🇴🇲オマーン編6-3| アラビアンナイトの国――なぜオマーンは中東で最も“穏健”な国になったのか?【教科書に載っていない世界一周】
(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)
中東で唯一、ほぼ敵を作らない国がある。それがオマーンだ。
🌊 海へ出るしかなかった国
オマーンは日本ではあまり知られていない国かもしれない。だが歴史をひも解くと、この国はかつてイギリスとインド洋の覇権を争った海洋帝国だった。
『アラビアンナイト』に登場するシンドバッドが旅立った港は、現在のオマーンにあったといわれる。山と砂漠に覆われ、農地はごくわずか。外に活路を見出すしかない自然条件が、この国を海へ向かわせた。
大航海時代にはポルトガルに港を占拠されるが、17世紀にはこれを追い出す。そこからは自ら外へ出る道を選んだ。
⚓ 東アフリカへ移った国
インド、ペルシャ、東アフリカを結ぶ交易の中継地として、オマーンは海のネットワークを築いていった。ヨーロッパ列強に組み込まれる前に、海外帝国を築いた欧州以外の国などほとんどないなか、オマーンは例外だった。
18世紀には、オマーンは強力な海軍と交易網を背景に勢力を東アフリカ沿岸へ拡大。この後にぼくも訪問するが、タンザニアのザンジバル島に首都を移し、インドからアフリカへと至る交易を掌握、インド洋世界の主役の一角を担った。中東で首都をアフリカに移した国など、他にはない。

🏜 海外領土喪失と貧困
しかし栄光は長くは続かなかった。ジリジリと大英帝国に国土は侵食され、最終的には海外領土を全て失う。
耕地が少なく、産業基盤に乏しいこの国は、海上拠点を失うと急速に停滞。そして20世紀半ばには、ネパールやアフガニスタンとともに世界で最も貧しい国の一つに数えられるようになった。1970年当時、国内に舗装道路はほとんどなく、病院も数えるほどだったといわれる。
🛢 石油が変えた国の姿
転機は1964年の石油発見。思わぬ富の源を得たこともあり、鎖国政策をクーデターで転換。オマーンの経済は盛り返した。40歳にすぎなかった平均寿命(1970年)も、現在はなんと80歳(2023年)と2倍に伸びた。
今では美しく舗装された高速道路が国土を貫き、街も新車で溢れていた。中東で日本車はそれなりの値段がするものの人気は非常に高く、オマーンでも特にその存在感が際立っていた。街を走るタクシーの多くが白く輝くトヨタの新車(ヴィッツ)であることからも、経済的余裕が社会に広がっているように見えた。
そして、中東では「水」こそが豊かの象徴といわれる。乾燥地に水を引くことはとてもコストのかかることだからだ。にもかかわらず、街の至るところに整備された緑地帯では自動スプリンクラーが水をなみなみと撒いて、都市に潤いを与えていた。

🕌 「残り物国家」が選んだ穏健さ
現在のオマーンは地理的にも歴史的にも、均質な国ではない。北には飛地(ムサンダム)があり、内陸と沿岸部など文化的にも異なる地域が混在する。
そんな多様な国土を統一させているのが、イバード派と呼ばれるイスラム教の少数宗派。現在のイスラム教のほとんどは、スンニ派とシーア派に分類され、教義の違いから激しく対立していたりもするが、イバード派は、イスラム初期に分かれた独自系統の宗派。スンニ派やシーア派とは異なる伝統を持つ。歴史的に比較的穏健で知られ、これがオマーン外交の性格にも影響しているといわれる。このオマーンという国は他国と対立することはほとんどなく、継続して中立を保ち、各地の紛争の調停役に徹してきた。
🇴🇲仲介に徹する現代のオマーン
海外帝国を失い、英国の庇護下で細く生き延びた国。現在のオマーンは、中東の中で目立たず、対立せず、時に仲介役に回る国として知られている。
オマーンは覇権を失ったから穏健になったのか。それとも、穏健だったから覇権を手放したのだろうか?争わないことが生き延びる秘訣だったのかもしれない。
▶️ 次回から舞台はアラブ首長国連邦へ移ります。
