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白刃|記事紹介

抜き身の刀だと思った。

贅言を弄さない。
短く切り詰められた言葉の一つ一つに、鋭利な切っ先が的皪と光る。

筆者のKohさんのスタンスはシンプルだ。
世の中が、本来十人十色なはずのママの心の中を「一緒くた」に片づけようとすることに対して、

私はママである前に「私」なのに。

と、カウンターを放つ。

きっかけは、ある記事を読んだことだと言う。

子育て系のWeb記事を読んでいた。
「ママが抱える不安にはこんなものがあります」
数年前まで、読み漁っていたジャンルだが妙に違和感を覚えた。

おそらくその記事には、世のママが抱える不安や悩み、苦しみから、「最大公約数」をとったようなことが書かれてあったのだろう。
みんな、こうでしょう?と。
そうした記事には、SEOを意識してか、ご丁寧に解決策まで記されてあることも多い。

しかし、それらの苦悩は必ずしも解決すべきなのか。
本当に乗り越えるべきなのか。
そして、それは今すぐでなければならないのか。

Kohさんは問う。

乗り越えるのも今か後か、選んでもいいじゃない。
苦しみが長くたって向き合う時間が長くなったっていいじゃない。

でもちゃんと解決すべきって促される。
乗り越えないと子どもが幸せじゃないよ、っていう世の先輩からの圧力を感じて仕方がない。

こういう親はよくて、ああいう親はダメだと、まるで子育てをカタにハメているみたいだ。
うんざりする。

太宰治の名言が思い起こされる。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。
 あなたが、ゆるさないのでしょう?)

太宰治「人間失格」

***

このように、

本来十人十色なはずのもの

の中に、勝手によくわからない

標準規格

を作り出して、
そこからハミ出ないように誘導することを、

「家畜化」

と言う。
家畜を作る方法と全く同じなので、そう呼ばれている。

古来、人間は豚や牛など、いくつかの種類の野生動物を家畜化してきた。
しかし、人間は、「人間自身」をもまた、家畜化する。

最近の進化生物学のトピックスに「自己家畜化」というものがあります。
これは、生物が進化の過程でより群れやすく・より協力しやすく・より人懐こくなるような性質に変わっていくことを指します。

熊代亨「人間はどこまで家畜か」

つまり、あらかじめ多くの人間たちで「人間の標準規格」を定めておき、そこから逸脱する人間を爪弾きにしていけば、人間社会を維持しやすくなる、という寸法だ。

子育ての世界でも、この「人間による人間の家畜化」が公然と行われている。

世のママ・パパの皆さん、こんなお悩みありませんか。
こうしてああすると、ホラ解決。
アラ~!家族みんなが「幸せ」に~!

……。

「家畜人」として、その言いつけを守って、清く正しく子どもを育てていけば、確かに紋切り型の「幸せ」は手に入るのかもしれない。

でも、それだけだ。

Kohさんは、そうした「家畜人としての幸福」を拒む。

私は、すべてが「ママ」になったつもりはないですから。

この一文は、家畜化に対する静かな宣戦布告のようにも読めないだろうか。

声を荒らげるでもなく、怒号を放つでもない。
だが、この社会規範の首筋をかすめるような言葉の白刃には、返り血上等の気概さえ滲む。

***

さて、これだけ危うさを秘めた文章なのに、一読しても「血なまぐささ」を全く感じさせないのはなぜか?

単純である。
誰も傷つけていないからだ。

では、なぜKohさんはこんなにも言葉の刃を研ぎ澄ませているのか?

ここまで読めばもうお分かりだろう。

そう。
この抜き身の白刃は、誰かを斬るためではなく、家畜の群れに背を向け進む自分自身の行先を照らし出すために抜かれているからだ。

(ご参考 1/2)あなたの記事を紹介させてください!

こんな企画やってます!
コメントでも何でも構いませんので、ぜひご連絡ください!

(ご参考 2/2)引用した書籍

「人間はどこまで家畜か」は、昨年刊行されて話題となった新書。
全体的に、家畜化のメリットはある程度肯定しつつも、「人間の標準規格」から滑り落ちてしまう人たちはどうすればいいのか、といった包摂的な立場を取っており、鮮烈なタイトルの割りにハートフルなアングルがギャップ萌えな本です。笑


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東大卒2児ママの夫 お気持ちめちゃくちゃ嬉しいです!でも、本当にいいんですか?