍近くの値段を吹っかけてきた。彼は今までそうやって何人もの外国人をだましてきたのだろう。覚悟はしていた。でもぼくはそんな彼のやり方を許せなかったので、ひとこと「NO」と叫んで、力車を降りた。そしてさっと人込みに紛れ込んでやった。後ろで彼は何か叫んでいたが、追ってくる気配はなかった。僕がやったのは無賃乗車だったが、「目には目を」。人を騙そうとする者に、お金を払う必要はない。日本の善悪の価値観は多くの途上国では通用しないことを、僕はこれまでの旅で学んできた。相手を見て対応を変える。これが旅では大事なことである。そして“いかに騙されずに旅を続けるか“が、北インドでは最大のテーマになる。
この町の雰囲気は、先進国の言葉でいえば"スラム"だ。舗装されている道はなく、路地は"お牛様"(神のしもべである牛はヒンズー世界ではとても偉い)と人力車とインド人でひしめいている。路上のあちこちに落ちている糞尿の"香り"がツーンと鼻をつく。駅舎や道端では犬が、牛が、そして人までもが倒れている、いや寝ている。混沌とした世界。そして、うだるような暑さ。もちろんクーラーなど見かけることはない。全てが整理整頓された日本とは正反対の世界だ。

○ガンジス河で沐浴しました
バラナシまでやってきた最大の目的は、聖なる河ガンジスでの沐浴だ。ガンジス河に面したこの町は、ヒンズー教の聖地であり、沐浴のためインド各地から信者が訪れる。
朝6時。日はまだ出ておらず、涼しい。宿で知り合った日本人と二人でガンジス川のほとりへ。
数百人のヒンズー教徒が既に沐浴を始めている。神妙なる面持ちで静かに川に浸かる人もいれば、ゴシゴシ体を洗っている人もいる。
ガンジス河。茶色く濁り、ばい菌がウヨウヨしているイメージがないだろうか?実際は違った。ライトグリーンに透き通り、輝いている。乾季だったからかもしれない。これなら、誰でも沐浴できるかも、そう思い前日に彼を誘ったところ、意気投合し、二人で沐浴をすることになったのだ。
海パン一丁になって水に足をつける。さほど冷たくはない。毎日何千人もここで沐浴しているせいか、水が肌に馴染む。ちょうどよいぬるさが心地良い。これならいける。肩までつかってみた。今のところ体に異常はない。
ためしにすこし泳いでみる。沖の方は流れが速かったので引き返したが、プール感覚で泳げる。さすがに、顔をつけたり、うがいをするほどの勇気は持ち合わせてなかったが、聖なる河でフレッシュな朝陽を浴びながらの沐浴。何か新たなエネルギーを受け取った気持ちになり、自分なりに十分満足のいく体験だった。

○死んだ肉体は物質でしかない
聖なる河ガンジスでは、河原が火葬場も兼ねている。通り道でもあるので、立ち寄ると薪が組んであり、その上に白い布に包まれた死体が乗っている。ここで焼かれた死体はそのまま河に流されるそうだ。
火がくべられると、20〜30人の親族に囲まれ、死体はオレンジ色の炎に包まれて燃えていた。布に包まれているとはいえ、身体の形がそのままわかる。燃えながら炎から片足が飛び出してきたのが印象的だった。
日本では実際に火葬を目にすることはない。目の当たりすると結構ショッキングだろう、と思っていたのだが、意外と冷静に見ていることができた。チベットで鳥葬も体験したこともあり、あらためて「魂の抜けてしまった亡骸は物質でしかない」という事実を実感したような気がした。

【行程】
10/28 スナウリ:ポカラ(ネパール)よりバス8時間
33ゴカルプール:乗合タクシー2時間
10/29 34バラナシ:汽車6時間

(トップ写真はバラナシのガンジス河畔)
