🇿🇼ジンバブエ編 13-1| アフリカで一番住みたい国は、夜になると別の国だった【教科書に載っていない世界一周】
「アフリカで一番住みたい国はどこか」
と聞かれたら、当時のぼくは迷わず🇿🇼ジンバブエと答えていただろう。
気候は快適。
食事はおいしい。
物価は安い。
人は親切。
旅人にとってオアシスのような国だった。
ただし、一つだけ問題があった。
日が暮れると別の国になるのである。
(この記事は110ヶ国を訪問した筆者が、なかでも最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周を、現在の目線で振り返ったものです)
🚌楽園への入り口
🇿🇲ザンビアとジンバブエ間の峡谷を
流れる大河ザンベジ川にかかる橋を越え
徒歩で入国した。
そこから夜行列車で首都ハラレへ向かった。
翌朝到着してまず驚いたのは、その都会ぶり。
高層ビルが立ち並び、大型商店や
スーパーマーケットがある。
日本の地方都市で見かけるような感じの
デパートもあり
街を歩く人々の服装もきちんとしている。
そして、黒人だけでなく白人も多い。
「アフリカ」という言葉から
多くの日本人が想像する風景とは異なる
大都会だった。

🍽気付けば10日も滞在
当初は数日で出発するつもりだった。
しかし、あまりに居心地がよく
10日も滞在してしまった。
宿には日本人旅行者だけでも5〜6人。
アフリカを北上する者。
南アフリカへ南下する者。
東のモザンビークを目指す者。
それぞれの旅人が
この国へ来ると足を止めてしまうような国だった。
昼間は街へ出て食事を楽しむ。
読書、洗濯、情報交換。
それだけでも毎日心地よかった。
🌤アフリカの軽井沢
その居心地のよさを支えていたのが、まず気候。
南部アフリカの高原地帯に位置するハラレの標高は約1500m。
赤道に近いにもかかわらず気温は穏やかで、湿度も低い。
朝晩は長袖が欲しいくらいで、昼は湿度が低く
木陰を歩くと本当に気持ちいい。
「アフリカの軽井沢」と呼ばれる理由がよくわかった。
😊みんなが笑顔の国
もう一つ印象的だったのが、人々の親切さ。
観光地では店員が笑顔で話しかけてくる。
ホテルのフロントも親切だ。
それだけなら珍しくない。
驚いたのはこの国では工事のお兄さん達や
道ゆく人々まで笑顔で挨拶してくることだった。
歩いていると
「ハロー!」
「元気か?」
と気軽に声が飛んでくる。
観光地特有の営業スマイルとは少し違う。
いかにも歓迎されているような雰囲気だ。
この国には義務教育で
「笑顔」の授業でもあるのだろうか、
と本気で思ったほどだった。
💰シェラトンのブッフェが400円
さらに旅行者を引きつけていたものがあった。
それは異常なほど安い物価。
当時のジンバブエは経済制裁の影響で
通貨ジンバブエドルの価値が
1年間でなんと6分の1に暴落。
そのおかげで、外国人はとんでもない贅沢ができたのだ。
なかでも象徴的だったのがシェラトンホテルのレストラン。
ランチビュッフェは東京と遜色ないほど
豪華で美味しい。
なのに支払ったのはたった400円。
こんな格別なご馳走にありつけることはない!
旅仲間で数日おきに出かけ
久しぶりの贅沢を満喫した。
現地の人々には申し訳ないが、
外貨を持つ者の特権だった。
🌙日が暮れると別の国
しかし、この楽園には重大な欠点があった。夜である。
昼間のハラレは穏やかだ。
人々は親切で、街も整然としている。
ところが日が暮れると空気が変わるのだ。
宿でも夜間の外出は避けるよう忠告されていた。
当時のハラレは
🇿🇦南アフリカのヨハネスブルクと並んで
治安の悪い都市として知られていた。
特に恐れられていたのが強盗だった。
アフリカの強盗の手口は国によって異なる。
🇰🇪ナイロビ(ケニア)では引ったくりやナイフによる脅しが中心。
🇲🇼マラウィでは、脅迫せずに突然ナイフで
刺してから金品を奪うケースが多いと聞いた。
🇿🇦ヨハネスブルク(南ア)では
南米に多くみられる首絞め強盗に加え
「かつぎあげ強盗」というのが特色だった。
それは旅行者を集団で取り囲み
かつぎ上げてアジトへ拉致した上で
金品を奪う、といった手口をよく耳にした。
そして、ここハラレで多く耳にしたのは、
通称「石割り強盗」と呼ばれるものだ。
静かに後ろから忍び寄り
大きめの石で頭を殴り
ひるんだところで、金品を奪い取る手口だ。
頭から血を流して病院に担ぎ込まれた経験を
持つ旅行者に、ここでは何人も会った。
(彼らはその後、めげずに旅を続けている。)
夜の外出は極力避けたが
昼間の穏やかな街並みからは
とても信じられない状況だった。
🌍崩壊前夜のジンバブエ
それでもぼくは、この国が好きだった。
快適な気候。
親切な人々。
おいしい食事。
当時のぼくは、本気で「アフリカで一番住みたい国」と思っていた。
だが、その楽園は長く続かなかった。
数年後、この国は世界史に残るハイパーインフレへ突入した。
ぼくが歩いたスーパーから商品は消え
紙幣は紙くずになり、多くの人々が国外へ流出した。
あの笑顔にあふれていた街は
その後、大きく姿を変えることになる。
ぼくが10日間を過ごしたハラレは
そんな激動の時代が始まる直前の姿だったのかもしれない。
【行程】
1/27 ビクトリアフォールズ:ザンビア国境より徒歩2時間
1/31 ハラレ:夜行列車13時間
2/9 チマニマニ村(同国西部):バス7時間
2/10 チマニマニ国立公園:トラック1時間、徒歩3時間
2/11 トレッキング 4時間
2/12 マシンゴ:徒歩2時間、トラック1時間、バス6時間
2/13 グレートジンバブエ遺跡:バス2時間、徒歩3時間
2/14 ヨハネスブルク(🇿🇦南アフリカ):夜行バス13時間

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