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「その記事、間違ってますよ」─AIで調べた私が、読者の一言で目が覚めた話

先日、森鷗外と脚気をめぐる記事を書きました。

ところが、その最初の版には、大きな問題がありました。
AIとネットで調べたつもりになって、よく知られた俗説をそのまま信じ込んでいたのです。

「森鷗外が白米にこだわって、多くの兵士を脚気で死なせた」。
悪役を一人決めて、わかりやすく語る。そういう記事を、私は最初に投稿していました。タイトルはそのままですが、記事の内容は修正済みです。

それを書き直すことになったのは、一通のコメントがきっかけです。

今日は、その失敗と訂正の「裏側」を書いておきたいと思います。私がどうして間違えたのか。
そこには、AI時代に何かを調べることの、笑えない落とし穴があったからです。

なぜ、俗説を信じてしまったのか

白状すると、あの記事の下調べには、AIのリサーチが使われています。

AIに「森鷗外の意外なエピソードを教えて」と尋ねると、実に流暢な答えが返ってきます。年号も、人名も、エピソードも、すらすらと。そしてそこには、当然のような顔で「森鷗外の責任だった」という筋書きが含まれていました。

ネット検索も同じです。上位に出てくるのは、よく読まれている記事。よく読まれている記事とは、わかりやすく、ドラマチックで、誰かを悪役にした物語であることが多い。「森鷗外が元凶」という話は、まさにそれでした。

つまり、ネットの世界では、一次資料よりも、繰り返しコピーされた俗説のほうが強いのです。検索を重ねても、同じ通説が言葉を変えて何度も出てくるだけ。少なくとも私の聞き方では、AIもその「強い俗説」を、もっともらしく整えて返してきました。

けれど、それをうのみにしたのは、道具のせいではありません。
「本当だろうか」と問い直さなかった、私自身の確認不足です。

調べたつもりで、実は俗説の海を泳いでいただけ。
それが、最初の記事の正体でした。

間違いを直してくれたのは、AIでもネットでもなかった

ここがいちばん大事なところだと、いまは思います。

私の間違いに気づかせてくれたのは、AIでも検索エンジンでもありませんでした。記事を読んでくれた、一人の人間でした。

便利な道具は、答えを早く出してくれます。
でも、「その答え、本当?」と立ち止まらせてくれるのは、いまのところ、やっぱり人間なのだと思います。

それでも、AIとネットを手放さない

ここまで書くと、「AIやネットを使うな」と聞こえるかもしれません。
でも、そう思っているわけでもありません。

知らないことに最初に触れるとき、入り口は広いほうがいい。
「森鷗外って、文学者なのに軍医だったの?」という驚きの一歩目を、AIやネットが用意してくれるのは事実です。
門前払いよりも、まず触れてみること。そこから「本当かな?」と思えるなら、道具は十分に役目を果たしています。

問題は道具ではなく、使い方でした。大事なのは、入り口で止まらないこと。
AIが出した答えを、終着点ではなく出発点として扱うこと。
─私は今回それを怠ってしまい、しっぺ返しを食らったわけです。

だから、これからも直していきます

この記事を、その訂正の記録として残しておきます。

私は間違えました。読者の指摘で気づき、直しました。
恥ずかしい話ですが、隠すよりこうして書いておくほうがいい。間違いが見つかれば、これからもそのつど直していきます。
調べることは、一度で完成する作業ではなく、少しずつ正しさに近づいていく営みなのですから。

AIの答えを、答えとして受け取らない。検索上位を、正しさの証明だと思わない。わかりやすい悪役が出てきたら、一度立ち止まる。
─今回の失敗で、私はその当たり前を、ようやく実感しました。

便利な道具だからこそ、振り回されずに「出発点」として使いこなしていく。そんな地道な営みを、これからもこの場所で、読んでくださる皆さんと一緒に続けていけたら嬉しいです。
気づいたことがあれば、どうか教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。

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