なぜ万葉集は1000年以上も「推され」続けるのか?③【賀茂真淵】
万葉集の全体に関する記事はこちら。
前回は、源実朝の「心の避難所としての万葉集」を扱いました。
今回はそこからさらに時代を下り、江戸時代に万葉集を“再発見”した人物―
賀茂真淵(かものまぶち)です。
ここから万葉集は、単なる古典から “日本的美学” へ、そして江戸知識人の間で “バズる対象” へと変わります。
その中心にいたのが、古代ガチ勢オタク(最上級の敬意を込めて)、賀茂真淵です。
なぜ江戸時代に万葉集? 仮想敵は「意識高い系」の理屈だった
江戸時代の知識人たちは、ある種の「息苦しさ」を感じていました。
その正体は、幕府公認の学問である 朱子学(儒学) です。
朱子学は「理性」「秩序」「倫理」が絶対。
和歌の世界ですら、「理屈に合っているか?」「道徳的に正しいか?」 が優先されるようになっていました。
国学者・賀茂真淵は、この「理屈でガチガチになった心」を 「漢意(からごころ)」 と呼び、強烈に嫌いました。
「おいおい、恋の歌にまで理屈を持ち込むのか? 悲しいときに『悲しい』と言えず、中国の賢い人の引用で語るなんて、 それはもう、日本人の心じゃないだろ」
真淵にとって「漢意」とは、日本人の素直な感受性を鈍らせる “外来の思考フィルター” だったのです。
これぞ無加工の日本人の心だ!
そんな真淵が、フィルターを外すために手をのばしたのが『万葉集』でした。 彼はそこで衝撃を受けます。
万葉集には、理屈も道徳も関係ない。 好きなら好き、悲しいなら悲しい。 感情が剥き出しのままパッケージされています。
「これだ! ここには理屈(漢意)に汚染される前の、純粋な日本人の心がある!」
真淵は、この古代特有の力強さ、飾らない男らしさを 「ますらおぶり(丈夫振り)」 と名づけました。
それは単なる文学スタイルではありません。 「理屈を捨てて、本音に帰れ」 という、江戸の管理社会に対する “思想的なアンチテーゼ” だったのです。
真淵にとって、平安以降の和歌は“スタジオ録音の音楽”のようなものでした。
これはこれで美しい。
しかし、どこか“生々しさ”が薄い。
それに対して、真淵が万葉集に出会ったときの衝撃は―
路上ライブの生音に突然出会ってしまったようなものだったのです。
その“無加工の歌心”こそ、真淵の言うますらおぶり(丈夫振り)でした。
国学者として“ポジショントーク”の側面も
ここが面白いところですが、真淵の「ますらおぶり」論は純粋な美学だけでなく、国学者としての立場を強める戦略(ポジショントーク)でもありました。
国学は、儒学(=漢心)に対抗し、日本古来の精神を研究する立場をとっていました。
その中で、
「もっと古い万葉こそ本物の日本の心」
「平安以降の雅は後の作り物である」
という主張は、国学の価値を高めるための強力なカードでした。
つまり真淵は、美学的にも思想的にも、そして学問的にも“万葉集を旗印にして自分たちの立場を鮮明にした” のです。
ただし、それが“戦略”だけでは説明できないほど、真淵が万葉集に受けた衝撃が本物だったことも確かです。
だからこそ、ますらおぶりは説得力を持ち、国学者たちの間でバズったのです。
ますらおぶり=“漢心”に疲れた江戸の知識人への処方箋
江戸の知識人たちは、 長く朱子学的な形式美に縛られ、本音を閉じ込めてきました。
そこに、
「本音で歌っていいんだよ」
「日本人には、飾らない心があるじゃないか」
と語りかけたのが真淵でした。
だからこそ、「ますらおぶり」は江戸の知識層にとって救いのように響いた のです。
そして万葉集は、ここでまた一度、尊い“古代の心”として再生しました。
次回、いよいよ最終章。正岡子規です。
お楽しみに。
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