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【前編】~なりきり作家の旅 オタワ春夏編~世界は優しさ以上で想像不可能!? きっと“なんとなく”で出来ている⑦


◎あらすじ

 スマホもガラケーもない90年代後半に、22歳の私が世界を旅した日記風エッセイ。
シリーズ第7弾はオタワ完結編! 南米旅行を終えた私は、自分の気持ちを確かめるべくオタワへと舞い戻る。
 時には画家のグエンに絵を習い、ある日は物語に筆を執ったり。オタワで出会う様々なクリエイターに感化を受ける日々。
 しかし唯一の愛読者だったアグネスが帰国し、執筆のモチベーションが不安定に……。
 加えて盲目的なまでに愛していたはずのレニーに対しても関係の変化が訪れる。教師&既婚者への禁断な恋の結末は一体どこへ向かうのか。

 当時執筆した“死生観”と“性愛”をテーマにした2作品も、巻末にて収録しております!


◎前作の続きをざっくり振り返り

 気持ちの整理をつけるため、私はオタワを飛び出し南米旅行を計画していた。
 キューバに始まる旅路は懐古と新鮮の連続だった。顔馴染みのヒラルド宅で、悶着を抱えながらも共同生活をこなす日々。変わらないキューバの風景に自分の現状を重ねたり。
 あるいは予期せぬ出会いにときめいて……少し切ない別れもあって。
 それからベネズエラ・コロンビア・ペルーと国を跨ぐ中で、自分という人間についてより深く知っていくこととなった。
 居心地のいい場所を求めるだけの在り方を見つめ直し、自立への道を少しずつ歩み続ける。
 島を渡り・山を登り・はたまたダンスを経て、苦悩の重みと人の温かさを再認識することができた。
 そしてボリビアのフルート吹き、タケシさん。
 偏屈な彼の意見はトゲのように鋭利だったけど、学ぶことも多く、自分の至らなさを痛感するキッカケをもらった。
 創作は万人に受け入れられる訳じゃない。
 思えばこのとき初めて、明確に自分の創作に難色を示された。オタワで絶賛を受けて良い気になっていた私に、タケシさんの反応は劇薬だった。
 そして南米を締め括るブラジル旅。
 日本街ではこれまたいい出会いに恵まれ、歳の離れたガールズトークに花を咲かせていたのも束の間。街を移り始めた頃から原因不明の体調不良に襲われる日々が……。
 病院に行こうにもそんな元気すらなく、ただひたすらに部屋で苦しみ続ける毎日。
 ホテル内でボヤ騒ぎなんてトラブルにも巻き込まれ、これまでの好調が一変して四苦八苦に見舞われ続ける。
 しかし私は、そんな逆境の中でも筆を執り続けた。
 いや、むしろ逆境だからこそ筆を執ったというほうが正しいだろう。
 人間死ぬ気になればなんでもできる。私の場合は、死ぬ気にまで追い込まれないと腰が上がらない。
 執筆が気つけ薬となったのか、ブラジルを発つ頃には体調も回復していっていた。
 改めて自分がしたいことを見つめ直した結果、私は迷いなくブラジル旅行からオタワに戻ることを決断し、確かな足取りで空港へと向かうのだった。


前作~天と地に近づく旅 キューバ・ベネズエラ・コロンビア・ペルー・ボリビア・ブラジル編~【全3作】


◎23章までに登場した人物紹介

※登場人物が多いため、今作からの人物紹介も入れています。
今作からの登場人物は◇マークです。

★レニー……オタワの英語学校での先生として知り合う。51歳。家族ぐるみの付き合いをしつつも恋人関係。
 
★シンシヤ……レニーの妻。50代前半。

★グレゴリー……レニーの四男。14歳。足に障害があり車椅子生活者。

★マイケル……レニーの長男。レニーの紹介によりビクトリアで会う。妻と2人の子どもとは別居中。23歳。アルバイトをしながら絵の勉強をしている。
 
★サム……レニーの次男。レニーの紹介によりイスタンブールで会う。21歳。ピアニスト。
 
★瑠美さん……オタワの英語学校で知り合う。一番仲の良い友人。夫の転勤に付き添う形でオタワに1年間住んでいる主婦。36歳。

★大橋さん……青年海外協力隊としてチュニジアに1年間滞在中。32歳男性。瑠美さんに紹介してもらい、2週間家に泊めてくれた。

★ローナ……レニーのクラスの後に担任となる女性教師。50代半ば。自分のクラスは全員進級させるという強い責任感とポリシーを持つ。
 
◇ボブ……私が南米旅行から戻ったときの新しいクラスの担任教師。50代前半。

★アグネス……レニーのクラスで知り合う。ポーランド人女性。23歳。私の書く物語の初めてのファン。今作ではボブのクラスにいる。
 
★トシ君……ローナのクラスで知り合う。ワーホリ仲間。20代後半。

◇清子さん……私が南米旅行から戻ったとき、一日だけレニーのクラスに参加したときに出会う。50代半ば。

◇デイビッド……清子さんのご息女のパートナー。カナダ人。ラジオのシナリオライター。30代前半。

◇菊川さん……華道、盆栽、絵のプロアーティスト。50歳。

★弘人さん……キューバで知り合い、一緒にダンスを習う。27歳。一時恋に落ちる。

★タケシさん……ボリビアで知り合う。フルート奏者。40代前半。

★松子さん……ブラジルで知り合う。日本人会館での仕事を手伝っている主婦。50代半ば。

★イーフ……ファームステイで知り合う。別れ際にオタワにある実家の住所を教えてもらったため、私がオタワを訪れるきっかけとなる。21歳。

★ジュリエット……イーフの双子の姉妹。初めてのオタワ来訪時に一度会う。21歳

★キャロリン……イーフの母親。40代半ば。ベジタリアンレストランのオーナーシェフ。
 
★グエン……キャロリンの妹。画家。40代前半。キャロリンのベジタリアンレストランでも働いている。
 
★メアリー……キャロリンが紹介してくれた中国人女性。私を家に1ヶ月弱ホームステイをさせてくれる。30歳

★ツトム……ファームステイで知り合う。26歳。

★フジオ……ファームステイで知り合う。24歳。

★モンティ……ファームステイ先の家族の末っ子。4歳。

★涼子ちゃん……東京で添乗員の資格を取る学校で知り合う。トロントに遊びに来て、一緒にニューヨークを観光する。24歳。


第23章 オタワ


衣替えと脱皮


 2ヶ月半ぶりにオタワへと戻った私が泊まるのは、前回もお世話になったホテルアパートメント。
 こう何回も利用していれば、部屋を覗いた瞬間から実家のような安心感すら覚えるというものだ。
 とはいえ流れた月日は相応で、窓から映る景色は以前とは様変わりしている。
 旅立つ前は雪景色だった風景も今は新緑の春へと衣替え。

 季節はもうすぐ5月。外はとても暖かく、すでに夏の匂いが漂い始めている。
『もうすぐ暑い夏が来るよ』
 まるでお天道様がそう告げているかのような、暖かさを予告するこの季節が私は好きだ。

 常ならば窓の外でも眺めながら感慨に耽っていたことだろう……。
 しかし今の私は優れない体調のまま渡海した身。未だ回復しきっていない体調を鑑みて、感慨よりも先に診察を急いだ。

 黄熱病ではありませんように!!

 ブラジルで一人ベッドの上で死をも覚悟していたせいか、黄熱病の可能性が脳裏から離れない。
 胸中が不安で苛まれる中、医者からの診断結果はただの風邪。
 気付けば安堵の溜息が盛大にこぼれ出ていた。

 診察結果も含めレニーに体調の件を電話越しに伝えると、彼はわざわざスープや薬、はたまたお見舞い用の花まで持参してくれたのだ。
 レニーと出会ってから随分と経ったけど、こういう優しいところは依然変わらず。
 それは彼の生来の質(タチ)。困っている人がいれば、レニーはたちまち救いの手を差し伸べる。
 私にだけ優しいわけではないのが、ほんの少しだけ口惜しい……。

 たくさんのお見舞い品を持って来てくれたレニーだけど、彼自身にも風邪の兆候があると話していた。
 末っ子のグレゴリーが風邪にかかりやすく、万が一私の風邪までレニー越しにグレゴリーへとうつったら大変だ。
 万全を期すためレニーを部屋には招かず、ホテルの玄関先で離れてやり取りをすることになった。

「君は強くなって帰ってきたね。僕にはちゃんと感じるよ」
 さすがは先生をしているだけあって、レニーの慧眼には感嘆させられる。
 これまでの旅路で私の精神は大きく成長している。例え病気で弱っていても、溢れ出るオーラのようなモノがレニーの目には留まったのだろう。

 もちろん私だって、レニーに抱く印象は変化している。
 ……だけどそれは、あまりポジティブな変化ではなかった。

 レニーが小さく見える。
 玄関で距離を置いている物理的なせいではない。かといって言語化しようにも言葉が見つからない。
 あるのは“なんとなく”という感覚。
 以前はレニーのことで頭がいっぱいだったはずなのに、今では彼をどこか俯瞰している自分がいる。
 旅での経験が、私に広い視野を持たせたからだろうか。

 とはいえこうしてレニーと出会えたことは嬉しい限りだ。
 違和感は胸の内に仕舞っておこう。

 レニーを見送った私は、貰った薬を飲んでスーパーへと向かう。
 体調不良にはフルーツがいいという民間療法にあやかり、目に付いたパパイヤを手に取る。これがまた私の小さな手にも収まる小ぶりなサイズ。
 これなら安くすむかな……?
 南米に居た頃の感覚で意識せず買った物が、レジを通せば高価な果物へと早変わり。
 大きさ・価格共に南米の物とは比べるべくもなく、おまけに味もそこまでといった具合。
 あっちは、安くて絶品のフルーツでいっぱいだったのになぁ……。
 産地の異なる他国を比べても仕方のないこととはいえ、こうも商品の違いを見せつけられると、南米の味を恋しく思わずにはいられない。

 ──その後も、数日間は学校を休んだままだった。
 こっちに戻る際、当然復学も計画に組み込んでいる。
 言語の習得という目的はかなり薄れてしまっているけど、それでも学校に通う動機までは失ってないつもりだ。
 学校には縁を紡いだ友人たちがいる。彼女たちに会うためにも、一刻も早く学校に戻りたいのに!

 病気でナイーブになる私に、瑠美さんのほうから心配の電話をかけてくれた。
「もう少し経てば多分本調子になりますから」
 自分の体のことなのに、明確な答えが出せない。それが余計に腹立たしい。
 瑠美さん曰く、私が旅行に行っている間にみんな進級していったらしい。
 当たり前の事だけど、私が国を渡り歩いている間にも、他のみんなは勉学に励んでいるんだ。
 随分と遅れを取っている。ただでさえ学校に向かう足が竦みかけているのに、余計に行き辛くなっていく。

 一人勝手に気落ちする私に、朗報が舞い込んだ。
「奈々ちゃん宛に名古屋の弘人さん? って人からの手紙が届いていたから、郵便受けに入れておいたよ」
 ハバナでの連絡先交換のときに、弘人さんには予め瑠美さんの住所を伝えてあった。
 その甲斐が今ここで実ったのだ。

 弘人さんとは、一言では語れない様々な思い出がある。甘酸っぱい記憶は今でも鮮明に残っている。
 電話の後、私は早速手紙を取りに行った。
彼からの文章一つひとつが私の心をかつてのハバナへと引き戻した。 

   * * *

 俺にとっては“何も起こらない退屈な町”であったはずのハバナを変えてくれてありがとう。
 場所が違ったら、あるいは奈々ちゃんとの出会いがなかったら。俺はどんな気持ちで海外を過ごしていたのだろう……。
 あのとき奈々ちゃんを好きになったということを、大切にしたいと思います。 

   * * *

 手紙の内容は簡潔なものだった。言葉であまり語りたがらないのは、行動主義の弘人さんらしい。
 そんな彼でも、きちんと好意を言葉にしてくれた。
 手紙を読み終えた私はそっと彼からの手紙を胸の前に抱き留めた。

 南米旅行の収穫は数多くある。
 その中でも弘人さんを好きになった経験は、得難いモノの1つだ。
 レニーのことで頭をいっぱいにしていた今までの旅行とはまったく違う。彼との出会いがあったから、今はもっと冷静に俯瞰した視点から物事を見ることができる。

 手紙をもらったおかげか、その後の体調はみるみる回復していった。
 頃合いを見計い復学を決意する。とは言うものの、知り合いはみんなクラス替えで進級していっている。
 復帰早々、一人孤独にローナのクラスでスパルタ教育を受ける気力は持ち合わせていない。

 レニーに相談すると「旅の疲れもあるだろうから、次のクラスが決まるまで僕のクラスに来たら?」と提案してもらった。
カナダ・アメリカ旅行の後も、ヨーロッパ旅行の後も、私は必ずレニーのクラスに戻っていた。
そして今回もレニーのクラスに戻る。帰省するような気分だ。

レニーのクラスは、歌にジョークと笑顔が絶えずリラックスできる。
 でもしばらく経つと、授業の内容に退屈さを覚え始めてしまう。
初めて受けたときは授業を受ける度に感動で涙していたのに、英語力が上達した途端退屈だなんて……。

 自分の恩知らずさには辟易する思いだ。
 しかし一度意識してしまった思考を止めることはできない。
 海の波がサーッと引いていくみたいに、驚くほど自然に気持ちが冷めていくのがわかる。
 レニーが紡ぐ歌が、語る内容が、どこか他人事のように右から左に流れていく。

 “オアシス”は変わらない。
物足りなさを覚えたのなら、それは私が求める理想が高くなった証拠だ。
強くなった私に癒しは必要ないのだろうか。 

 季節の移り変わりで自然が雪から草花へと衣替えをしていくように、どうやら私の気持ちも、古い皮を脱ぎ捨てたくなっていたらしい。




ありがたいor迷惑?


 続けて受けるレニーの授業。このクラスには今、一人だけ日本人のおばさまがいる。名前は清子さんといい、年齢は50代半ばなのだそう。

 何歳であろうと国を渡る人はいるし、旅先で授業を受ける渡航者だって少なくない。
 だから清子さんが授業を受けていることには大して意外でもなかったけど、驚かされたのは、清子さんが休み時間中に英字新聞を声に出して読んでいたこと。
 新聞を読むなんてレニーの授業では扱っていない。
 訊けば、午後に受けている中級クラスに備えているらしい。

 中級を受ける実力があるのにわざわざレニーのビギナークラスも受けてる理由は、発音・話す・聞くことに慣れるためという。
「こういうクラスは貴重だと思うよ。日本には絶対ないしね。どのクラスも日本にもあるような普通の英語の教え方だけど、このクラスは特別。最初と最後に3曲くらい歌うでしょう? わたしはそのためだけにこのクラスに来てるのよ」 

 つまるところが、レニーの歌う授業スタイルに感銘を受けたというわけだ。
 初日に彼の授業を受けた私にも大いに身に覚えがある。

「私も一番初めにこのクラスに来たとき感動しましたよ。日本は詰め込み式の勉強でしたから、尚の事目新しくって!」
「ええ、本当に。わたしはその歌のためにお金払ってるようなものよ。なのにみんな移民の人ばかりで……。無料の人って平気で遅れてくるでしょう? その度に授業が中断されて、レニーもその一人のためにいちいち説明するから。お金を払っている身としては無駄な時間よね。ま、それがこのクラスのいいところなんだけど」
 わざとらしく息を吐く清子さんに、私ができるのは苦笑で同意を示すことくらいだ。

 レニーの親切は何も遅刻者に留まらず、初めて教室に来た生徒に向けてクラスメイトを一人ひとり紹介する。
 授業を優先させるのであれば、そういった生徒間の交流は排すべきなのだろう。
 だけどレニーは重んじる。生徒の紹介に軽い冗談も含めたトークは、アイスブレイクのようなひとときでクラス全体の緊張も和らぐ。
 そういった無駄とも思える行動一つひとつがレニーの売りであり、確固たるスタイルだ。

 清子さんはお気に召さないようだけど、私はこのあたたかい歓迎によって救われた一人だ。
 確かに今日も、たった一日参加する私のためにも生徒の紹介タイムを設けてもらっていた。
 煩わしいと評する彼女の意見も理解はできるけど、賛同までは難しい。
 しかし清子さんの不評はそれだけには留まらなかった。

「レニーは授業が終わってからも延長して歌をやってくれるでしょう? サービスとしては有り難いんだけど、午後のクラスまで30分しか間隔ないから、昼食食べられないまま次のクラスに移動するハメになるの。『歌いたい人だけ残って』って言うけど、せっかくやってくれる手前席も立ちづらいし……」

 清子さんの意見は、私にはない着眼点だった。
 基本的に授業の掛け持ちをしない私にとって、サービス精神旺盛なレニーのスタイルにはただ感涙するばかりだったけど、考えてみれば時間通りに終わって欲しい人だっているんだ。
 これには「その通りですね……」と心からの同意を返す他ない。

 午前の授業が終わった私は、引き続きレニーの午後のクラスを受けることにした。
 以前は午前で切り上げていた授業も、予定がない今では帰っても時間を持て余すだけ。だったら少しでもレニーの活力に触れていたい。

 こっちの授業にも日本人がいる。3人の若い男女だ。
 彼らの雰囲気は、日本からの旅行でそのまま来たという印象を受ける。機能性よりもオシャレを優先したような、洗練された見た目。
 私もナウいヤングではあるけど、海外生活の期間差があるからかどうにも彼らとは近寄り難い。
 例えるなら、日本人同士で固まっていたかつての英語学校を彷彿させるような、そんな身内だけの空間が彼らにはあるように思う。

 そのまま彼らと話すことはなく授業は終わり。
 帰り際、別のクラスで授業を受けていた清子さんに、彼らについて訊いてみた。
 曰く、3人組はエホバの会というクリスチャングループの人たちらしい。
 グループは世界中どこにでもあるらしく、主な仕事は宗教の勧誘。やろうと思えばワークビザも取れて世界中どこでも簡単に行けるのだとか。

「本物の宗教家には見えなかったから、制度を利用するだけ利用して観光を楽しんでるんでしょうね」
 似たような話は、レニーの体験談で聞いたことがある。

 食と住に困っている人でも海外経験ができるという点では素晴らしい制度だ。
 宗教というだけで偏見や危ないイメージがあったけど、若い人が自分の語学や旅行のために“宗教を利用する”のは、周りの目を気にしなければ案外賢い方法かも……?

 学校の前で立ち話をしていたら、元クラスメイトのアグネスに会った。
 出会って早々、彼女からお願いをされる。
「アタシ、来月ポーランドに帰るの! だからその前に、ナナと一緒に同じ授業を受けたい!」

 アグネスからの懇願に私は答えを悩んだ。
 レニーのクラスは簡単すぎるけど、かといって進級できるほどの実力があるとも思えない。
 南米では一人旅行も平気でいられたけど、新しいクラスに飛び込むのには別の勇気がいるから……。

 結局その日は答えを出すことができなかった。




本番兼練習の場


 次の日。
 ローナのクラスで一緒だったトシ君、それに安定の瑠美さんを加えた私たち3人は、観光名所で名高いダウズレイクに向かっていた。
 世界最大と称されるチューリップフェスティバルを見に行くために。

 湖に着くと、まず飛び込んでくるのが一面のチューリップ畑。
 毎年のようにオランダから100万株以上の球根が送られて来るらしく、街中の花壇がチューリップで埋め尽くされている。

 圧倒されるのは単なる本数だけに留まらず、チューリップの種類も素人目から見てもかなりの数がある。
 形、色、背丈、はたまた花弁の開き方まで。様々な花たちが自らの個性を爆発させている。
 ナンバーワンよりもオンリーワン。
 ここの花たちはどれも華美に咲き誇り、優劣をつけるのが馬鹿らしくなるくらい、それぞれが際立っていた。

 広々とした空間に対して来訪者はまばらで随分と開放的だ。
 どこか異世界を思わせるような広場を歩いていると、改めて海外に居るという実感が湧いてくる。
 テーマパークや美しい場所は東京にも数多くあるけれど、ここまでのどかな光景が広がる場所はないように思う。

 一人メルヘンに浸っていると、瑠美さんが感心したように言葉を紡ぐ。
「ここの人たちは自分たちで楽しむ方法をよく知っている。反面、日本人はすぐツアーデスクに行ってオプショナルツアーに参加したり、誰かのおすすめレストランへ行ったりするから。わたしも含めて、日本人は自分たちで楽しむのが下手気味だよね」

 えぇ、まさにそんな“楽しみ下手”な代表が私です……。
 思えば私は国を渡る度にツアーや決まった観光ルートを求めていた。直近の南米だって、一目散にツアーの参加を申し出ていたくらいだ。
 私のように意志薄弱な人間は、初めから決められている楽なほうへとついつい流されてしまう。

 トシ君も、瑠美さんの意見には思うところがあったらしい。
「日本は豊かすぎるせいか、ないものがないくらいになんでもあるからさ。わざわざ自分で何か作る必要がないんだよ。これも日本にいたら気づかないことだけど。向こうでカナダの話をしようものなら、カナダかぶれしてるなんて揶揄されるだろうね」 

 そうした意見があるのも否定はしない。
 海外での経験談を語っても、色眼鏡で見られることは少なくないから。

「でもいいところだけうまく見習って持ち帰りたいよ」
 私の返答には、トシ君も瑠美さんもなんとも言えない反応をしていた。
 それが出来れば苦労はしない。
 彼らの口はそんな風に言いたげだ。

 彼らの言わんとしていることも理解できる。
 現に、私の南米旅行記に彼らが興味を示していないのが良い証拠。
 人の旅行話なんて片手間で聞いているくらいが丁度いいのだろう。個人がどんな経験をして、どんな風に成長してきたかなんて、他人はそこまで興味がないのだから。

 3人でブラブラと歩いて、見かけた豪邸を巡り、続いて児童センターでお茶にする。
 席に着いて早々、トシ君は溜息交じりに話し始めた。
「ボクってもう1年もカナダにいるんだよなぁ……。それでまだお粗末な英語しか話せないんだから、滞在期間は周りに言えないよ」
「そんなことはないでしょ。わたしだって1年以上いるけど、ネイティブのようにペラペラにはなれないわ。本当にわかっている人だったら、からかいなんて言わないと思う。もし言われたら『じゃあ、あなたが1年行ってみなさいよ』って思うわよ。日本語とは違う言語体系を習おうとしているんだもの、体系を同じにする周りの移民より進歩が遅いのは当たり前よ」

 瑠美さんの話に、トシ君はハッとしたように両目を見開いていた。

「そう言われれば、英語を習いにあの学校へ来るのは日本人と韓国人くらいかも。他の国の人たちは働くために英語を覚えに来るから、やる気も違うんだ」
「日本に帰ってからは英語使わないしね」

 トシ君の気持ちはよくわかる。
 少なくとも私は、彼の伸び悩みを怠慢だなんて口が裂けても言えない。
 “習い事感覚”の英語学校。私もトシ君もそれで困っていないのだ。
 そう思うと、先日提案されたアグネスからの進級提案も“お断り”の選択肢が顔を覗かせて来る。
 下手に進級してストレスを被るくらいなら、このままぬくぬくとレニーのクラスでいるのも悪くないじゃん……。

 気を抜けばすかさず現れる怠惰にムチが入った。

「伸び悩むのはみんな同じよ。だからこそカナダにいる“今”使わなきゃ、もう使う機会はないかもしれない。今いるうちにどんどん使って伸ばしていったら?」 

 今のために……。
 私がこう何度も英語学校に通っているのは、すべて“今”のためだった……?

 確かに学校に居る間の成長は無視できないレベルで起きている。
 日本でただ英語を学ぶだけではここまでいかなかった。

 今が本番兼練習の場。ここを去ってからのことはそのとき考えればいい。
 このなけなしの英語力が、いつか活かせることもあるだろう。
 あるいは日本での目まぐるしい毎日で、せっかくの英語も忘れていってしまうのかもしれない。
 それでも私はこれまでの旅が無駄だとは思わない。
 今感じているこの気持ち・これまでの経験すべては、間違いなく私の一生の宝だ。



愛情ある先生たち


 トシ君から、こんな話を聞いた。
 私が南米の旅に出るためローナのクラスを去った後に入った、おとなしめの日本人女生徒についてだ。
 なんでも彼女がローナに質問したら「くだらない質問」と一蹴されてしまったらしい。

 私は他人事ながらローナの対応に怒りを覚えた。
 その女生徒にとって、質問するにも相当の勇気を振り絞ったはずだ。なのにローナはそれを容易く突き放した。
 私がその女生徒であれば、一蹴されたら最後、ローナには質問する気も起きないだろう。

 憤りに口元を固く結ぶ私であったが、続くトシ君の話には驚きに口が半開きになっていた。
「その彼女は自分の質問が悪かったんだと思って、よく考えてから質問をするようになったんだ。彼女の頑張りのおかげか、今ではローナと仲がいい。くだらない質問にはハッキリNOを突き付けるのも、ローナのスタイルなんだよ。彼女は厳しいだけで悪意はない。それをいじわるだと受け止めるか、愛のムチと受け止めるかは人それぞれってことだね」

 私に向けられた対応も、愛のムチだったのだろう。
 自発的に発言しない生徒にも発言の機会が回ってくるように。そのための名指しによる発言の強制。

 つくづくレニーのスタイルとは対照的だ。
 彼は生徒の意思を尊重するから、決して強制はしない。だからこそ怠惰代表の私は、すぐに現状に甘んじる。
 そうした環境のほうが実力向上に合っている人もいるだろうけど、私のようなタイプが本当に成長したいと思ったとき、果たしてどちらの先生が自分に合っているのか。
 答えは……考えるまでもないだろう。

「そういえば奈々が南米に行った後、ローナから何回も『ナナから手紙届いた?』って訊かれたよ。ローナとしては本当は頼って欲しかったんじゃない? ただ、愛情の表現が人と違うだけなのかもよ」

 トシ君の言う通り、ローナは感情の表現が素直とは言い難い。
 いろいろあったとはいえ、彼女に良くしてもらった事実は変わらないし、恩だって感じている。
 助けを求めるとき私は真っ先にレニーの顔を思い浮かべてしまうけど、彼だってみんなのレニーなんだ。
 彼からの卒業も視野に入れるべきなのかな……。

 ローナとレニーにそれぞれ異なる思いを馳せていると、今度は瑠美さんが他の先生の話題を持ち出した。

 瑠美さんが前に受けていた先生のことだ。
その先生は金曜日に宿題を出したものの、月曜日になって誰もやってこなかったことがあったそうだ。
そのとき先生は「ワタシは土日にやって欲しくて金曜日に宿題を出したのよ!」と1日中怒っていたという。 

 しかししばらくして――
「でもみんな家庭を持っている人もいて仕事もしていて、いろんな事情があるからそんなこと言うべきじゃなかったわよね」
 そう自問自答してポロポロ泣いてしまったらしい。

 瑠美さんはそんな先生を見て決意したのだと言う。
「わたし、宿題はやらなきゃ! この先生のためにやろうって、怠けていた自分を叱ったわ。これ以上先生を泣かせるようなことはしたくないから」 

 瑠美さんの決意に感銘を受ける一方で、話に挙がった先生に驚きもあった。
 先生の立場でありながら、そこまで感情的になる人がいるなんて……。

「その先生はみんなに公平だった。やっぱり先生も人の子だから、難しい質問のときは成績のいい子に当てる先生や、積極的な子が好きだった先生もいる。でもかつての先生は敢えてそうしなかった」

 そういう意味ではローナも公平を好む部類だ。
 発言できない生徒にも発言権を与えるし、おとなしい人であろうと「くだらない質問だ」と、平等に容赦ない言葉をぶつける。

「南米の人たちって、先生が話している間にも質問とかするじゃない? けどそれは、南米での授業の仕方がそうした会話式だから。わたしたちでも南米で育っていればそれが普通になるはずだし、逆に彼らが日本で育てば質問のタイミングも変わってくるんでしょう。それに自分の国についても、日本では知らなくても韓国みたいに出世に響かないから、大体の人が人任せ」

 うっ、瑠美さんの言葉が槍みたいに私に突き刺さる……。
 日本のことを訊かれて困った経験が思い返される。彼らに知らないと返す度に、不思議そうな顔をされたのが今でも目に浮かぶ。

 自分の国のことなのに……?

 言葉にはしなかったけど、彼らの目が物語っていた。
 出世がどうとか関係ない。一人の国民として、自国のことは少しでも知っておくべきなんだ。

 言語が違えば常識も違う。だから言葉一つとっても受け方も変わる。
 それは個々人のスタイルも同じ。先生の対応を逐一良い悪いで判断するのは早計だ。彼らだって生徒の成長を望んでいる。ただ愛情の形が違うだけ。
 自分にばかり意識を向けないで、もっと視野を広く持たなきゃ。



経験がモノをいう


 一度始まったトークは冷めるところを知らず、私たちの話は益々の盛り上がりを見せていた。
 と言っても、話題の発起は瑠美さんとトシ君が交互に繰り出すのがほとんど。
 今回はトシ君からのターンだ。

「日本は年齢の上限があるけど、カナダでは40歳でもCAになれるポテンシャルがあるんだってね」 
 年齢の上限。法律上の決まりはなくても、日本には慣習という暗黙の強制がある。
 女性だと特に、結婚に出産と退職の理由は数多く、再就職を望むことは難しい。

『それまではそうだったから』
 半ば盲目にも似た慣習が、他人の人生プランを勝手に判断してしまう。
 しかしここカナダではそうした悪習はない。
 何歳であろうと、どんな立場であろうと。望んだ職に挑めるのは間違いなく利点と言えよう。
 日本の雇用は新卒青田買いを常としているけど、若ければ若いほどいいというのは、あまりにも当人の人間性を無視している気がしてならない。
 もちろんなんの経験もない若者が会社で経験を積ませてもらえるのだから、どちらも一長一短ではあるけれど……。

『若いね。いいね』
 これまでの人生で度々言われてきた言葉だ。
 その言葉には、これからが楽しみという意味もあるのだろう。若さには成長の可能性が無限に秘められているからこそ、人は口々に若さの重要性を説くんだ。

 実際、歳を重ねればそれだけ心身共に柔軟性が落ちる。
 とはいえ経験がある人のほうが重宝される業界だってある。職人などがいい例だろう。
 “若い”というだけで、熟練に敵うなどという驕りは私には持てない。
 では若さを失った未来の私は、何か誇れるモノを手にしているのだろうか。

 ……今の私が未来に託せるのはこの冒険譚だけ。
 それだって、形になっているかどうか――いや、これだけは形にしなくちゃ!

 一人胸中で人生を省みる中、トシ君は先程の話題を持ち出して瑠美さんを励ましていた。
「瑠美さんもこれからですよ!」
「え!? わたしはこのまま現状維持よ。これから何かあったら困るじゃない」

 苦笑で返す瑠美さんに、トシ君は引き下がらなかった。
「これからっていうのは気の持ちようで変わるでしょ。いつになってもまだまだこれからって気持ちがあればなんでも始められるし」
「そうよね。つい日本人の悪癖が出ちゃったわ。1日に与えられた24時間は平等なんだもん。その時間の使い方で心が若返ったり、裕福にも貧しくもなれる。物理的なものや年齢は大した問題ではないかも。日本人はみんなと一緒であろうと無理をするし、もう何もかもある程度できているから、自分で工夫することが下手になりやすいのよね」

 瑠美さんの意見に私は眉根をひそめた。
 前半の部分は同意だけど、日本人が工夫下手というのは納得がいかない。

「いえいえ! 私、トルコでバックパッカーばりに貧乏旅行している50歳のオジサンや、ブラジルで第二の人生を始めようとしている60代のオジサンと出会いましたよ!」

 瑠美さんはハッとした顔になり、自分の意見を素直に改めた。
「奈々ちゃんの言う通りね。確かに日本人全体で括るのは主語が大き過ぎちゃった。中にはそういう自立した人もいる。けど日本に住む大多数の同胞もそうだって言える?」
「それは……」
 返す言葉が見つからない。
 思い浮かんだ顔には、確かに自分の人生を堂々と歩んでいる人もいる。けど反面、そうではない人物の顔も少なくない数思い浮かんでしまう。
 かく言う自分だって、自分の人生をきちんと歩めているかと聞かれれば、大いに疑問が残る。

 私の沈黙を破るように、瑠美さんは言葉を続けた。
「今の皇太子が一番怖がったモノって知ってる? 学校の階段よ。昇り降りするための」
「階段って、あの……? 怪談のほうじゃなくて?」
「その階段。なんでも皇太子は、家の階段を降りるときはいつも爺やと婆やに手を引いてもらっていたらしいわ。親や周りの人がなんでもやってくれると、大人になっても自分一人じゃ何もできない人になってしまう。日本人は過保護すぎるかもしれない。こっちの人はお年寄りでも自転車に乗って元気でいるけど、日本だったら年寄りの冷水なんて揶揄されるだけ」

 お年寄りが自転車に乗れるのは、オタワの交通量が少ないことも関係しているのだろう。それに土地の広さや、移民に対する寛容さだって要因としてはある。
 だから一概に日本人の気質だけを非難する気にはなれないけど、瑠美さんの言うことだってもっともな意見には違いない。

「知ってる? 海外旅行で一番お腹を壊しやすい国民がどこか。インターネットの統計では日本がトップだそうよ。わたしたちの国は良くも悪くも潔癖だから、本来備えるべき免疫が失われちゃってるのよ」

 ううっ、身に覚えがあり過ぎる……。

「私も南米で3回もお腹を壊しました……。でも、もう免疫ついたから強くなったかも?」
 “冒険”も同じように度重なる経験が免疫を作る。
 リスクに怯えて足踏みしている暇があるなら、一歩踏み出して違う景色を見なくちゃ。
 進んだ先で振り返ってみれば、その道程にはいくつもの経験で舗装されているのだから。

 アグネスにお願いされていたクラス替えの件、前向きに検討してみよう。



アグナナ? ナグネス?


 翌日の登校日。今日の私は一味違う。
 いつもはレニーの授業でのんびりしている私も、クラス替えを賭けた進級テストともなれば気が引き締まるというもの。
 結果次第では、無事にアグネスと同じボブ先生の授業を受けられる。
 しかしそれは逆に振るわない結果となればレニーのクラスに逆戻り。これだけ息巻いた手前、実力不足で呆気なく退散なんて結末だけは避けたい。

 緊張でペンを握る手が強張る中受けたテストの結果は……ギリギリの合格!
 あと数問でも間違えていたらと思うと、安堵に肩を降ろすのと同時に冷や汗が頬を伝った気がした。

 とはいえギリギリだろうとなんだろうと、進級できることには違いない。
 テストの結果を受け取った私は、早速先に待つアグネスの隣に腰を降ろす。
 危ういテスト結果の現状で、このクラスについていけるか不安を覚える中、彼女は笑顔で歓迎してくれていた。

「わからないことがあったらなんでも訊いて!」

 満面の笑みを浮かべるアグネスが実に心強く感じる。
 遠慮をかなぐり捨てた私は、頼れる限りを尽くして彼女の厚意に甘えさせてもらう。
 これまでやったプリントを見せてもらったり、授業でわからなかった問題を訊いたり……。
 ことあるごとに質問を飛ばす私に、アグネスは嫌な顔1つせず親切を尽くしてくれた。

 授業についていけない苦しみは、ローナのスパルタ教育で散々に味わった。
 ここより1つ下のレベルであるローナのクラスですらヒィヒィ言っていたのに、さらに上のレベルで授業だなんて。
 もし名指しで何かを問われても、答えられない未来が容易に想像できてしまう。

 我ながら情けない。
 胸の内で自分に毒づき、不安のままに授業を受けているものの、担当教師のボブは生徒の自主性を重んじるようで、答えたがらない生徒にわざわざ指名を行うなんてことはしなかった。

 アグネス自身も一度も当てられたことがないと言っていた。
 ボブの好みは積極的な生徒らしく、発言は自発的に答える生徒に任せているらしい。

 それならそうと早く言ってよぉ……。
 こっちはいつ当てられるか、気が気じゃなかったんだから!

 仮に当てられていたところで答えが出せるわけじゃない。
 しかしローナのような強制的な発言の促がないとなると、私のような人間は思考すら放棄してしまいそうな予感がある。

 そういう意味では、ローナは平等な教師だった。
 彼女のやり方には嫌味なところもあるけど、生徒全員を進級させようという気概はハッキリしていたし、私のような怠惰な人間にも熱意を向けて接してくれていた。
 お尻を叩かれないとやらない私にとって、一見意地悪な集中攻撃は巡り巡って自分の糧へと繋がっていく。
 逆に放任の世界に身を投じられたら最後、何の成長も見込めないまま、むしろ衰退する一方だろう。

 授業後、アグネスが「そういえば……」と言葉を漏らしながら、白黒の絵と文章の束を取り出す。
「アタシが書いた物語、読んでくれる? ローナのクラスのときは、ついていくのに必死であなたに見せる機会が無くて……」

 照れくさそうに視線を伏せながら渡してくれたその文章は、私がヨーロッパへと旅立っていたときに、レニーのクラスで創作したという物語だ。
 白黒の絵から思いつく物語を想像力を使って書き、レニーに正確な英文に直してもらうという課題。

 似たような課題は私も受けたことがある。
 海辺の男女と老人。この絵から着想を得て、天使の話をしたためたことは鮮明に記憶に残っている。
 レニーとアグネスがそれはもう大げさなくらい絶賛し、それ以来2人と距離が縮んだ大切な作品。忘れられない魔法のような授業だった。

「後でゆっくり読ませてもらうね。ありがとう」
 このまま居残り続けても互いの時間を奪ってしまうだけ。
 文章の束を一旦預からせてもらい、アグネスとはそこで別れた。

 アグネスを見送った私は、その足でレニーの居る教室へと向かう。
 今日の進級テストが最悪だったことを報告するためであるが、生憎とレニーのクラスはまだ授業中。
 ちょうどいい、待っている間にアグネスの物語を読もう。

 まず目を落としたのは、先に渡されていた白黒の絵。
 そこには、おばあさんらしき老人がベンチに一人で座っている様子が描かれている。寝ているのか考えごとをしているのか、老人は項垂れている状態だ。
 はたしてアグネスは、この絵からどのような話を展開したのか。
 読む前から興味が止まらない!

『あなたの書くお話ほど素晴らしくないけど……。良かったら意見を聞かせてね』
 作品を渡す前アグネスはそう言っていた。
 加えて、私がこの絵から創作した物語もいつか読んでみたい、と。

 ……まったく、どこが『素晴らしくない』だよ。
 文字を追う目がまったく止まらないんだけど?

 アグネスの作品は間違いなく素晴らしいモノだった。
 何より目を見張るのが、作中で繰り広げられる巧みな描写の数々。
私のお粗末な英語表現では到底太刀打ちできない、繊細で鮮やかな言い回しが彼女の作品には盛り込まれている。

 登場キャラの心情1つ取っても、アグネスは『悲しい』を直接言い表すことはせず、情景描写と言動で読者に想起させている。
 まさしく私が理想とする物語の書き方だった。
 アグネスはきっと、詩や小説をよく読んでいるのだろう。
 綴られる詩的な言葉選びが、読後の余韻をしみじみと感じさせる。

 自分がこの課題に取り組んでいたとして、私はどのような創作をするのだろう……。
 少なくともアグネスのように表現豊かな作品はできそうにない。私の武器は、そうした表現技法よりも、もっと本能に訴えるような直接的な訴求。

 アグネスの作品を手にしながら思いを巡らせていると、レニーのクラスの生徒たちが次々と教室から出てきた。
 しかし今はレニーよりもアグネスの物語が気になる。
 廊下の邪魔にならないところに立ち、ひたすらにアグネスの物語を読み返す。

 そうしていると、教室から姿を見せたレニーから声をかけてきた。
「お待たせ! テストどうだった? ボブのクラスに行けた?」
 視線をレニーへと移せば、彼の表情にはいつもの陽気に心配が混ぜ込まれている。
 テストを受ける旨をあらかじめレニーにも伝えてあっただけに、彼も内心は気が気じゃなかったのだろう。
 まぁ私の英語力なんて、たかが知れてるからね……。

「ギリギリ合格でホッとはしたけど……最悪だった」
「テストのセンテンスは役に立たない言い回しばかりだから、気にしなくていいよ。キミが物語の中で使っている表現のほうがよっぽど役に立つ。何年も経てばテストのことは忘れてしまうけど、いい物語だったらきっと誰も忘れないで心に残るから」
「コレみたいにね」
 手にしていた白黒の絵とアグネスの物語の表紙を、レニーにも見せる。

「ああ、キミにも見せたんだね。それは彼女のお父さんが亡くなった日に見た夢の話だそうだ。正確な英文に直してはあげたけど、あまりに個人的な内容だったから、みんなの前で発表させることはしなかった」

 父親が亡くなった日の夢……。
 いつも明るく人当たりの良い性格のアグネスも、その胸中にはごまかしきれない悲しみを抱えているんだ。
 そうした経験があるからこそ、人生の深みは増して行くし、作品の質だってグンと跳ね上がる。
 ただのうのうと国を渡り歩いているだけの私の作品とは、比べるべくもない……。

「私、自信なくなっちゃった。こんなにも繊細な話は書けないし、描写力もない。自分にはできないことをアグネスはできる。彼女は私が書いた物語も読みたいって言っていたけど、今まで通りの文章を彼女に読ませるだなんて、新手の羞恥プレイだよ」
「キミはキミでアグネスはアグネスなんだから! それぞれ良さが違って当たり前だよ。もし同じだったら君は“アグナナ”になって、彼女は“ナグネス”になるよ」

 言いながらレニーは底抜けするような笑顔を浮かべていた。
 アグナナか……。そうだよ、別に無理して彼女のようになる必要はないんだ。

 レニーらしい無邪気な励ましに、先程まで険しさで固まっていた私の顔にも、幾ばくかの微笑みが戻って来ていたのだった。



デイバイデイ


 ここ数日は、本物の作家になったのではないかと錯覚するような日々だった。
 どこへ行くにも、新しい物語を考えずにはいられない。一度筆を執れば、想像力が次から次へと溢れ出る。

 アイデアの起点となっているのは、ブラジルで体調不良に陥った際、遺書になってもいいように書きなぐった『死生観』。
 プロットにも満たない状態から、作品としての輪郭を捉え、筆が進むにつれて少しずつ形を成して行く。
 偶然にも、先日アグネスが見せてくれた『ベンチに座る老人の絵』とも関連付けられそう。『私の作品も見たい』と寄せてくれていた彼女の期待を裏切らずに済む。

 想像の世界へのダイブは、レニーからの電話で一時中断となる。
 曰く、夏になる前に扇風機をプレゼントしてくれるらしい。
ダウンタウンに行く用事があるからついでにという感じだったが、レニーの言葉の端々から会いたい理由を強引に捻出したような雰囲気がしていた。

 それから程なくして受話器を置いた私は、ふと電話の留守電件数が目に留まった。
 私が机に噛り付いていた間に、レニーからの留守電が4件も……。
 電話に気付かない私も私だが、そうまでして私と話したかったレニーを思うと、嬉しい反面複雑な気持ちだ。

 彼は私を必要としている。
 私だって、南米旅行に赴く前はレニーからの電話を今か今かと待ち焦がれていた。

 しかし今はどうか……。
 胸の内に尋ねてみれば、どうにも煮え切らない回答しか思い浮かばない。
 少なくとも、レニーが求めているほど私は彼を求めていない。

 しばらくして、扇風機を持ったレニーが宣言通りにやって来た。
「息子たちは夏には帰って来ないから必要ならキミが使って」
 レニーはいつもの変わらない笑顔で「会いたかった」と言って私にハグをする。

 ……互いの顔が見えなくてよかった。
 このときはどうしてか、歓迎の笑みがぎこちなかったから。

「物語はどう? 進んでる? 途中まででも正確な英文に直すよ」
「ううん。最後まで仕上がってから見せるよ」

 口ぶりからして、レニーはこのまま滞在したいのだろう。
 本音を言えば執筆に戻りたいけど、わざわざ扇風機を届けてくれた手前すぐに追い返すのは気が引ける。
 妥協案を模索した末、買い物に行くついでに駐車場までレニーを送ることになった。

 レニーと一緒に外を歩いていると、見知った顔とバッタリ。トシ君だ。
「これからレニーとデートなの!」
 冗談をほのめかしながらわざわざ英語で伝えると、レニーは明らかに動揺に目を泳がせる。
「今そこで偶然会っただけで、その……」
 テンプレのような言い訳も、露骨過ぎて逆効果だ。
 普段の授業のように冗談で返せばいいのに……。

 ぎこちないレニーの反応では、トシ君の興味を引くには至らなかったらしい。彼は特段詮索するようなことはせず、ただ笑って――
「デート楽しんでね! じゃあ、また学校で!」
 そう言い残して去っていく。

 トシ君は本当に冗談だと受け取ったのだろう。
 レニーのほうは気が気じゃなかったみたいだけど、そんな彼を分析できるくらいには自分が冷静だと思い知らされる。
 以前の私であれば冗談をほのめかすにしても、大なり小なり本物の恋心が漏れ出ていたのに。
 今はあまりレニーへの気持ちが高まっていない。

 普通の恋人同士でも、変わらず熱烈というわけにはいかない。
 しかし私の場合はそういったマンネリの他にも原因が考えられる。

 ……キューバで出会った、弘人さんの存在。
 当時の私は彼にも本気で恋をしていた。未練だって完全に断ち切れたわけじゃない。
 恋の対象がレニーだけではないと気付いてしまったことが、私から熱を奪った気がしてならないのだ。

 まだ深い関係になる前。
 レニーの授業で笑顔を取り戻し、ライブハウスで胸をときめかせ、憧れの存在を遠くから見ていた当時の私。
 そして彼の隣をなんの躊躇いもなく歩く今の私。
 距離としては今のほうがずっと近いのに、心が随分と遠くに行ってしまった。
 誰に見られてもよかったあの頃は楽しかったなぁ……。

 夜になってもレニーからの電話は続いた。
 さすがにこうも頻繁だと、執筆への気力が削がれてしまう。
 心苦しいけどここは素直に伝えるしかない。

「申し訳ないけど、電話の頻度を減らしてほしいの。自分でも驚いているんだけど、私は以前よりも強くなったみたい。あなたが私を必要としてくれても、私があなたを必要になるとは限らなくて……」
 ――だから、ごめんなさい。

 その言葉を紡ぐ前に、レニーが言葉を重ねた。
「謝ることは何もないよ。僕は君が変わっていくことが嬉しいんだ。人生は“デイバイデイ”。日ごとに少しずつ変わっていくものだから、その日そのときで必要とするものは違う。ずっと同じだということはありえないからね。作品を正確な英文に直したいときはいつでも頼って!」

 突き放すような態度をしてしまった私に、レニーは尚も激励の言葉をかけてくれる。
 彼の心の広さと誠実さは、私の狭く独り善がりなモノとは雲泥の差……。
 しかしここで彼に甘えてしまったら、また弱い自分に逆戻り。
 無論尊敬は忘れない。でもそれを曖昧な恋心で上書きしてはダメだ。

「キミには言葉が必要なんだ。人が言う言葉でも、書いてある言葉でも。どんなに気持ちが離れても、キミの頭の中にある僕の言葉だけは忘れないで欲しいな」
「もちろん。一言一句だって忘れないから!」 

 電話を切ってすぐ、私は有言実行に移す。
 レニーの言葉を忘れないよう、愛用の日記にメモを残して。

 ここまで心と体が突き動かされる衝動は、単なる恋では成し得られない。
 恋の炎は激しい分、パッと燃えてはすぐに消えてしまう。
 でもレニーのことは異性としての前に、人として愛している。一時の感情によるものじゃない。
 彼の存在は、心の中で残し続ける。
 恋だ、愛だなんて、今は些細な問題だ。



スターの光と闇


 翌日を迎えて、私はいの一番に書き上げほやほやの物語をレニーに見せに行く。

「ナナ! 素晴らしい! 君は天才だ!」
 書き上げた紙束を渡してしばらく……予想通りと言うべきか、いつものように大げさなリアクションで私を褒めちぎってくれるレニー。
 オタワを訪れて間もない頃の私であれば、声を漏らすほどに心躍らせていたに違いない。
 しかし今の私は旅を通じて、創作の奥深さと一筋縄ではいかないことを味わってきた身だ。
 結論を言えば、レニーの賞賛を真正面から受け止めることができなくなっていた。
 彼の本心を疑ってしまう自分がいるのと同時に、むず痒いような感覚が背中を伝うのがわかる。

 擦れた自分を誤魔化すためか、口をついて出た言葉はどうにも嫌味が滲んでしまった。
「あなたにとっては書き上げたこと自体が“素晴らしい”んでしょう?」
「英語でストーリーを作ろうとする気持ちを褒めているんだ。英語はキミにとってファーストランゲージではないのだから、この話は悪い、これは良いとかは言えない。作った努力そのものを褒めている。それを信じるか信じないかはキミ次第だよ」

 レニーの意見はもっともだ。
 わざわざ英語で挑むには相応のバイタリティが必要になる。私も苦労を味わったからこそ、レニーの賞賛は素直に効く。
 嫌味なことを言っておきながら、彼からの賛辞でコロッとその気にさせられるなんて、私ってチョロいヤツ……。
 キューバダンスで「ナナはチャチャチャのダンサーよ」と言われて乗せられたときもそんな感じだった。

 レニーの賞賛はまるで魔法のようだ。
 大げさにも捉えらえる彼の言葉も、真に耳を傾ければその言葉には人の心を好転させる力がある。
 そこらに転がっている小石を宝石にしてしまうかのような、かぼちゃが馬車に変わってしまうような、そんな魔法。

 普段からちょっとした小さな親切にも大喜びしてくれるレニー。
 誰だって彼を魅力的と認めるだろう。それこそ、真逆の性格をしている奥さんのシンシヤでさえ。
 彼女が大変な人生を歩んできたことは、レニーからの話を聞いているだけでも想像に容易い。
 だからこそ彼女はレニーを求め、縛り付けている。彼の溢れんばかりの肯定を我が物とするために……。

 シンシヤはそれで幸せなのだろう。ではレニーは?
 肯定も施しも無限ではない。片方が与え続けるだけでは、慈愛の泉はいずれ枯れてしまう。

「その……シンシヤとは上手くいってる?」
「相変わらずの状況だね。彼女は昔から、何かを探して旅行を繰り返して来た。けれど明確な幸せは手に入らず仕舞いさ……。シンシヤはカナダを出てまた旅行したいって言っているけど、当の本人が考え方を変えないと場所を変えた所で同じことなんだよ。彼女もそれを薄々わかっていながら、それでも変わって欲しいのは僕という矛盾を抱えているんだ」

 何気ない興味のつもりが、レニーの顔を曇らせてしまった。
 しかし一度出てしまった愚痴は、レニー自身にも抑えることができないようだった。

「僕はここ10年くらい、カウンセリングに通っているんだ。そこで日記を書くように言われていて、カウンセリングのときに読んでもらっている。ちょうど今持っているから君に見せるよ」

 カウンセリング? 日記? いつでも陽気なあのレニーが……?
 唐突のカミングアウトに思わず面を喰らうも、表情だけはどうにか崩さずに堪えた。
 そういえば聞いたことがある。外国では日本より気軽にカウンセリングを受けるものだと。

 返す言葉が見つからないまま、レニーから差し出されたプリントに目を通す。
 読み始めて早々知らない単語が頻出するも、そこはレニーの解説でどうにか意味を拾うことができた。
 日記の内容はこう記されていた。

   * * * 

 学校では自分を“先生”として崇拝する人もいれば、自分から何らかの影響を受け、そこに新たな価値を見出してくれる人もいる。 
 そして家に帰れば“先生”の役目は、スイッチを切り替えるように消え去る。
 それが僕の1日の循環。

 自分の生存を認めてくれて感謝してもらえる世界から、まるで視覚力のない、社会的な技量を損なった“バカ”になる世界へと移り変わる……。

 耳を塞ぎ、両目を固くつむり、心も閉ざす。
 妻との生活はそんな人間味を捨てた作業の繰り返しだ。

 彼女とはただ舞台を演じているに過ぎない。
 “妻”の要望に応える“夫”の役目に興じている哀れなピエロ。

 僕のミュージカル生活は単調だ。
 同じ曲を繰り返し続ける。何日も、何年も、何十年も……。
 今更新しい曲を習うほどの気力は持てない。

 でも単調な毎日にもユーモアは必要なんだ。
 自分を全否定される猛攻撃から逸れるために。

   * * * 

 読み終えた私は、自分でも感情の判断がつかないくらい難しい顔をしていたと思う。
 困惑に眉を歪ませる私に、レニーはいつものように笑顔を浮かべていた。

「キミといるときはすごく幸せなんだ。日本に行ってキミと暮らす妄想をして乗り切ったこともある」
 一人で暮らしていくより、合わない人と暮らしていくほうが何倍も苦痛だ。
 レニーの毎日が色褪せたモノだと思うと、つい哀憐の眼差しが向いてしまう。

 しかし今の私にできるのは、申し訳程度の同情だけ。
 以前であれば「日本で一緒に幸せになろう」と言っていた。
 けどそんな夢物語が叶えられるほど社会は優しくないし、私だって自分のことで精一杯だ。
 彼にしてあげられることと言えば、現実逃避の手伝いくらい……。

 とはいえ、いつまでもこんな曖昧な関係を続けていてもいいのだろうか。
 私と過ごす時間が増えるほど、レニーにはいっそう現実が厳しくなるのではないか?

 レニーを利用する形で物語を仕上げ、彼という糧を吸収している私。
 でもレニーが私の助けを必要とするとき、これまでの恩に応えられるだけのモノをあげられる?

 ……答えが出せない。

 沈黙で返すしかない私に、レニーは尚も笑顔で応え続けてくれた。
「キミは自分がやりたいことをすぐに現実にすることができる。僕の場合は計画倒れになるだけだ。だからこそキミには自由でいて欲しい。自由なキミを見ていたい。僕の側から離れていっても、それこそがキミの自由なんだ」

 煮え切らない態度から私の心中を察したのか、レニーは“自由”を強調していた。

 レニーが遠くから見るだけの“スター”だったときは、彼からの解放が選択肢に入るなんて夢にも思わなかった。
 仮に解放の未来を選んだとしても、彼が私の人生で偉大な人物であることには変わりない。
 私が海外で培った価値観には、彼から学んだことも多分に含まれているのだから。



情けは人のためならず


 レニーが帰った後、私は思い切って今の心境を瑠美さんに電話で相談することにした。もちろん、レニーがカウンセリングに通っているということは伏せて。

「どうしよう瑠美さん、南米旅行の前後でレニーに対しての気持ちが変わっちゃって……」
「今が順調だからじゃない?  わたしもボブのクラスを経験したからわかるけど、ボブは放任主義で口うるさくないからね。以前のローナのクラスではレニーの助けが必要だったかもしれないけど」 

 学校の面でレニーを頼らなくてもよくなったという点ではその通りだろう。
 しかし私の気持ちが離れかけているのは、もっと精神的な話だ。

「私が弱っていて元気がないとき、レニーからはたくさん助けてもらった。それなのに自分が強くなってレニーの助けが必要がないから会わなくても平気って、あんまりにも酷いよね……?」
「そりゃあね。自分がそれだけしてもらったんなら、相手にも返してあげられたほうがいいよ。貰うだけ貰って『ハイ、さようなら』じゃあねぇ」
 予想された返答とはいえ、自分の傲慢に釘を刺されるのは耳が痛い。

 瑠美さんは思い出したかのように話を始めた。
「初めて一人旅で列車に乗ったとき、当時心細かったわたしに隣に座った女の人が声をかけてくれたの。その人にお礼を言ったら、『あたしもちょうど誰かと話したかったから』って。“情けは人のためならず”って誰かにする親切も本当はその人のためだけじゃなくて、自分のためだってことを教えてくれたんだ。だからわたしも今度は誰かにって……奈々ちゃんみたいに海外で心細くしている人に声をかけてよくしてあげれば、その人へのお礼も果たせるかな。弟と同い年のトシ君はまだ若いし、1人で海外はいろいろと大変だと思う。弟がもし1人で海外に出ても、誰か親切にしてくれる人がいたらって考えるとね」

 つまり瑠美さんの親切は、誰かから受け取ったバトンだったんだ。
 瑠美さんに渡されたバトンを、今度は私やトシ君という未来に託そうとしてくれている。

「奈々ちゃん、ここでレニーに冷たくしたら一生後悔するんじゃない? でも困ったわよね。奈々ちゃんはレニーなしで強く生きていけるようになったのに、今度は相手が奈々ちゃんを必要としているだなんて……」 
「前はレニーを日本に連れて帰ろうとか思ってたのに……」
「今は迷惑? お荷物? でもこれは当人同士の問題だから。恋人じゃなくても人としての付き合いでちょうどいいんじゃない? まぁレニーとしては、家庭が冷えきってて、奈々ちゃんまでいなくなったら辛いわよね」
 彼の辛そうに笑う顔を思うと今でも胸が痛い。

「でも私がしていることはただの現実逃避。楽しければ楽しいほど辛くなって、現実に戻るのが嫌になるかもしれないですよ?」
「そうかな? 奈々ちゃんのことがあるからこそ、レニーも頑張れてると思うよ。奈々ちゃんが旅行するのと一緒じゃない? この世界旅行をするために日本で頑張って仕事してお金を貯められたんでしょう? わたしも仕事ですごく辛いときは甥っ子ために生きてたな。そのときは弟夫婦が忙しくて甥っ子はわたしの家で預かってたの。わたしがいなくなったらこの子を抱きしめる人がいなくなっちゃうって、その引けない一線だけがわたしの頼みの綱だった」 

 瑠美さん夫婦にお子さんはいない。
 チュニジアの大橋さん曰く、夫婦間でいろいろあるみたいな話も耳にした。
 だからこそ甥っ子への愛情と覚悟が、実の子に注ぐくらい深いモノになっていたのだろう。
 そんな何かに縋った経験がある瑠美さんだからこそ、レニーの気持ちが実物の彼を目の当たりにしている私よりもわかるんだ。

 そう思うと、私はレニーのことを全然知れていない。
 ……どころか、知ろうとさえしているか怪しい。
 レニーにしてもらったほどのことを返せる日は来るのか。

 変わってしまった恋の熱量を戻すことはできそうにない。
 けれどレニーに報いるのが、何も恋だけと誰が決めたというのか。
 “愛”だって立派な応えになる。その愛が恋慕によるものでなくても、せめて人情で育んだ愛で返していければ……。



空腹がちょうどいい


 数日が過ぎて。
 今日はレニーが定例で行っているライブの日。以前も機会がある度に足を運んでいるだけあって、このライブハウスには慣れたものだ。

 しかし今日はまた一味違う。
 レニーの長男であるマイケルも参戦し、親子でギターを弾き語るという熱い展開が催される。
 そんな興味がそそられるイベント、見るなって言うほうが無理ってもんでしょ!

 ステージに上がって早々、レニーは実の息子の凄腕自慢を開始する。
「マイケルはビクトリアに住む天才的な画家なんだ!」
 レニーの溢れんばかりのべた褒めに、周囲の観客も絶賛の拍手を送る。
 さすがはライブハウスの空気と言うのか、あるいはカナダの許容性がそうさせるのか、観客の誰も彼もがノリがいい。
 日本だったらきっと微妙な空気が流れてオシマイ……。

 実の親に認められるのってどんな気持ちなんだろう。
 私の親は、私のことを子どもという枠組みでしか見ていない。今後もきっと、あの人が私を一人の個人として見ることはないんだろう。
 ……マイケルが羨ましいよ。

 称賛を浴びたマイケルも、照れるどころか堂々としている。『親父の言う通りだ』と言わんばかりの自信に満ちた表情。
 自分の才能を信じて疑わない。レニーの育て方が正しい証拠だろう。
 私がそうありたいと願っても、これまで人生ででき上がってしまった卑屈が邪魔をする。

 ステージで演じる親子の姿は、まるで友達のようにフランクであった。
 お互いが演奏しているときも拍手したり褒め合ったり。
 親子という垣根を越えて、一人の人間として互いに尊敬し合っている。

 叶わぬ願いと知りながらも、心の奥底では実の親ともそういう関係を築けていたかもしれない可能性が捨てきれない。
 ステージのキラメキは、私の背に伸びる影をいっそう色濃く映していた。

『小説や映画は、実生活の退屈な部分をカットしただけなんだよ』
 ビクトリアで出会った際、マイケルが残してくれた名言だ。彼の言葉は日記を見返すまでもなく鮮明に残っている。
 そんな彼なら、私が書いた物語をしっかりと読んでくれるのではないか。
 予行練習と言うと語弊があるけど、本命であるアグネスに見せる前に、他にも感想が欲しいという欲求には抗えなかった。

 親子の出番が終わってすぐ、マイケルに原稿を手渡す。
「後日、暇なときにでも感想を教えてくれたら嬉しいなって」
「今読んでいい? ここは騒がしいから外で読んでくる」
 原稿を受け取ってすぐ、彼は満面の笑みでそう言い残し、ライブハウスを後にする。

 程なくして戻って来たマイケルは、先程の柔和な雰囲気から一転、どこか興奮に鼻息を荒くしている様子だった。
「2回読んだ! 1回目の読後感は言葉にならなくて、余韻に浸るだけだった。けど2回目にやっと理解が追いついて腑に落ちた! そういうことか……と。小説は2回目に読むほうがぼくは楽しめるんだ」

 反応から察するに酷評はされないはずだ。自分でも作品の出来には自信を持っている。
 しかし全部が全部いいかと言われたらそうではない。
 ……特に、アグネスの作品を読んでしまった今となっては、自作の会話文ばかりの構成に疑問を覚えてしまい、情景描写の稚拙さも目に余る。

 そこにはあまり触れてほしくないかも……。
 感想を求めておきながら意見を選り好むなんてダメなことはわかっている。けど相手がプロの画家だと思うと、あまりにも正し過ぎる指摘は心が持つかどうか。
『まぁ、書いてる内容はいいんじゃない? ただやっぱり薄味だね。描写はどうにかならなかった?』
 脳内で勝手に創造した嫌味マシマシマイケルが、頼んでもない批評を始めて来る。
 あっちいけ、お前はお呼びじゃないの!!

 妄想を追い払い、改めてマイケルの感想に向き直る。
 彼が口にしたのは、まさに気にしていた情景描写の不足に対してのことだった。
 しかし私が想像していた否定的な感想ではない。むしろ彼は薄味の描写を肯定的に捉えてくれていたのだ。

「細かい描写は想像力の邪魔をする。君が自分の国の言葉で書くときは、細かく書くと思うんだけど、そういう描写だらけの作品はぼくの胃が受け付けなくてね。逆に隙間を持たせたような作品は、想像でいくらでも内容にのめり込むことができる」

 小説はキッチリ描写も出来てなんぼみたいに思っていただけに、マイケルの意見は目から鱗がボロボロ落ちる。
 それにマイケルの意見は実に画家らしいものだ。
 無地のキャンバスに対して想像を無限に広がらせるのが仕事だから、他の作品でもそうした考えに至るのかも?

「空腹状態で飲食物を吸収できるのと同じ。この短い話には人生・生活・仕事・家族・生きることについてが書かれている。つい自分に当てはめて考えてしまったよ。アメリカ映画みたいに金をかけたすごい破壊力もいいけど、それは考える隙間を与えないんだ」

 続いてマイケルは、「この言葉が好き」といくつかピックアップしてくれた。
「もう一度読んでいいかな?」
「もちろん! いくらでも読んで欲しい!!」
 再び黙読し始める彼に、邪魔をしないよう私は心の内で何度も感謝を述べる。

 思えば、ここまで具体的な感想を言ってくれた人は今までいなかった。
 『自分の国の言葉で書くときは、細かく書く』
 私の描写度合いについて彼がそう補足したのは、英語表現に不慣れな私を慮ってのことなのだろう。
 そりゃあ日本語のほうが地の利はあるけど、それだって描写モリモリかと言われれば首を傾げざるを得ない。
 私のスタンスは会話多めの物語。
 描写も行く行くはできるようになりたいけど、今はまず会話の内容に注力したい。

 もちろん、マイケルのように作品の空白を埋めて読むスタンスは、マメな読者でも限られる。
 万人に届けるためには、描写だって手を抜いちゃいけない。

 でも今くらいは実力不足を卑下するよりも、マイケルという素晴らしい読者に巡り会えたことを喜ぼうではないか。
 私のたくさんの“空白”を埋めて、興味深く読んでもらえた。
 彼のクリエイティブな“想像力”に敬意を表して。



偶然の産物


 以前この街を訪れた際、数奇な巡り合わせでプロの画家であるグエンから絵を習えることになった。
 半ば塾のようになったその習慣は、南米から帰ってからも続いている。

 グエンの迷惑にならない頻度を鑑みて、隔週で彼女の家に習いに行っている。
 レッスンの内容は毎回3枚の絵を描くことになっていて、グエンが物語を朗読し、そこから思い浮かぶ絵を描くというもの。

 今は執筆に執心の私だけど、学生の頃はむしろ美術がメインの趣味だった。
 当時の授業と言えば、見た物をそのままデッサンし、対象を忠実に描くのが主。数年もやっていただけあってデッサンは慣れたものになっている。
 だからこそ、今のように無いモノを想像で描くのは新鮮味があるのと同時に不慣れで難しい。

 筆を持ったはいいもののなかなか描き出せない私を促すためか「物語に出てきたタンポポを描いてみるね」と、講師のグエンが率先して筆を躍らせ始める。

 あっという間に出来上がったグエンのタンポポは、花弁の黄色が大々的に描かれていて、申し訳程度に添えられている葉っぱや茎の緑とは明らかにアンバランスなように感じる。
 しかしそれは私の『タンポポとはこうあるべき』という固定観念に囚われた解釈だった。

「これはね、主人公から見たタンポポなの。花に話しかけるというワンシーンがあったでしょ? これはそのときのタンポポ」

 同じ物語と言っても、解釈は人の数だけある。
 私は俯瞰で物語を捉えがちだけど、グエンは主人公自身になりきって物語を体感しているんだ。

 その発想、欲しい……!
「これをお手本にして、同じように描いてもいいですか?」
「もちろん! きっと描いているうちにあなたのセンスや個性が出てくるから、まったく同じにはならないはずよ」

 グエンの言う通り、見本にさせてもらったつもりが描き上がったモノは全然違う“私のタンポポ”になった。
 マネをしないことこそが個性と思われがちだけど、模倣から生まれる個性だってある。
 むしろ大多数の作家は好きな作品の模倣から入るのだ。
 何を描いたらいいかわからないときは、マネでもなんでも筆を動かしているうちに“偶然”が産物となる。
 そうしてマネから培われたオリジナリティが、いつしか作家性と呼ばれるようになるんだろう。

 絵画は、最後に名前を入れて完成する。
 右下に『Nana』と書こうとすると、グエンから「日本の字で書いてみて」と言われた。
 断る理由もないのでそのまま『奈々』と書いて見せると、グエンは興味深そうにその字面を覗き込んでいた。

「『Na』という同じ字が2つ続く訳じゃないのね? 『奈』はユニークだし、こっちの『々』は小さくて可愛らしいわ」

 そんなこと今まで考えたことがなかった。
 けど確かにアルファベットしかない英語からしたら、漢字は物珍しく映るのかも。それに日本語にはひらがなやカタカナだってある。
 日本語の味わいや奥深さは捨てたもんじゃない。
 ……だからこそ、私も上手く扱えるようにならないとなぁ。

「あたしの名前は日本の字でどう書くの?」
 日本の字って言われてもなぁ……。漢字で宛てるわけにもいかないし、ここはカタカナ表記が無難かな?
 『グエン』と紙に書くと、彼女はそれをよく見ながら、自身のタンポポの絵の右下にゆっくりと同じ文字を記す。

 私のシャープな字に比べて、グエンの字体はなんとも丸く可愛らしい。
 若い女の子が書くようなキュート文字。それが日本語ver.グエンの個性だ。

文字は、ぴったりそのまま同じ形でなくても読むことができる。例えば『同』の『口』が『○』で書かれていたとしても『同』と読むことができるように。
その文字に慣れていると、ある程度崩しても文字として認識できるようになる。しかし、慣れていない文字だと見たままを模倣するしかない。対してグエンは、私の書いた見本よりも丸みを帯びた字を書いていた。
彼女は『グエン』を文字として捉え、自分の中に取り込み、自分の手で書き表している。

私がグエンのタンポポの絵をマネしてもまったく同じにはならないように。
『グエン』というシンプルな字にさえ個性は宿る。
 書き慣れていないはずのグエンが書いた『グエン』という字のほうが魅力的に見えるのだから、個性とはなんとも不思議なモノだ。



ミューズの囁き


 グエンとのマンツーマンレッスンが終わり、今度は歳の離れたクリエイター同士として雑談に興じる私たち。
 発端の話題は、私が最近物語のアイデアがよく浮かぶというもの。

「それは、あなたが書き続けているからじゃない? あたしは絵のアイディアが浮かんでも、そのときすぐやらないことも結構あるの。掃除しなきゃ料理しなきゃとかで、後でゆっくり描こうと思うときにはなんだったっけ? と思い出せないことも多いわ」

 グエンは画家であるのと同時に子持ちの主婦でもあるのだ。
 本業であっても自由に創作に打ち込むというわけにもいかない。

「インスピレーションが浮かぶチャンスを逃すと、いつまたそういうときが来るかわからない。 アイデアは神様からのプレゼントなの。ミューズが囁いている言葉は、耳を傾けて聞こうとしないと逃してしまう。だから書き続けていると、自然とアイデアが浮かんでくるのよ」

 ミューズと言えば、西洋では古い時代から詩や文芸、音楽や美術、舞踊や演劇、 また祭礼を司ることで有名な女神だ。
 そんな芸術の女神からの囁きとまで言われるアイデアって、相当貴重なモノなんだ……。

「ポーランド人の友達がもうすぐ帰国してしまうので、彼女がいる間に間に合わせたくて急いで書いているのもあって。……あ、でもこれはブランクがある中いきなりぶっつけ本番でも上手くいったんですよ!」

 言いながら、私は似顔絵と写真をそれぞれグエンに手渡す。
 それはアグネスへのプレゼントとして描いた、彼女のデッサン画。アグネスを真ん中にして、左右にはレニーと自分の顔も添えて。
 写真は実際のアグネスを映したものだ。

「彼女の顔、とても上手に描けているね。写真とそっくり。あ、こっちはレニーなのね。特徴をちゃんと捉えていて雰囲気が伝わってくるわ」
 自分でもアグネスが一番忠実に描けていると思っていただけに、プロのグエンに褒められるのはとても鼻が高い。
 それにプロからのお墨付きがもらえるくらいの出来なのだ。アグネスの手元に残るプレゼントとしてこれ以上はないだろう。
 仮にあったとしても、今の私に創り出すことはムリ!!

「これはレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だけど、もしみんな毎日絵を50年間描き続けたら、誰でも画家になれるそうよ」

 50年間……!
 その半数も生きていない私にとっては、まず50年生きるだけでも途方もない年数だ。その上絵描きを続けるなんて、既に高校生で挫折している私には画家とは夢のまた夢。
 画家ともなれば生み出す一枚一枚はすべて実力によるものだけど、ド素人の私にとって上手く行ったアグネスのデッサンは再現性皆無の“偶然の産物”。

 ミューズが囁く余地なんてまるでないけど、執筆方面であればまだ可能性がある。
 何せ日記だけは欠かさず書いているもんね! 少し前はサボることもあったけど、最近の私ならミューズも満足してくれるはず!!

 偶然に委ねることも予測不可能な楽しみがある。
 しかし私の目指す道がそんな危なっかしいのは本意ではない。少なくとも執筆に関しては“まぐれ”だとは言わせたくない。

 だからミューズさん! 私の毎日から目を放すんじゃないよ!!



アグネスにとっての“食べ物”


 グエンとのレッスンを終えて、そのまた数日後。今日は予定されていたアグネスの送別会の日だ。
 レニーと瑠美さん、トシ君を招いて私の部屋で主役の到着を歓迎する。
 アグネスは甘い肉が嫌いらしく、それならばとメニューは肉じゃがではなくカレーに変更。
 カレーはこれまで何度も作って来たから、一人で作るのもお手の物。
 瑠美さんがあんこを持って来てくれて、白玉あずきがデザートとして加わった。

 私と瑠美さんが料理担当で、ギターを持参してきたレニーは演奏担当。
 では残りのトシ君は……? 当然、食べる担当! とはいえ彼の立場について文句の声を上げる人はいない。
 瑠美さんやレニーは成熟した大人だから言わずもがな。
 私だって、今ではこうして盛り上げる立場に回れているけど、これまでの催し事ではむしろトシ君の立場でいることが多かった身だ。
 文句を言うなんて恐れ多くてできません!!

 全員が揃ったところで、いつものクセで写真のことが頭をよぎる。
 しかしこの場は今みんなで盛り上げる空気を作っている最中だ。下手に写真を挟んで雰囲気を壊してしまうなら、ここは自重が賢明だろう。
 場の雰囲気は一度壊れると2度と同じものにはならない。ずっと残るものより、そのときを精一杯楽しむことのほうが大事だ。
 ボリビアで出会ったタケシさんの言葉は今でも胸に刻み込んである。

 みんなで仲良くカレーを頬張る。見渡す顔ぶれには、何の因果か日本人のほうが多い。
 だからか話題も自然と日本の学校教育の話に。会話の口火は瑠美さんが切っていた。

「知識ってあればあるほどいいわけじゃないのよね……。知ってることが却って想像の邪魔になっちゃうの。小学生のとき、筆者が言いたいことについて模範解答と違うせいで×をつけられたことがあってね。納得いかなかったわたしは当然先生に訊いたわ!」
「それで先生はなんて答えたんです?」
「なんとも。ただ有耶無耶にされて終わっちゃった。おまけに放課後お母さんまで呼び出されてもう最悪……。まぁそんな話は置いといて。筆者の主な主題は読み手の捉え方によって違うでしょ? それなのに日本の教育は杓子定規。変だなって子どもの頃から考えていたわ」

 瑠美さんの言葉に、トシ君が首がもげそうになるくらい頷きを繰り返す。

「そうそう! だからボクは国語が一番嫌いだった。算数のほうが答えが一つって納得いくからね。“無”から考えることが大事なのにそういう訓練はしてこなかった。受け身で先生が教えてくれることを覚えたり学んだり、問題に答えるだけ。いつしかボクは答えありきで模範解答を探すようになっていったよ」

「“答え”があることが楽だと思っている人もいるけどね。言われた通りにしていればいいのだから人に委ねることは楽だ。でも、それでは自分の力で何も考えられなくなる。それが嫌な人がこうやって日本を飛び出して外国にいるわけだ。僕のクラスでは物語を創作するけど、各々の物語の内容に対して批判はしない。等しく素晴らしいものだ。中にはそれが不服な生徒もいたようだけど……」
 レニーの視線がおもむろに私のほうへと向けられる。
 私ができるささやかな抵抗は、彼の目から顔を背けるだけ。

 レニーは誰の作品でも絶賛するし、私の作品も褒めるだけでどこが具体的に良いのかを言わない。
 不服といえば不服だけど、課題の主旨は英文を書かせることで内容の出来は関係ないのだ。生徒の身で彼に文句を言うのは筋違いというもの……。
 ……まぁそれまでにいっぱい文句を言ってきてしまったんだけど、そこは若気の至りということで、どうかご容赦ください。

 アグネスは私に「あなたは子どもの頃、国語は好きだった?」と尋ねて来る。
「国語は作文で自分を表現する場として好きだったよ。私は瑠美さんみたいに聡くはなかったから。国語でも漠然と答えがあるものなんだなと思ってたし」
「昔から書くことが好きだったのね。あなたの物語はアタシにとって、このカレーやぜんざいみたい」
 え? と全員が頭の上に疑問符を浮かべてアグネスを見る。

「食べ物みたいってこと。わたしのスピリット(魂)の。読むと元気が出たり、感動したり心の栄養になる」
 嬉しいやら恥ずかしいやらの照れ隠しやらで、顔が熱くなる思いだ。

「あなたは“大げさ”だよ!」
 ありがとう、と素直に受け取れないのは、やはり“謙遜する日本の文化”が染み付いているからだろう。
 素直になれたらと何度思ったことか。
 しかし今この性格を悔いても仕方がない。それよりも優先すべきは、アグネスの魂を満たすこと。

「これもあなたの“食べ物”になるかな?」
 書き上げた物語をこのタイミングでアグネスに差し出した。
「もちろんよ! これで空腹にならずに済むわ!!」
 アグネスは家でゆっくり読むと言って大切そうに私の原稿を鞄に入れる。
 みんなは一様にその様子を微笑ましく見ていた。
 私はアグネスの言葉で胸がいっぱいになり、ぜんざいがあまり喉を通らなかった。

 アグネスの『好き』の伝え方の力強さには圧倒された。
 魂の食べ物だなんて、本当に物語の威力というか、言葉の力を感じて胸のトキメキが止まらない。
 自分が作ったものを愛してくれる人がいるというのは、とてもとても尊くて代えがたいことなんだ。

 その後、レニーの演奏が始まり私たちは歌って過ごしたけど、あまり印象に残らなかったのが正直なところ……。
 詰まる話が、感動のピークがアグネスへのプレゼントで迎えてしまい、心が満腹になってしまったのだ。

 ボリビアでタケシさんが言っていたけど、音楽に求めるモノは“癒し”。
 楽しさが倍増することもあるけど自分の内側から生まれた世界を外へ出し、それを価値あるものだと受け取ってもらえた喜びに勝るモノはない。



EXAGGERATE(大げさ)


 翌日はアグネスにとって最後の学校だ。
彼女は別れ際、目を潤ませながら手紙をくれる。

   * * * 

 アタシはすごく平凡な人たちの中であなたに出会ったの。だからこそあなたに伝えたいのは、あなたは自分のやりたいことや思ったことをするべきってこと。 
 もし誰かにそれを受け入れてもらえなくても、中にはアタシのようにあなたの表現がすごく好きな人も必ずいる。

 旅の中でいろんな人に出会っても、その人一人ひとりの言うことをすべて聞く必要はないよ。 
 みんな違った思いで生きているから、あなたはあなただってことを忘れちゃダメ。 

 あなたの書く物語はアタシの“食べ物”。
 どうかアタシの魂を空腹にさせないでね。

PS:時々新しい物語を送ってね♪

* * *

 手紙を読み進めていると、ふと一片の小さな紙きれが添えられていたことに気付く。

 『EXAGGERATE』(大げさ)と書かれた文字がいの一番に目を引く。
 『THROW ME TO THE GARBAGE PLEASE!!!』
 続くその文字には、「私をゴミ箱に捨てて! お願い!!!」
 ……と、まるで取扱説明書のように小さく綴られていた。

 ははっ、さては私が散々言ってきたことを根に持ってたなぁ?

 手紙のほうには、まだ続きがあった。

   * * *

 アタシがあなたの作った物語を読んでいるとき、アタシはここにはいない。
 あなたの物語を読んでいる間は、まるで雲の上やお花畑にいるみたい。あるいは、ここではない見たことのない世界に移り住んでいるかのような感覚。
 その間だけは、平凡なこの世界で生きていることを忘れさせてくれる。
 どこか不思議なもう一つの世界へと飛んでいける。

 パーティーでもらった物語は、これから先の長い人生で起こりうるかもしれない“未来の自分”の話みたいだった。
 当たり前にあるものには感謝の気持ちを忘れてしまいがちだけれど忘れないようにしないと。それに失って初めて気づくことも多いから。

 歳を重ねることはできないことが増えて衰えていくイメージが強かったけど、あなたの物語を読んで捉え方が変わったんだ。
今まで先のことに思いを馳せたことはなかったから、そんな“未来の自分”にもいつかこの物語を読ませたい。

 あなたが紡ぐ物語は狭かった視野も広がって、空腹だった魂も満たされるよ!
 どうか、これからもアタシの心を空腹にしないで!
 アタシは大げさなんかじゃないからね!? 
 だからもう、その言葉はゴミ箱に捨てて! 絶対だよ!!

   * * *

 切実なメッセージで彼女の手紙は締め括られていた。

 どうやら彼女は気づいていたらしい。
 私がいつも人と比べていたり、他人の評価を気にしたりすることに……。
 だからこそ彼女は伝えたかったのだ。
 『何より自分を信じて!』と。

 アグネスは私の物語の一番の愛読者だった。ファン第1号になってくれた彼女と毎日会っていると何か書こうという気にさせられたものだ。 

 だというのに私は、アグネスの物語に対して嫉妬を抱いていた。

 私たちはお互い英語を母国語としないで物語を書き、同じ年頃でお互いの書く物語を評価しあい、違った書き方で刺激し合っていたというのに。 
 ライバルであり仲間であったことに、彼女が去ってしまった今更気づくなんて。

 私が事あるごとに『大げさ』と言っていたのは、元を辿ればアグネスが思うほど私が自分の作品を好きになれていなかったのが原因だ。
 ……私はアグネスが思っているような、想像に溢れた人間ではない。

 しかしだからと言って、アグネスが私に抱く憧憬を疑ってはいけない。
 彼女と自分の意見が違うのは当たり前なんだ。
 大げさなんて言葉で否定するんじゃなくて、きちんと彼女の意見を認めないと。

 『アタシをゴミ箱に捨てて!』
 ただ「大げさじゃないよ」と口で否定されるよりも何倍も心に残る素敵な言葉だ。

 捨てなくてはいけない“大げさ”という言葉。
つい口にしてしまった言葉をこんな風にユーモラスに扱ってくれるなんて、本当に私のことを思ってくれているようで胸がいっぱいになる。

 彼女からもらった『EXAGGERATE!』は、生涯の宝物だ。
 今後の人生でもこの言葉を使わないように、アグネスの手紙は御守りにさせてもらうね。



無知は罪


 アグネスが去ってからしばらくして。
 新しい物語を書き進めたのはいいものの、読んでもらえる相手を失った状況はどうにも筆の進みを鈍らせる。
 レニーに相談すると、マイケルに見せたらどうかと言われた。
 近いうちにビクトリアへと帰ってしまうため、今夜は家族でバーベキューパーティーをするらしい。 

 であれば書きかけの物語より、今度は絵を見てもらいたい。
 前回の小説では門外漢にもかかわらず私が欲しい感想をくれた。ならマイケルの本業である絵なら?
 どんなアドバイスが聞けるか、見せる前の今からワクワクが止まらない。

 グエンの家で保管してもらった絵を取りに行き、その足で行き慣れたレニーの家へと向かう。
 この家にはシンシヤというトラウマがあるけど、マイケルに会うためと思えば苦手意識も押し殺せる。

 生憎と、友達と会いに行っているマイケルの到着はまだらしい。
 待っている間はレニーのパソコンを使わせてもらい、弘人さんとタケシさんにそれぞれメールを送って過ごしていた。
 打つのが遅い私でも、マイケルの到着を待たずしてメールを送り終えてしまう。
 それから予定の時間はとっくに過ぎたものの、待てど暮らせどマイケルは現れない。
 マイケルからの連絡もなかったため、レニーは見るからに狼狽している様子。

 そんな折、待ち焦がれていたマイケルからの電話があった。
 レニーが話している様子を隣で聞いていたら、「運が悪かったね」と言っている。
 彼が電話を終えたのを見計い、事情を尋ねる。

 レニーから説明された内容が、それはもう呆れかえる内容だった。

 マイケルは友達と遊んでいたモントリオールから、ヒッチハイクで帰ろうとしていたらしい。なかなか同じ方向の車が止まらず、『運が悪かった』ということだと。
 レニーもバスで来るのかと思っていたみたいだ。
「マイケルはバカだよ……」 
 苦笑交じりに頬を膨らませるレニーに向けた私の顔は、真顔だった。
 マイケルが来ないなら、わざわざ絵を取りにグエンの家に行く必要もなかったし、こうしてレニーの家に来ることもなかったのに!

 レニーが言うには、マイケルには今朝の電話で私が絵を見せにマイケルの帰りを待つことを伝えていたし、家族みんなでバーベキューをやる予定のことも知っているはずだ、と。
 ふ~ん、で? 知っていても来てない事実は変わらないんですが?
 むしろマイケルの行動は予定を知っている分質が悪い。待ち人がいるとわかっているなら、ヒッチハイクのような不確定な方法ではなく、バスで予定通り帰ってくるべきでしょうが!!

 考えれば考えるほど怒りが湧いてきた。それにレニーもレニーだ。
 今は怒っているような雰囲気を醸しているけど、マイケルとの電話ではちっとも彼を責めていなかった。
 マイケルはたまに忘れっぽいところや、時間にだらしないところがあるというけど、だからその迷惑は私が大人しく被れと?
 冗談じゃない!

「なぜあなたは叱らないの? これはマイケルの教育上良くない。彼はまた同じことを繰り返すよ!」
「もう彼は立派な大人だし、悪気無くしたことには怒れない」

 へぇ? 平然の遅刻は大の大人がすることなんだ~?
 怒り心頭の私に、レニーは怯えるように頭を抱えていた。

「以前マイケルを強く叱ったとき、彼はしばらく口を利かなく鬱状態になってしまったんだ。それ以来、僕もシンシヤも彼を叱ることはしなくなってね……」

 気分の浮き沈みが激しいのが、芸術家にありがちなエキセントリックな性分というのはわかる。
 でもそれを赤の他人にも許容させるのは話が違うよね?
 23歳とはいえレニーにとってはいつまでも子どもだし、親としてきちんと教育を示すべきでしょ。
 仮にそこまではできないにしても、大人同士なんだから「それはおかしい」と忠告の1つでもあって然るべきではなくて?

 ……やめよう。このまま怒っていても何の生産性もない。
 彼の対応は、持ってきた絵を手でグチャグチャにちぎられた気分だ。
 主役が来ないのにバーベキューだけ食べる気にもならず、変な気を起こす前に帰ることにした。

 レニーは何度も謝ってくれたけど、それでモヤモヤが晴れたら苦労はない。
 マイケルとレニーに抱いていた尊敬が音を立てて崩れ去って行く。

レニーはマイケルを叱らなかった。
その選択は確かにマイケルの心を傷つけずに済んだけど、代わりに私からの信頼を失う結果となった。
どちらがよかったのか。それはレニーとマイケルが決めることだろう。

 しかしこうして他人の傍若無人に振り回されると、自分が恵まれていた環境にあったのだと気付かされる。
 この旅の中で、私はたくさんの日本人からお説教を受けてきた。
 当時は不快さの極みだったけど、こうして冷静に立ち返ると私は愛のムチをもらえていたのだ。

 無知のまま世界に放り出されていたら、今頃どんな無礼を働いていたことか。
 ……そりゃあ今でも無礼はしちゃうけど、それだって日々の反省で改善されていっているもん。
 無知は罪。
 今日は特にそのことを意識する出来事だった。



数打ちゃ当たる


 最悪な日の翌日は、グエンによるレッスンの日。
 彼女の家を訪れて早々――
「昨夜は絵は見せてどうだった?」
 当然の質問に、私は項垂れながら事情を説明する。レニーがマイケルに対して叱らなかったことも含めて……。

「それは災難だったわね……。わざわざ彼のために来ている人もいるわけだし、もしあたしだったら、あなたの目の前だけでも叱るわ。家族以外は待っていなかったとしても、彼自身のために叱ると思う。そうしないと許されるものだと思って、どんどん甘えてしまうから」

 そうだ! そうだ! さっすがグエンはわかってるぅ!!
 私の常識は間違ってなかったことが確かめられただけでも、多少は溜飲が下がる。

 芸術家は一般人からは理解できない思考をしているから仕方がない。
 そんな理由で無理やり納得させようとしていたけど、他でもない画家のグエンが言うなら先の理由に正当性なんてない。

「……いくら天才的なアーティストでも人として不信感を抱く人にはもう何も見せたくない」
「自分の作品について何か意見が欲しいなら、ライティンググループに参加するのはどう? 書いたものを交換し合うことでもアイデアは生まれるわよ。それが無理でも、できるだけたくさんの人に読んでもらったほうがいいわ。人の意見なんて千差万別だから全員が反対も賛成もないから」 
 アグネスの手紙にも似たようなことが書かれていたっけ。

 グエンの言葉を噛み締めていると、彼女はおもむろに側に飾ってあったアクションペインティングを指さす。
「この抽象画ね、ある男性からは『なんだこれは? こんなの絵じゃない! 君はこういうのを続けるべきだ』って、写真を思わせる写実的な絵を指して言われたの。そうかと思えば今度は別の女性から『ワタシはこのアクションペインティングのこの色の遊びが好きなのよ。絶対このやり方を続けるべきよ!』って」

「この絵が残っているということは、女性のほうの意見を採用したってことですか?」
「別にどちらも採用はしてないわ。あたしは別に作品の方向性を定めてはいないから。ただだからと言って、彼らの意見を蔑ろにするつもりもないの。どちらの言い分も正しいから」

 確かに、ちゃんと読んで的確な感想をくれる人はマイケルしかいないように感じていたけど、別に彼にこだわる必要はない。
 意見でも性格でも、受け入れられないものを無理に受け入れなくてもいいんだ。

「知人で孤独死した人がいるんだけどね。彼は誰にも絵を描いていることは話さずにいたの。その人の家に行った人から聞いたんだけど、素晴らしい絵をたくさん発見して初めて知ったって。あたしも写真で見せてもらったけど、すごく素敵な絵ばかりだった。でも彼はずっと誰にも見せなかった。 きっと人に見せて批判されるのが怖かったんでしょう」

 グエンは惜しいことをしたとでも言うように目線を落としていたけど、私にはその知人の心情がよくわかる。
 自分の作品が上手いかどうか。その判断を狂いなく自分で下せる人がどれだけいるだろう。
 始めの頃はできただけで満足いっていても、創作を続けていく内にいつしか自分の中だけでは物足りなくなる日は来る。
 意見欲しさに外部に発信するか、批判を恐れて内に閉じこもるか。
 その知人は後者を選んだだけのこと。
 私だって今はこうして創作の披露を臆せず行えているけど、それは単に最初に見せたのが全肯定のレニーという、運が良かっただけのこと。
 もし最初の創作が批判で終わっていたら、私の創作はそこで途絶えていただろう。

「私もレニーに見せる前は、人に自分の書いたものを見せるのって怖かったし、恥ずかしかったです。でも今はみんなに見てもらって、いろんな意見が欲しい。自分の糧にしたいから!」

「であれば、あまりジャンルに拘らずいろいろな題材で書いて、何作か読ませたほうがいいわよ。絵の場合は、抽象的な絵とリアリティのある絵を両方置いておくの。人によって好みが違っておもしろいわ。美術館でも、有名な人の絵が誰の目にも留まるとは限らないし」
「私もニューヨークの美術館では、モネの睡蓮以外は素通りでした」
 勿体ないという感覚もあるけど、あのときの行動に後悔があるかと言われれば全然。
 見たいモノを見る。そんな美術鑑賞があってもいいではないか。

「絵は感覚的なものだし、物語だって作家と読者の間で相性がある。意見は参考程度であんまり当てにしないほうがいいわ。それで自分がいいと思ったことだけ受け止めればいい。偉大な人から褒められたら嬉しいとは思うけど、その人のお気に入りになることを目指さないように。誰かのご機嫌を伺いながらつくる作品は、作ってる間もできた後も狭く息苦しいものになる。人に自分の価値を決めてもらうことはしないで、完成したら一番に作品を見る自分をご機嫌にするモノが最高なのよ!」

 本当に、心の底からそうありたいものだ。
 誰にも読まれなかったとしても、自分で自分の作品は愛してあげないと。絶賛してくれたアグネスにも失礼だもんね。



何者でもない自分


 レニーからマイケルが帰ってきたことを教えてもらった。 
 無論怒りは未だ心頭中だ。とはいえここで会わなかったらもう一生会えない予感がある。
 彼との思い出を振り返るとき、最後のあの嫌な印象だけになるのは虚しい。
 ビクトリアでたくさん話したことや、物語を何回も読んでもらった思い出までなかったことにはしたくない。
 考え抜いた末にこれが最後の出会いと思い、泣きの一回で彼と合うことにする。

 またライブハウスでレニーとの親子共演が催されるらしい。
 いい思い出を少しでも増やすついでに、見せようと思っていた絵を何枚か持っていこう。

 しばらく待っていると、レニーが車でマンション前まで迎えに来てくれる。
 車内で会ったマイケルは何事もなかったかのように鼻歌を歌っており、腹の奥底に抱えていた怒りが行き場を失っていく。
「先日はごめんね」
 そんな一言もマイケルからは聞けず、まだ引きずっていた自分自身のほうがおかしいのかと疑ってしまったほど。
 マイケルは依然として屈託なく笑っている。彼の辞書には “悪気”という文字が抜け落ちているのかも。

 じゃあしょうがない! なんて潔く許す器量は、こっちだって持ち合わせていないのよ。
 私の落胆も無駄にされた時間も、紛れもない事実。
 そっちもプロのクリエイターだって言うならさ、ご自慢の想像力を働かせて欲しいよね!
 自分のために待っている人がどんな思いをするか、とかさ!!

 ……そんな想像ができていたら、一か八かのヒッチハイクなんて暴挙には出ていない。
 無意識に人を傷つけていても、自分がそのことに気付いていなければ本人の中では平和そのもの。
 巡る思考に頭を悩ませながら、後部座席から助手席のマイケルを見ていた。
 彼とレニーは相も変わらず、今日披露する歌を無邪気に歌っている。本当にこの二人は似た者親子だ……。

 ライブハウスに入り順番待ちの最中。
 ここまで来た以上後に引くなんて選択肢がない私は、持ち込んだ絵をマイケルに見てもらう。
「君の絵はすごく自由で明るい。先日読んだ物語とはまるで対照的だね。君の言葉はシンプルでありながらとても深くて重いものだった。逆にこの絵は色がよく混ざっている。幻想的で軽やかな色選びだよ」

 私の絵1枚1枚に対して、マイケルは丁寧で的確なアドバイスを述べてくれる。
 絵の専門家から教えを乞うているこの状況は、つい最近絵を習い始めた私からすれば、垂涎物のシチュエーション。

 文句は勿論、教えてもらっている立場で不満を抱くなんて間違っているはずなのに。
 どうしたってマイケルの負のイメージが払拭できない。マイペースな一面があり、甘やかされて育ってきた幼いイメージ像……。
 そんな固定観念が染みついてしまったせいか、彼の言葉を呑み込むのに一旦許容を挟むフェーズが入ってしまう。

「絵には光が必要だ。先日読んだ君の物語は一見すると救いのないような話だったけど、最後には“希望”という一筋の光を入れていた。暗さや重さがあってこそ、その最後の光が際立つ。やはり共通点はあるね」

 そう……なんだ。
 これまで絵と物語との相関なんて考えてこなかっただけに、彼の言葉は猜疑心よりもシンプルに驚きが勝った。

 マイケルは私のことを28歳ぐらいだと思っていたらしい。
「前の作品は、人生経験をたくさん積んだ人が思いつくような深い物語だった。それに君の絵は、精神のバランスを取るために明るい世界を目の前に表現したかったのではないかと思ったんだ」  

 精神のバランス……?
 作者の人、多分そこまで深く考えてないと思う……。
 それにマイケルのほうこそ、私から見たら人生経験が豊富そうに見える。

「あなたも23歳ですでにいろいろな経験をしてるでしょ? 2人の子どもがいたり、絵の学校に通いながらバイトをして養ったり、別居中だったり……」
 言いながら、踏み込み過ぎたことに罪悪感が芽生える。
 しかし口にしてしまった言葉を引っ込められない以上、むしろ彼がどう答えるかの興味のほうが強かった。

 マイケルは私の無遠慮を意に介してはいなかった。
「確かに僕の人生はシンプルではない。だから他のことは常にシンプルがいい。たまには父親でも夫でも画家の卵でも、皿洗いのバイトでもなく。ただの“マイケル”として過ごしてみたくなる。どうしても仕事をする時間が一日の中で長いから、自分の人生の“ほんの一部”であることを忘れてしまう。でも僕の人生は仕事・家族・絵だけじゃない」

 言わんとしていることはわかる。
 仕事も家族も、強要される側面は暴論だけど否定できない。
 人が人らしく生きるためには、伸び伸びと過ごす時間が必要だってことは重々理解できる。

 ……だからヒッチハイクの件は仕方がなかった?

 彼の心中が幻聴として脳に響く。
 しかし彼が続けた言葉は、私の脳内マイケル像を揺るがすモノであった。

「……今回の旅行ではオタワからモントリオールまでヒッチハイクで行って、初めて会ったドライバーと取り留めのない話をして盛り上がったんだ。一期一会の出会いだと、何者でもない自分になれる。もうすぐ時間に追われる日常に戻ってしまうから、その前にもう一度だけと思ったんだけどね。残念ながら、帰りはオタワ方面に行く車とは出会わなかったんだ」

 それじゃあ、マイケルは元々ヒッチハイクを計画していたってこと?
 だとするとレニーたちの歓迎バーベキューは彼らが独断で行ったことで、マイケルへの告知は事後承諾ってことになる。
 つまりマイケルからしてみればヒッチハイクこそが“メインディッシュ”であって、バーベキューはメニューにはなかった“サラダ”か“デザート”くらいの扱いだったのだろう。
 そして私はレニーの勝手な計画に便乗して、彼が来ないからと勝手に怒っていただけの迷惑な飛び入り客。
 ……マイケルへの考えを改めないとなぁ。

 ライブハウスのオーナーと話していたレニーが戻って来た。
「マイケル、そろそろ出番だよ」
「すぐ行くよ」
「練習する時間なかったよね。Sorry」
 いろんな意味も含めた謝罪に、マイケル親子は声を揃えて
「「Don't  be  sorry ‼」」
 謝らなくていいよ! 眩い笑顔で応えてくれていた。

「僕たち親子はこんなにも息が合っているんだ。練習は必要ないよ」
 レニーの合図にマイケルは勢いよく頷き、2人は堂々とステージに上がって行く。
 その後の彼らの華々しさは、今更語る必要もないだろう。

 帰りの車内では、日常に戻ったマイケルとの最後の雑談が始まる。
 彼は明日ビクトリアに発つけど、クリスマスにはオタワに帰ってくるらしい。けど残念ながら、その頃にはもう私はここにいない。
 会えないことを悟ったマイケルは、寂しげに口角を歪ませる。

 しかしそれは一瞬のことで、彼はすぐに明るい笑顔を浮かべていた。
「ドアはいつでも開いてるから! サムはイスタンブール、ぼくはビクトリア、そしてレニーはオタワでいつでも君を待ってるからね!」
 思えばどこかに発つ度に、私はこの街に帰って来ていた。
 いつでも。その言葉がもらえただけで、彼らとの思い出は満足いくものとして保管できる。

 旅の中での一期一会の出会いでは、私は何者でもないただの“旅人ナナ”。
 もう二度と会わないかもしれない初対面の人とは気楽になんでも話せる。それはなんのしがらみのない私だからできることだ。

 しかしこの国で暮らすマイケルは違う。
 仕事・学校・家庭と束縛の多い彼にとって、ヒッチハイクをしていたあの日だけが何者でもない自分でいられたタイミングだったのだ。
 彼に散々『想像を巡らせろ!』なんて憤っていたけど、私のほうこそ想像が足りていなかった。

 無知の罪を被っていたのは、私だったのだ。



【後編】『生け花と盆栽』へと続く・・・・・・


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