旅をしてドレスをつくる。なんてしあわせなんだろう。
その時、一目で恋に落ちた。
別にタイじゃなくても良かった。目的地はそもそもイギリスだった。会社員だった自分の人生にふと迷いを感じ始めた20代半ば、私は旅に出た。お恥ずかしい話だけど、よくありがちな「自分探しの旅」ってやつ。それがまさか、本当に私の人生を変えてしまうなんて。しかも、目的地じゃなくて、経由地のタイで。あの時、旅行代理店のお兄さんが「タイ楽しいですよ♪」とタイでのストップオーバーを勧めてくれなかったら、私は今頃どこで何をしていただろう。
恋に落ちて。
私が恋に落ちたのは、ウェディングドレス。
タイ・バンコクの街角には多くのタイシルクのウェディングドレス店が存在している。その純白のドレスを一目見たとき、雷が落ちたような衝撃を受けた。バンコクの埃っぽい路上でそこだけが聖地のように感じられた。
そして、目的地ロンドンのパブで落ち合った友人に、開口一番こう宣言したのだ。
「私、ウェディングドレスの仕事するわ」と。
友人は本気にしていなかったが私はいたって本気だった。いまでもその時の友人に会うとその話になる。「まさか本当にあれからずっとドレス作ってるなんてね」

もう一度タイへ。ドレスを作りに。
取り急ぎ、実際に自分でドレスをタイでオーダーして着てみる必要があった。ちょうどいい結婚相手が見つかったところで(けっしてドレスのためだけではないが)私は猛烈にタイ語を勉強し始めた。

周りの友達には、タイ語を始めた理由をだいぶはしょって「結婚のためにタイ語を習ってる」とだけ説明したので、「え?もしかして、タイの人と結婚するの?」と言われたものだった。「違う違う、ウェディングドレスを作ろうと思って」というと、「ステーキを食べるために、餌の牧草から育てるようなもんやな」と笑われた。
しかし、明確な目的と情熱がもたらす効果というものは計り知れないもので、私はあのクネクネした謎の記号のようなタイ文字を読み書きできるにようになり、1年がたつ頃にはタイ語でドレスの仕様書が書けるまでになっていた。

1年半後、私はそのお手製の仕様書とデザイン画を手に、たったひとりで再びタイへと降り立った。旅のミッションはドレス店への発注と、仮縫いと、仕上げを確認し、出来上がったウェディングドレスと一緒に帰国する、というもの。
私は意気揚々と一軒のドレス店の扉を開けた。数十メートルほどの「ドレス街」を何度も行き来して、その店に狙いを定めたのだった。しかし、扉を開けてすぐに私は一抹の不安を感じてしまった。華やかなショーウィンドウからはわからなかったが、一歩足を踏み入れるとそこには、まごうことなき「タイ」が広がっていたからである。
なんと縫い子のおばちゃんたちがドレス店の床に座って屋台ご飯を食べているではないか!ウェディングドレスのすぐそばで、ご飯を!(クラッ。めまい)
日本ではうやうやしく白手袋をはめて扱うほどの婚礼衣装に、うっかりナンプラーがついたらどうする気だろうか。確かにタイ料理は大好きだけど、ナンプラーの香り漂う花嫁にはなりたくない。
しかし、そんな私にお構いなくおばちゃんたちはゆったりと食事を片付け始め、とろけるようなタイ語でペチャクチャとお喋りをしながらドレスの縫い作業を始めた。なんだか楽しそう。う〜んタイだなあ。
と、感心している場合ではなかった。オーダーしなければ。タイスタイルの店内には驚いたが、オーダーは意外にもすんなりと進んだ。そして、肝心の生地選び。その生地見本を見たとたん、私の不安は一掃された。艶やかなシルクの、高貴な光沢。さすがに本場だけあって、色数も豊富だった。ひとえに白といっても、紙のような白からコックリしたクリーム色、黄みを帯びた優しいアイボリー、そして鮮やかなシャンパンゴールド、蜂蜜に近い色まで。

私が選んだのは肌映りの良いクリーム色の、シャンタンという素材。生地表面に「ネップ」と呼ばれる織りあとが現れる。繭から紡ぎ出される絹糸に太さに違いがあるためで、そこが自然からの贈り物という気がしてなんだか愛おしい。レースはフランス製のリバーレースで、ビーズ刺繍を入れてもらう。

素材が決まると採寸なのだが、ここで私は大きな失敗をしていたことに気がつく。タイにきてすっかりリラックスモードになってしまい、ブラを着用せずに採寸に来てしまったのだ! まずい、このままではメリハリのないドレスになってしまう。
あわてて店主に交渉しようとしたが、焦って的確なタイ語が出てこない。そこで、やむなく自分の胸を寄せ上げ、「ボーンきゅううっ」とジェスチャーした。すると店主は笑って「マイペンライ(問題ない)」というのだ。タイの問題ないが一番問題なんだよねえと思いながらも、この際身をゆだねることにした。タイに身を任すのってある意味キモチいい。もうどうにでもして〜。
オーダーをしてしまえば、仮縫いまではすることがない。私はチェンマイのトレッキングツアーに参加し、思う存分に旅を満喫した。ある日、トレッキングツアーで知り合ったシンガポーリアンのおじさんに「結婚しているの?」と聞かれ、とっさに「 NO」と答えてしまった。そうか、結婚したらもうこんなに自由に旅はできなくなるんだ。タイまで来といて急にマリッジブルー。
さらに仮縫いのドレスが追い討ちをかける。胸がぶかぶかやないか〜い!
確かに見た目には「ボーンきゅうう」だし、マイペンライ(問題ない)か。そう来たか、マイペンライ。でもなんか女子としてはちょっと凹むなあ…。
そうこうしているうちに、とうとうドレスが完成してしまった。私はゲストハウスの壁にかけられたあまりにも場違いなウェディングドレスを眺めてため息をついた。なんか…結婚したくない。いっそのことこのまま旅の空に消えてしまおうか。
とはいえそんな度胸もない私は、そのままズルズルと帰国の途についた。ドレスがやけに重たく感じた。帰国ゲートを出ると私は婚約者に電話を入れた。旅の空に消えたいと言っていた割には、空港に迎えに来てくれていないことにがっかりしていた。電話でそう言うと、意外な答えが返ってきた。
「いやあ、迎えに行かんほうがええかなあと思って。旅の余韻に浸りたいやろ?」
うだうだ悩んでいた私が拍子抜けする一言だった。そして思った。この人だったらなんとなく大丈夫そう。もしかしたら単に迎えに来るのがめんどくさかったのかもしれないけどね。
かくして私は無事にウェディングドレスを着ることができた。ナンプラーの香りこそしなかったものの、ブカブカの胸でタイのことを思い出してニヤニヤしてしまった。ま、外から見たら盛れてるわけだし、結果マイペンライ。
旅をしてドレスを作る。
自分のドレスを作ったら、会社を辞めてウェディングドレスの仕事をしようと画策していた私だったが、ちょうどその頃、今度はインドへ呼ばれてしまった。インドでファッション商品を作るプロジェクトがスタートしたのだ。インドへ呼ばれたからには行かないわけにはいかない。なぜならそれがカルマだから。
この時のブランドのキャッチコピーが「旅をして服をつくる。なんてしあわなんだろう。」
以来、それがそのまま私の人生のキャッチコピーになった。
新しい素材に出会い、色に出会い、
旅のトキメキと、特別な時間を、街の喧騒も匂いも色彩や何もかもを、こぼれ落ちないようにドレスに縫い止めたい。

しばしドレスを封印。
人生はサプライズ。インドから帰国後ほどなくして私は子供を授かった。なので一旦ドレスの夢はひとやすみ。ここから少し遠回りをしてしまうことになる。
子育ては思っていた以上に大変で、私はしばらく「旅」や「ドレス」を封印し、子育てに専念した。男の子だったこともあり、可愛いもの、綺麗なレースやドレスへのトキメキを箱の中にしまって固く固く封印し、その上から電車模様の包装紙をかけ、戦隊ヒーローのシールをペタペタと貼って、心の奥底にしまっておいた。
二人目の子供がお腹にいる時、急にドレスへの夢が再燃することになった。お腹の中の子供が女の子だとわかった時、心の奥底へ封印していたあの箱をそっと取り出してみた。箱を開くと、詰め込んでいたレース、ビーズ、可愛いもの、リボン、キラキラしたものなどがシュワシュワといっぺんに溢れ出してきた。一度溢れ出したらもう止まらない。
私は溢れる情熱のまま娘の服を作り始めた。娘が昼寝の間に一着完成させたり、まるで昭和のオカンのように、おんぶひもで娘をあやしながらミシンをかけた。
私はさらに勉強を深めるべく、洋裁とお直しの専門学校に通い始める。夢中になった人間の習得の早さと集中力は凄まじいものがあって、それはタイ語の時にもそうだったのだが、この時も憑依的とも言えるものすごい勢いでドレスの制作技術とお直し技術を習得していった。
担当の先生がウェディングドレスのアトリエで仕事をされていたのも幸いし、オーダードレスの作り方も学ぶことができた。最初は裏方的な名前の出ない仕事から、やがて知人や友人のウェディングドレス制作を頼まれるようになり、気がつけばタイで最初にウェディングドレスに出会ってから9年が経っていた。

初めての個展と新型インフルエンザ。
忘れもしない、2009年。会社を辞めて、ドレス作家として活動後の初めてのウェディングドレス展。それがなんと、新型インフルエンザの流行に直面してしまった。しかも日本で最初の感染者はよりによってここ神戸から出た。風評被害も広がり、街からは人がいなくなった。当然、初めての個展の成果は散々だった。
それでも必死に告知活動をしたことが幸いし、会期中ではなく、後から声をかけていただいたり、つながりもできて、少しずつドレスの仕事ができるようになっていった。
家族のことで、ドレスの仕事からしばらく離れることもあった。そんな時、イギリスをイメージしたアクセサリーのオーダーが入ったりして、また縫う仕事に戻って来られた。ドレスの仕事に戻るきっかけは、イギリスや、旅だったりした。旅はいつも私にきっかけをくれる。
こんなに小さく個人でやっている仕事でも、どこからか私を見つけてくれて、ドレスの仕事ができて、花嫁様に喜んでもらえるのは本当に嬉しい。心を込めてドレスを作り「タケチさんに出会えてよかったです」と言ってもらえると、おおげさじゃなくて生きていてよかったなと思える。

何をしてても、ドレスを。
娘に、私がドレスの仕事をする経緯を話したことがある。偶然の出会いから何度もあきらめたり、失敗したり挫折をしながらそれでもドレスの仕事にいつも戻ってこれたこと。
「あの時、こうだったらドレスの仕事してないかもしれないね」と言うと、娘はこう言った。
「たぶん、何をしてても、お母さんはドレスをつくることになっていたと思うよ」と。
泣く。
宣言の地、イギリスへ。
そして、2017年。
私はロンドンの、パブにいた。「ウェディングドレスの仕事するわ」と宣言したあのパブに。
信じられる? 18年越しだよ。
「ちゃんとウェディングドレスの仕事してるよ!」
と、過去の自分に報告しておいた。(飲みながら)

あの時の私が見たら、遅ぇよ!って言うかな。
昨年は私の作ったドレスもロンドンに連れて来てもらえた。
夢って諦めなければ叶うって言うのはどうやら本当みたいだ。ずいぶん遠回りしたけど。
何をしてても、ドレスの仕事に戻ってこられる。きっと。
そして、今年、2020年。
コロナの影響で結婚式は延期や中止になり、3月の納品を最後に、とうとう私の仕事はゼロになってしまった。
でも大丈夫。
「たぶん何をしてても、ドレスの仕事に戻ってこられる」
人が恋に落ちた時の片思いパワーはすごいんだから。
そしてその時はまた旅もいっしょにできたらいいな。
「旅をして、ドレスをつくる」
新しい世界での旅が楽しみ。

⭐︎キナリ杯参加しています。
※本文中のタイでの体験は、第7回ハービス旅大賞・エッセイ部門優秀賞「タイで花嫁修行」より、本人の手により大幅に加筆・編集しております。さらにその後のドレス人生を書き加えて、20年ほど前にタイでドレスに出会った自分と、これからの自分に宛てて書きました。
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