なぜ清少納言は「エモい」と言わなかったのか? ─平安文学とSNSを「思考の速さ」で比べてみた
「先生、つまり『いとをかし』って、『マジエモい』ってことですか?」
古文の授業中、生徒が放ったこの一言に、教室には笑いが起きました。
とっさに「意味としてはそうだね。でもそう書いても点数にはならないからね」と答えてしまいました。
が、あとでよく考えてみると、国語の講師として、この生徒の問いをただの若者言葉として片付けるわけにはいきません。
以下、カーネマン『ファスト&スロー』のシステム1・2を補助線にして考察してみます。
「エモい」はなぜ生まれたか? ─システム1の言語
結論から言えば、生徒の直感は半分正しく、半分間違っていると思います。
両者は「論理では説明しきれない感情」を指す点では共通しています。
ですが、決定的に違うのは「処理速度」です。
現代は「情報爆発」の時代です。SNSを開けば、タイムラインには「推し活」の報告や「神対応」のエピソードが、毎秒ごうごうと流れ込んできます。
この膨大な情報の濁流を泳ぎ切るために、私たちの脳は「システム1(速い思考)」をフル回転させています。直感的で、瞬発的な判断のことです。
「この画像いいな」→「いいね」
「この投稿感動した」→「エモい」
ここで「なぜ心が動いたのか?」といちいち立ち止まって(システム2を起動して)言語化していたら、情報の波に置いていかれてしまいます。
だから、複雑な感情を瞬時に圧縮・タグ付けできる「エモい」という言葉が発明されたのではないでしょうか。
AIにも調べてもらいました。
エモい【音楽・ネット文化界隈】
エモいとは英語の“emotional”に由来するスラングで、何とも言い表せないノスタルジックな感情や心に訴える感覚を指します。1990年代~2000年代のロック音楽シーンで、哀愁を帯びた「Emo(エモ)」系の楽曲を形容する表現として生まれました。インターネット上のバンドファンコミュニティなどで「この曲、エモい!」と使われていたのが語源で、SNSなどを通じて音楽以外の文脈にも広がりました。従来の「ヤバい」に代わるポジティブな感情表現として若者の間に定着し、SNS上で共感を呼ぶキーワードになりました。また「エモい体験」が消費行動を促す現象(エモ消費)も指摘され、マーケティングやコンテンツ制作において“情緒に訴える価値”の重要性が再認識されています。
これは、現代社会に適応するための、脳の「省エネ戦略」と言えるでしょう。
「いとをかし」の正体 ─システム2への切り替え
一方で、平安時代の「いとをかし」はどうでしょうか。
そこにあるのは、『春はあけぼの』のような、ふとした瞬間の美しい情景や発見です。
「をかし」とは、対象とじっくり向き合い、その趣や美しさ、滑稽さまでを含み込んで噛み締める感情です。
これは明らかに「システム2(遅い思考)」の領域です。
「エモい」が「共有するための記号」だとすれば、「をかし」は「自分の内面をじっくり観察する知的営み」に近いものなのかもしれません。
「をかし」には、笑いや皮肉、風情や好奇心までも内包される多義的な深さがあります。
それゆえ、言葉に対する感度や文脈を読む余白を求められます。
フィルターバブルの中で「深呼吸」をする技術
問題は、私たちが現代の「システム1(速い思考)」モードに慣れすぎていることです。
SNSのアルゴリズムは、私たちの「直感的な好み」を学習し、心地よい情報だけを見せる「フィルターバブル」を作り出します。
そこは「エモい」「尊い」「神」といった、インスタントな感動言葉で満たされた、ある種の「幸福な閉鎖空間」です。
でも、それは誰かの用意した感動であって、あなた自身の言葉ではありません。
しかし、この心地よさには罠があります。
ずっとここにいると、私たちは「自分で呼吸する力」を失ってしまうのです。
これはSNSを否定したいわけではありませんが、アルゴリズムが差し出す「感動」を、反射的に飲み込むだけ。
それはまるで、高性能な酸素マスクをつけられて、自動的に呼吸させられているような状態ではないでしょうか?
楽かもしれませんが、そこに「自分の意志」はあると言えるでしょうか。
だからこそ、意識的な「モード切替」が必要です。
自動的な酸素マスクを外して、自分の肺で、意識的に空気を吸うこと。
この「知的な深呼吸」をするために、簡単なトレーニングを紹介させてください。
1. 「エモい」禁止ゲーム
心が動いた瞬間、「エモい」や「ヤバい」といった、すぐに口をついて出る便利な言葉を、あえて封印してみます。 「なぜ心が動いたのか?」「何に似ているのか?」 必死に自分の言葉を探すその数秒間が、脳の血流をシステム2へと切り替えます。 (私も、小説などで出会った言葉をなるべく使ってみたり、同じ言い回しを繰り返し使わないように心がけています)
2. 清少納言の「カメラワーク」を真似る
「春はあけぼの(春は明け方がいい)」と言い切るだけでなく、清少納言はそのあとに「山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのがいい」と続けています。 全体をぼんやり見るのではなく、カメラのズームレンズを絞るように「細部」をじっくり観察する。それが「をかし」を見つけるコツです。 (美術館で絵を見るとき、すぐ解説を読まず、絵だけを見て「何が描かれているか」を心の中で実況してみるのもおすすめです)
これらはまさに、現代における「いとをかし」の実践です。
二つの思考を使いこなそう
現代を生き抜くには、瞬発的な「エモい(システム1)」も必要です。 けれど、自分の心を深く守るためには、ゆっくりとした「いとをかし(システム2)」の回路もさびつかせてはいけません。
もし、SNSの波に疲れたら。 「神対応」や「推し活」の熱狂から少し離れて、静かに一息ついてみてください。
その「深呼吸」の時間こそが、現代における本当の『ウェルビーイングな時間』なのだと思います。
テストでは「マジエモい」とは書けません。
けれど、そう感じた理由を言葉にしようとすることこそが、国語なのだと思います。
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