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【与謝蕪村】「原点回帰」はネタ切れのサイン?─パクリを進化に変える流儀とは

「原点回帰」と聞くと、なんだか寂しい響きがしませんか?

一発屋のミュージシャンが、売れなくなった途端に「デビュー当時の曲調に戻ります」と言い出すような。
「あ、ネタ切れなんだな」と勘ぐってしまうやつです。

江戸時代の俳人・与謝蕪村よさぶそんがやったことも、一見するとそれでした。
彼は、すでに神様になっていた松尾芭蕉に戻ろうとしたのです。
芭蕉については以下の記事をご覧ください。

「なんだ、昔のスターの威光にすがったのか」 そう思うかもしれません。

でも、違います。 結論から言うと、退化していたのは蕪村ではありません。 硬直していたのは、周りの「業界」のほうでした。

「ご本人登場」ごっこ

蕪村が生きた18世紀後半、俳句の世界は一種の「思考停止したファンクラブ」状態でした。

偉大なる先人・松尾芭蕉があまりにも凄すぎたため、後輩たちは「芭蕉」という正解をなぞることに必死になっていました。

  • 「芭蕉先生ならこう言うはずだ(妄想)」

  • 「先生の言葉遣いを真似しよう(形骸化)」

これは、歌で言えば「カラオケのモノマネ」です。
「ご本人登場!」の番組のように、歌い方から息継ぎまでソックリに真似ることが「良いこと」だとされていました。
そこには、自分の個性も、新しい挑戦もありません。

本気で「聖地巡礼」を行った蕪村

そんな中、蕪村もまた「芭蕉に帰れ」と叫びました。
そして彼は、言葉だけでなく行動(形)から入りました。

実は蕪村、芭蕉への憧れが強すぎて、若い頃に東北へ旅に出ています。
そう、あの『奥の細道』とほぼ同じルートを辿る、ガチの「聖地巡礼」を行ったのです。(芭蕉がしたのも西行の聖地巡礼だったのですが)

「なんだ、結局やってることはファンと同じ『追っかけ』じゃないか」 そう思われるかもしれません。

しかし、彼が同じ道を歩いたのは、思い出に浸るためではありません。
芭蕉という天才が持っていた「心(精神)」を理解するためでした。

当時の俳句は、酒を飲みながら座敷で楽しむ「ゲーム」になっていました。 蕪村は、その「ぬるま湯」から抜け出し、芭蕉と同じ「過酷な旅(孤独)」に身を置くことで、芭蕉の「心」そのものを手に入れようとしたのです。

「心」は芭蕉、「目」は画家

しかし、ここで面白い化学反応が起きます。
蕪村は、芭蕉と同じ道を歩き、同じ景色を見ました。
けれど、出てきた作品(俳句)は、芭蕉とは似ても似つかないものになったのです。

なぜか? それは、蕪村の「職業」に理由があります。

彼は俳人であると同時に、当時すでに名の知れたプロの「画家」でした。
ここが、凡庸なモノマネ芸人たちとの決定的な差です。

  • 芭蕉の目 = 心の機微や、わび・さびを見る(詩人の目)

  • 蕪村の目 = 色彩や、光の動きを見る(画家の目)

蕪村は、芭蕉の「心(ストイックな精神)」を持ちながら、世界を見る「目」だけは、徹底して「画家」であり続けたのです。

言葉で描いた「一枚の絵」

その違いがはっきりと出ているのが、彼の最も有名なこの句です。

菜の花や 月は東に 日は西に

ここには「寂しい」とか「美しい」といった感情の説明がいっさいありません。
あるのは、一面に広がる菜の花の「黄色」。東から昇る月の「白」。西に沈む太陽の「赤」。

それは俳句というよりも、言葉で描かれた「風景画」です。

芭蕉と同じ場所に立ちながら、芭蕉が「心」で感じていた風景を、蕪村はあくまで「目に見える絵」として切り取りました。
これこそが、蕪村流の「原点回帰」です。

時代の先を行き過ぎた男

蕪村は、退化した業界に向かってこう言いたかったはずです。
「芭蕉を拝むな。心の中で念じるんじゃなくて、自分の目で風景を見ろ」

しかし、残念ながら彼は評価されませんでした。
早すぎたからです。

感情たっぷりの演歌(精神論)が好きな当時の人々に、彼のクールで絵画的な作品は「なんか冷たい」「理屈っぽい」と敬遠されました。
彼が正当に評価されるには、百年後、正岡子規というもう一人の革命児が「写生(スケッチ)」の重要性を説くまで待たなければなりませんでした。

正岡子規は以前、万葉集についての記事で書きました。

形を真似て、使い方を変えろ

こうして見ると、「原点回帰」の正しい姿が見えてきませんか?

本当の衰退とは、過去に戻ることではありません。
「前例」を「正解」だと思い込み、思考を止めてしまうことです。

蕪村は、芭蕉の「形(旅)」を真似ました。
しかし、それは懐古趣味ではなく、自分の最大の武器(画家の目)を活かすための「準備運動」だったのです。

もしあなたが今、行き詰まって「原点に戻ろうかな」と思っているなら、 形から入ることを恐れないでください。

ただし、あなたの「目」までは過去に合わせる必要はありません。

蕪村のように、 先人の道を歩きながら、 あなただけの「目」で世界を新しく切り取ってみましょう。
それが、最強の「原点回帰」です。

この記事も、私の目で新しく切り取った「国語便覧への原点回帰」の文学史になっていたらうれしいです。

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