🇧🇭バハレーン編5-4| 「ペルシャ湾の香港」はこうして生き残った【教科書に載っていない世界一周】
(この記事はこれまで110ヶ国を訪問した筆者が、2001年からの13ヶ月にわたる世界一周🌏を、現在の目線で振り返ったものです)
ペルシャ湾の奥に、ひっそりと浮かぶ小さな島国、それがバハレーンだ。この国は、強くもなく、豊かでもなく、目立ちもしない。バハレーン最終回は、この国の独特な“生き残り方”について書いてみたい。
👥 人口160万人の国の島国
現在のバハレーンの人口は約160万人。香川県と徳島県を合わせた程度。だが中身はかなり特殊だ。南アジアからの労働者流入により、人口は30年で約2.5倍に増加。今や人口の過半が外国人労働者で占められている。
他の湾岸諸国と同様、原則として所得税・法人税はなく、外国人も移住しやすい構造になっている。
🏦 かつて中東金融の中心はここにあった
もともと中東の金融中心地は、レバノンのベイルートにあった。地中海に面した洗練された都会だった。だが1975年レバノン内戦が勃発する。長期にわたる内戦は国の機能を完全に麻痺させ、金融機関は一斉に代替地を探し始めた。
そこで白羽の矢が立ったのが、バハレーンだった。政治的に比較的安定し、英語が通じ(旧英国領)、規制も緩い。1990年代までは、日本を含む世界中の銀行がこの国に中東拠点を構えていた。
現在はドバイが脚光を浴びているが、90年代後半までは中東ビジネスの中心はバハレーンだったのだ。
⚠️ 宗派対立が流れを変えた
状況が変わったのは、ぼくが赴任していた1990年代半ば。スンニ派王族が、人口多数派のシーア派住民を統治するという構造が、社会不安として表面化した。1995年以降、宗派対立を背景とした騒乱が相次ぎ、「安定」を最優先する金融機関は、次々とUAEへ拠点を移していったのだ。
今回久しぶりに訪れたバハレーンでは、かつての大規模な騒乱はすっかり影を潜めていた。国王は代替わりし、議会も再開され、ゆっくりと民主化の道を歩んでいるように見えた。
🏭 石油に依存しない小国の戦略
中東と聞くと石油を思い浮かべがちだが、バハレーンは少し違う。
GDPの8割は、
金融
観光
製造業
といった非石油部門が占めている。
特に、電力を大量に消費するアルミニウム産業では、世界最大の製錬工場を持ち、国を支える大黒柱となっている。石油価格が下がっても、すぐに国家が揺らがない。これは、小国としてはとても現実的な選択だ。
🌉 「香港型国家」という生き方
バハレーンは、サウジアラビアと全長25kmの海上橋で結ばれている。巨大な後背地を持つ小さな自由港。この構造は、どこか香港に似ている。
そしてこの「香港」にとって中国に相当する国がサウジアラビアだ。サウジアラビアとは宗派も同じスンニ派で、王族のルーツも同じであるため、ずっと仲が良い。切っても切り離せない関係だ。

⚓ この国が「消えない」最大の理由
そんなバハレーンを支えている現在の最大の要因は、地政学的な重要性だ。サウジアラビアと良好な関係を持つアメリカ政府は
空軍の拠点をカタール
海軍の拠点をバハレーン
に置いている。
日本の横須賀がアメリカ海軍第7艦隊の本拠地であるのに対し、同第5艦隊の本拠地がバハレーンなのだ(奇数艦隊は太平洋とインド洋、偶数艦隊は大西洋としているらしい)。
つまりこの国は「不安定になると周囲が一斉に困る場所」といえる。
🧭 小さくて弱いがそれでも必要な国
バハレーンは軍事的にも経済的にも強い国ではない。だが、この国は自分の立ち位置を正確に理解し「大国の利害が交差する場所」として生きる道を選んだ。
サウジアラビアと地理的・経済的に結びつき、ペルシャ湾の要衝としてアメリカ海軍の拠点を受け入れる。自ら前に出るのではなく、大国が動くための拠点や調整の場を引き受けるという役割を選んだ国。
そこに「安定して存在していること」自体が、ペルシャ湾岸全体の安全保障を成り立たせている。
バハレーンは、自らの力で存在感を示す国ではない。他国の役に立つことで、生き残ってきた国なのである。

✈️ 次回予告(オマーン編)
バハレーンから飛行機で向かった次の国はオマーン。
湾岸諸国の中で最も観光資源に恵まれながら、ドバイのように華やかではなく、カタールのような競争力もない。インド洋に面し、古くは交易で栄え、アフリカやインドとも深く結びついてきた静かな海洋国家。派手さはない。だが治安は良く、人は穏やかで、歴史も深い。
次回は、湾岸でもっとも控えめで、もっとも興味深い国・オマーンを旅します。
(トップ写真はマナマ郊外のアラッド砦)
