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🇦🇪UAE編7-3| ドバイが巨大な「商人の街」だった頃— 30年で別の街になったドバイ【教科書に載っていない世界一周】

この記事では以下を中心に書いています。
・筆者が目にした30年前のドバイの姿 (キャビア・ロシア人ダンサー)
その後30年でドバイはどのような変貌を遂げたか (1本だった高層ビル)
・ドバイ成功の背景


(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、そのなかで最も刺激的だった2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)

🚌 ローカルバスで見えた「もう一つのドバイ」

旅では、なるだけ地元の人と同じ交通手段を使うようにしている。贅沢ができないという事情もあるが、それ以上に、ビジネスの場では見えない現実が見えてくるからだ

UAEのローカルバスに乗ると、車内はすし詰め状態。インド人、パキスタン人、エジプト人、アフリカ系の男性たち。「ムワッ」とくる熱気と体臭が混ざり合った汗の匂い。彼らの多くは建設現場へ向かう労働者だった。

ドバイのきらびやかな高層ビルは、こうした外国人労働者によって支えられている。観光都市の裏側にある、もう一つのドバイの姿だ。

🏪 30年前のドバイは巨大な「商人の街」だった

私が初めてドバイを訪れたのは1994年。今の姿からは想像もつかないが、当時のドバイはまったく違う街だった。

近代的なビルはまだ数えるほどしかなく、そのすぐ隣にはスパイス屋や貴金属店、小さな雑貨店がぎっしりと並んでいた。路地には世界中から集まった商人たちが露店を出し、さまざまな商品を売っていた

なかでも印象に残っているのが、望遠鏡だ。
ソ連崩壊の影響で、ロシア軍が使っていた高性能の望遠鏡が市場に流れ込んでいた。驚くことに、それがたったの千円ほどで売られていた。性能は申し分なく、見つけるたびに何度か買った記憶がある。

また当時のドバイは、キャビアが驚くほど安く手に入る場所でもあった。
ロシアとイランという原産国を除けば、おそらく世界でいちばん安かったのではないだろうか。大型スーパーの地下の食品売り場に行くと、ペルシャ湾の対岸であるイラン産の高級キャビアが並んでいる。安いグレードなら一缶500円ほど、高級品でも1万円程度だった。日本や欧米の価格と比べると、1/10以下である。

ドバイを訪れるたびにこれを買い込み、ホテルで白いご飯の上にたっぷり乗せて「キャビア丼」にして食べていた。キャビアは醤油との相性が意外なほど良く、私の密かな好物だった。もっとも、その価格で手に入る時代は長くは続かなかった。入荷事情が変わったのか、1997年頃には同じ値段ではほとんど見かけなくなっていた。

ロシアにまつわる話は、まだある。
当時のロシアは国内経済が大きく悪化しており、世界トップクラスのバレリーナたちが出稼ぎでドバイに滞在していたのだ。

中東のホテルのバーでは、フィリピン人バンドが生演奏をするのが定番である。だが当時のドバイでは、ロシア人バレリーナをダンサーとして起用しているホテルもあった。バーで数百円のドリンクを頼むだけで、世界トップレベルのバレエダンスを見ることができる。あまりにも贅沢な光景で、見応えは抜群だった。

こうしてドバイには、ロシアやイランに限らず、世界中から人々が集まってきていた。規制の緩いこの街で、自分たちの商品やサービスを売り、一旗あげようとする人たちだ。まさに「モノと人が交差する東西の十字路」という言葉がぴったりの街だった。

雑多で活気に満ちたその雰囲気は、どこか大阪・ミナミの街角にも似ていた。当時の物価は日本の3分の1ほど。そんなドバイは、私にとって中近東でいちばん好きな街であり、どこよりも居心地のよい場所だった。

🏙 砂漠の町が30年で世界都市に

1994年当時、ドバイの高層ビルはDubai World Trade Centerという40階建ての建物がポツンと一本立っていただけだった。展望台から見た景色は、360度ほとんどが砂漠だったのを覚えている。

ところが現在(2025年)、150m以上の超高層ビルは約270本。都市別の本数では香港、深圳、ニューヨークに次いで世界4位である。砂漠の港町だった都市が、わずか30年で世界有数の大都市へと変わっていった。

一方で、物価も日本と同じかそれ以上に。コンクリートジャングルと化し、人口も増加しすぎて、もはや居心地のよい街とは言えなくなってしまった。

🌍 人口の8割が外国人の都市

ドバイは世界でも珍しいほどの多民族都市だ。住民の約8割は外国人である。この時も街を歩くと、インド系、アラブ系、ロシア人、フィリピン人、イギリス人、韓国人など、さまざまな顔ぶれが混ざっていた。彼らの多くは商品を買い付けるために世界中からやってきていた。

ドバイは次にぼくが訪れようとしているアフリカへの玄関口でもあった。ドバイを拠点とするエミレーツ航空がアフリカの各都市へリーズナブルな便を飛ばしている。ホテルのロビーで話しただけでも、ケニア人、ウガンダ人、セネガル人、ナイジェリア人など、多くのアフリカ人が買い付けにやってきていた。

📈 ドバイ成長の本当の理由

そんなドバイの人口は、2000年の約90万人から、2023年には約360万人へ。わずか20年で4倍になった。外国人労働者の流入が主な背景だ。しかし労働者がこれだけ大量に流入しても、所得水準は落ちていない。これは普通の都市では起こらない現象だ。

ドバイがこれほどまで成長した理由はシンプルで、ドバイ政府はこの街を「生活の場」ではなく「ビジネスの拠点」として設計したからだ。

つまり港、自由貿易区、航空拠点、不動産、観光、金融。これらをオイルマネーを元手に一つの都市の中で同時に整備したのだ。

そして王族ならではの意思決定の速さを背景に、2002年には外国人の不動産所有を解禁、世界中から資金を呼び込んだ。港でもなく、観光地でもなく、金融都市でもない。そのすべてを一体化した都市。それがドバイという都市の本質なのである。


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