「親離れが遅い」ことの何が悪いのか|記事紹介
おかげさまで、この記事紹介企画も12作目となりました。
でも、毎回のように葛藤するのです。
こんな読み方して、
おまえ失礼だろ
と。
この種の葛藤について、ピカソはこんなことを言っていたそうです。
あらゆる危険を冒してでも
ものごとの本質に迫らなければ。
私は芸術家でも何でもありませんし、ピカソのような天才でもありません。
しかし、文章表現の世界も同じで、
ある程度リスクを取らないと
人の心に何かを残すことはできない
と常々思います。
ですので、今回もリスク覚悟で記事紹介をさせていただきます。
今回ご紹介するのはこちらの記事です。
時間がない方は以下の引用だけでも読んでみてください。
私も母みたいになりたい。
どうして私は母みたいじゃないんだろう?
そんな気持ちに、長いあいだ支配されていた。
でも最近になって、ようやく折り合いがついた。
私は母ではないし、
時代も、環境も、結婚相手も違う。
完璧に見えた母にも、不器用なところがたくさんあったと
ようやく気づけるようになった。
…(中略)…
ようやく、心の中で小さくつぶやける。
ありがとう、お母さん。
そして、さようなら。
40を目前にして、ようやくの親離れ。
著者の滝沢あい子さん。
お母さんが「働く女性の見本のような人」
だったそうで、自分も将来はこうなるんだとその背中を追っていたはずなのに、結婚・出産を経て、気づけば
自分は専業主婦のような日々
を送ることになったことから、焦りを感じていたのだとか。
何が直接的なトリガーになったのかは詳らかにされていませんが、紆余曲折の末、「自分はお母さんとは違うのだ」と受け入れることができ、
40歳目前での親離れ
に至る……というのがこの記事のハイライトです。
読んでみて何をお感じになりましたか。
時間はかかったけど、親離れできてよかったね、とか、
そうだよね、お母さんって偉大だよね、とか、
そんな感想が漏れ聞こえてきそうですよね。
私は、この記事から、滝沢あい子さんが抱えてきた
40年分の孤独
を感じました。
通常、「子どもからみた親」というのは以下のような変遷をたどります。
幼少期:完璧超人、すごい人!
思春期:ケッ、こいつらもただの人間やんけ、しょうもな笑
成人後:ああ…なんだかんだ偉大な人たちだったな…
なぜ、幼少期に親を「完璧超人」として理想化してしまうのでしょうか。
子どもというのは弱い存在です。
子ども自身も自らの弱さを認識しています。
そこで、自らを世話してくれる「親」こそは完璧超人だ!と思い込むことによって、自分の弱さという
「空白」を埋めようとしている
のです。
ぼくの親はスゴイ、だからぼくもスゴイ、といった形で、脆弱な自己イメージを補います。
心理学者が以下のような例を用いて説明しています。
一例を挙げよう:子どもが転んだりケガをしたりして、慰めを求めて親のもとに駆け寄る時だ。子どもは、自分で慰めることができない痛みの瞬間に、自身を落ち着かせてくれる人を必要としている。
One example: when a child falls or is injured and runs to a parent for soothing comfort. We need a person who can calm us in moments of pain when we are unable to give that to ourselves.
自分がケガをしたとしても、
完璧超人である「親」なら何とかしてくれる!
と思って駆け寄るわけですね。
これが子どもにとっては心の支えになります。
やがて、成長して思春期を迎えると、自分がもうただの弱い存在ではないことにも気が付いていきます。
ケガをしても自分で何とか出来てしまうからです。
したがって、親を理想視する必要もなくなります。
ケッ、こいつらもただの人間やんけ、しょうもな笑
と親に反抗することで、これまで
親子で一体だったアイデンティティ
から、
自分だけのアイデンティティ
を作ろうと、親からの分離を試みるようになります。
ところが、筆者の滝沢あい子さんは、
40歳近くまでお母さんを理想化し続けました。
なぜでしょうか。
記事をよく読んでいただくと、
筆者のお母さんは、
あれこれと指図する人ではなかった
と書かれています。
一見、良い関係に見えますよね。
でも、これは別の見方をすれば、
お母さんが筆者の内面に
深く関わってこなかった
ことの裏返しです。
つまり、滝沢あい子さんは、お母さんと
本当の意味で親密に
なれなかった
からこそ、「憧れ」という絶妙に安全な心の距離を保ち続けたのかな、と。
「完璧な母親像」は、決して裏切られることはないけれども、決して触れることもできない、
美しい幻想
だったのかもしれません。
富士山も遠くからみると美しい
ですが、
実際のぼってみるとゴミが多い
と気が付きます。
親子関係も同じで、本当に親密ならば、相手の欠点も見えてくるのです。
それが見えないということは、実は十分に近づけなかったということ。
そうですね、もっとはっきり言い換えます。
滝沢さんにとって、
「憧れ」は「愛」の代替品
だったんじゃないですか。
ずっと孤独だったんじゃないですか。
寂しかったんじゃないですか。
だから、主婦としてお子さんに目一杯の愛を注ぎこむための時間を確保されてきたんじゃないんですか。
それのどこに「居心地の悪さを感じる」必要があるんですか。
働くことと同じくらい、いやそれ以上に価値のあることじゃないですか。
「40目前の親離れ」、そのおかげでお子さんは愛情たっぷりに育っているんじゃないんですか。
主婦になったというその選択、本当に素晴らしいことだよな。
これからも、ずっと胸を張ってほしいな。
そんな思いをもって読まさせていただきました。
(ご参考 1/2)あなたの記事を紹介させてください!
こんな企画やってます!
コメントでも何でも構いませんので、ぜひご連絡ください!
(ご参考 2/2)引用した書籍
色んなピカソ語録が掲載されています。
引用した以外にも、文章を書く上で参考になる言葉がたくさん載っています。
例えば、こんな言葉。
絵は観る人にショックを与えることが重要だ。
観る人を無感動な状態から引きずり出し、震えさせ、感情をかきたてるものでなくては。
私も、私の書いたものを読んでくださる方の心に、何かを届けられるようになりたいと思います。
※本記事紹介企画ディスクレーマーに記載の通り、こちらの記事によって不利益を被ってしまったり、ご不快なお気持ちになられてしまった場合などは、ご連絡いただき次第、速やかに削除させていただきます。何なりとお申し付けください。
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