追憶の湖水地方──ハイラルの大地が思い出させてくれたこと|回生の旅路 #3
皆さんも感動したんじゃないでしょうか?
『ブレス オブ ザ ワイルド』で、リンクが回生の祠を出て──
初めてハイラルの大地を見渡す、あの瞬間。
ただ静かな音楽だけが流れるあのシーンに、
僕はゲームを越えて、“ある風景”を思い出しました。
1. 忘れていた旅の記憶──イギリス湖水地方へ
あの旅のことを、僕はすっかり忘れていた。
うつで何も感じられなくなっていた時期、頭の中には罪悪感や希死念慮みたいなものばかりが渦巻いていて、楽しかったはずの記憶がごっそり抜け落ちていた。
でも、リンクが回生の祠を出て、初めて草原を見下ろしたあの瞬間──
風の音と、静けさと、画面いっぱいに広がるハイラルの大地が、ふいに思い出させてくれた。
「あ、あの景色……あの時と似てる」って。
それは、イギリス南部のボーンマスでホームステイしてた頃のこと。
語学学校の授業も終わりが見えてきた頃、「せっかくやし、北のほうにも行ってみたいな」と思った。
ロンドンもコーンウォールも、オックスフォードにも、全部バスで移動して旅してた。
今思えば、イギリスって機関車発祥の国のはずやのに、鉄道はあんまり便利じゃなかった印象がある。
路線が限られてて本数も少なくて、バスのほうが安くてわかりやすかった。
バスに揺られて、丘がぽこぽこと連なるイギリスの田園風景を眺めるのが好きだった。
でも、もっと静かな場所に行きたかった。
当時はイスラム国のテロがニュースになっていて、アリアナ・グランデのマンチェスター公演の爆破事件もあった頃。
マンチェスターやグラスゴーみたいな大都市には、ちょっと足が向かなかった。
そんなとき、語学学校の先生が「湖水地方とかいいよ、ハイキングできるし」って教えてくれた。
ピーターラビットのふるさとって聞いた瞬間、なんかいいなって思った。
正直、それまで湖水地方のことなんか知らんかったんやけど、その響きだけで惹かれるものがあった。

ボーンマスから湖水地方までは、バスでなんと12時間。
なかなかの長旅やけど、当時は20代前半。変な自信と体力があって、友達も誘ったけど「遠すぎる」と断られて、じゃあ一人で行こかって決めた。
朝6時にボーンマスのバスステーションを出て、夕方6時に到着。
その日は小雨が降ったりやんだりで、空もどんより。
ホテルに着いたときにはもうヘトヘトで、Wi-Fiもうまくつながらんかったから、何もせずにすぐ寝た。

2. 湖と風と、何もしない幸せ
次の日の朝、目が覚めると、空が嘘みたいに晴れていた。
カーテンの隙間から光がまっすぐ差し込んでいて、昨日のどんよりした天気が嘘みたいだった。
「来てよかったな」って、静かに思った。
ホテルの食堂で、イングリッシュブレックファストを食べた。
ちょっと塩気の強いベーコン、焼きトマト、カリッとしたトースト、紅茶。
たいそうな料理じゃないけど、あの朝の空気と一緒に食べたその朝食は、ずっと記憶に残ってる。
外に出て、観光案内所で地図をもらって、ぶらぶら歩いた。
ピーターラビットの博物館をのぞいて、湖のほとりのベンチに座って、ぼーっとして。
ほんまにそれだけ。観光らしいことは、ほとんどしてない。
でも、それがすごくよかった。
湖の水が、風に揺れて、小さな波を立てる音。
鳥の声、遠くの犬の鳴き声、人の話し声。全部が遠くて、優しかった。
ただ座って、何も考えずに、その場にいるだけ。
不思議なことに、「何かしなきゃ」とか「時間を無駄にしてる」みたいな気持ちは、まったく浮かんでこなかった。
日本にいた頃は、ずっと「何かしなきゃ」って思ってた。
勉強、将来、成果、意味……すべてに“理由”をつけないといけない気がしてた。
でもこのときは、理由なんかなくても、ただ“ここにいる”だけで満たされてた。
今思えば、この時間こそが、僕の中の小さな「回生」やったのかもしれない。
何かをがんばったわけでも、結果を残したわけでもない。
でも、心の奥に静かに灯がともるような、そんな1日だった。

3. 丘の上で見たブレワイのような景色
3日目も、ありがたいことに快晴だった。
この日は事前に申し込んでおいたハイキングツアーに参加した。
参加者は、東南アジア系の家族連れ、スコットランドから来た気さくなおじさん、そして僕。
ガイドさんに先導されながら、のんびりと丘を登っていった。ガイドさん曰く、湖水地方は曇りが多いからこんなに晴れてるのはラッキーだと。
目的地は、湖水地方の中でも比較的標高のある丘だった。
ちなみに、イギリスで一番高い山はスコットランドのベン・ネビス山で、標高は1,345メートル。
日本の山と比べると全体的に低くて、このとき登った丘も“登山”というより“ハイキング”という感じやった。
丘がポコポコと連なっていて、見晴らしはいいけど足取りは軽い。
風は爽やかで、雲も一つなく、歩いているだけで気持ちよかった。
語学学校でそれなりに英語に自信を持っていた僕やけど、
スコットランドから来たおじさんの英語に完全にやられた。
スコティッシュ訛り、ほんまに何言ってるかわからん。
愛想笑いで「Oh, yeah〜」って返すのが精一杯。
せっかく話しかけてくれてるのに、うまく返せない自分が悔しかった。
でも、不思議なもので、体を動かして風に吹かれているうちに、落ち込んだ気持ちもふわっとほどけていった。
そして、ようやくたどり着いた山頂からの景色。
それは、僕の記憶のなかにずっと残ってる。
丘がいくつも重なって、湖がきらきらと光っていて、空がどこまでも広がっていた。
その風景は、『ブレス オブ ザ ワイルド』でリンクが初めて世界を見渡す、あのシーンとそっくりだった。
リンクが回生の祠を出て、崖の上に立つ。
音楽はなく、ただ風だけが吹いている──
画面の中に流れていた“静けさ”が、かつて自分が立っていたあの丘の上と完全に重なった。
ゲームをプレイしていた僕は、
「あっ……」と声にならない記憶に胸をつかまれた。
忘れていた旅の一場面が、ハイラルの草原のなかでそっと目を覚ました。

4. うつで失った記憶、リンクが思い出させてくれたこと
帰りのバスは、あっという間だった。
ボーンマスまで12時間、乗っていたはずやのに、ほとんど何も覚えてない。
多分、疲れて爆睡してたんやと思う。
でも、それくらい心も体も満たされていた。
あの旅のこと──
僕はうつになったとき、その記憶をまるごと忘れてしまっていた。
楽しかったはずのイギリスでの日々も、湖水地方の穏やかな時間も、きれいさっぱり消えていた。
頭の中は罪業妄想と希死念慮と、グルグル思考でいっぱいで、
思い出なんかに触れる余裕はどこにもなかった。
けど、『ブレス オブ ザ ワイルド』を始めて、リンクが“目覚めた”とき。
あの崖の上に立つシーンを見た瞬間、
胸の奥で、カチッと音がしたような気がした。
あの風景、あの風の音──あれ、どこかで見たことある。
そう思った瞬間に、湖水地方の記憶が、ふっとよみがえった。
丘の上で見た景色、湖の水面、ただベンチに座っていた時間。
忘れていたはずの旅の記憶が、リンクと一緒に帰ってきた。
リンクは100年の眠りから目覚めて、ウツシエ(写真)の記憶を少しずつ取り戻していく。
僕も同じように、暗い部屋で眠るように過ごしていたけれど、
画面の中のあの一場面が、僕の記憶を目覚めさせてくれた。

それが「回生」ってことなんやろうなって、今では思う。
何かを“思い出せる”というだけで、少しだけ前を向ける気がしたんよ。
記憶は、失われるだけじゃなくて、ふとした風景や音・匂いから、また戻ってくることがある。
そしてその“戻ってきた記憶”が、今の自分に小さな力をくれる。
リンクがそうだったように、僕もまた、自分の旅をたどり直しているのかもしれない。
次回は、『100年前の跡地で、ポンペイを思い出した』という話。
失われた営みの痕跡に触れたとき、かつて訪れたポンペイ遺跡の記憶がふいに甦った。
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