なぜ万葉集は1000年以上も「推され」続けるのか?②【源実朝】
万葉集の全体に関する記事はこちら。
前回、柿本人麻呂の記事を書きました。
今回はその続きで源実朝です。
源実朝―デスゲームを生きた「繊細さん」将軍
前回は、万葉世界のロックスター・柿本人麻呂を紹介しました。
今回は、その人麻呂に500年の時を超えて心を寄せた、ある「孤独な青年」のお話です。
その人物とは、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれた、悲劇の将軍です。
歴史の授業では「武家のトップ」として習いますが、素顔の彼は、歴史上でも稀に見る「繊細な感受性」の持ち主でした。
血なまぐさい争いのど真ん中にいながら、彼が心の救いを求めた先。それが万葉集だったのです。
心の避難所は、万葉集だった
実朝が生きたのは、身内同士で殺し合う権力闘争の時代。
偉大な父(頼朝)はすでになく、母(北条政子)や叔父たちの思惑に翻弄され、いつ寝首をかかれるかわからない日々……。
そんなヒリヒリするような緊張感の中で、人の感情に敏感すぎる「繊細さん」の実朝にとって、現実は息が詰まる地獄だったはずです。
当時、京都では技巧を凝らした「新古今和歌集」が流行の最先端でしたが、実朝はそこには向かいませんでした。
彼が必要としたのは、着飾った言葉ではなく、万葉集の「嘘のない、素朴で太い言葉」だったからです。
飾らない感情がそのまま置かれている万葉集は、重圧を抱えていた実朝にとって、唯一“自然になれるシェルター(避難所)”だったのでしょう。
『金槐和歌集』に刻まれた、繊細な叫び
実朝の唯一の家集『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』には、彼の繊細な感性と、押し殺した心の叫びが交錯しています。
実朝は、新古今和歌集の撰者でもある藤原定家に和歌を学んでおり、その影響で、作品全体には“新古今っぽい”しっとりした美意識が漂います。
しかし、その中にひときわ異質で、まるで万葉集に帰ろうとするような“素朴で太い声”が混じっています。
まず、人々に強い印象を残す雄大な一首。
大海の 磯もとどろに 寄する波 われて砕けて 裂けて散るかも
(広い海の磯を轟かして寄せる波は 岩にぶつかって、割れて、砕けて、裂けて、散っていくことよ)
激しく砕け散る波の描写。
これは単なる風景写生ではありません。
「われて」「砕けて」「裂けて」「散る」という動詞の連打には、「繊細さん」である彼が腹の底に溜め込んだ、やり場のないマグマ(葛藤や不安)が重なって見えます。
万葉調の素朴さと、自分の内側の揺れとが重なり、自然と動詞のリズムが激しくなっていったのかもしれません。
祈りのような、静かな願い
一方で、ふと漏らした本音が、百人一首にも選ばれたこの一首です。
世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
(この世の中が、ずっと変わらず穏やかであってほしいなぁ。波打ち際を行く小舟のように……)
「この穏やかな世界が続いてほしい」 平和な時代に生きる私たちが思うよりも、この言葉はずっと切実です。
自分がいつ殺されるかわからない不安定な世界の渦中にいたからこそ、彼は「変哲もない日常」や「静かな世界」を、涙が出るほど求めていたのです。
実朝は万葉集を単に“真似した”のではありません。
万葉の素朴な心を、自分自身の繊細さと重ね合わせ、孤独を癒やす糧としたのです。
強さが求められる武士の時代にあって、ひっそりと咲いたその感性は、まるで“荒野に咲いた一輪の花”のよう。
万葉集がどのように「人の心を救ってきたか」を示す、もっとも美しく、切ない一例です。
次回は、時代が下って江戸時代。
国学者、賀茂真淵です。
お楽しみに。
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