感傷的な季節も終わり、はやクリスマスか…。「O Holy Night」
1,慶應義塾日吉キャンパスのイチョウ並木。時期遅れですが…
12月初旬、東急東横線で日吉(横浜市)へ行ったところ、駅近の慶應義塾日吉キャンパスのイチョウ並木が目に入り、黄葉の見事さに心奪われ、しばしキャンパスを散歩しました。物思いにふけりながら…。

ここからイチョウが葉を落とすまでの期間は、1年でいちばんメランコリックになる季節です。
もう若くはない私にとって、過去は悔恨の連続です。むかしむかしの19★0年代、今や世間から邪教と非難される統一教会に、幸か不幸か私は出会ってしまいました。
2,原理研究会での不快な体験。威張る太田洪量や大塚克己らに辟易
信仰の炎がメラメラと燃えあがった学生時代。いろんなことがありました。学生寮の暮らしも経験しました。
私が入ったのは原理研究会(正式名称:全国大学連合原理研究会、別称CARP、略称原研、反対派は原理とか原理研と呼んでいた)ですが、学生組織と称しながら指導者は学舎長も含め、みんな社会人(いわゆる統一教会の献身者)という不思議な団体でした。
企画は上から下ってくるものばかり。学生たちの自主的、自発的な活動はほとんどなく、寮生活は卒業して教団に献身する者を養成する一種の修行道場です。
太田洪量、稲森一郎、大塚克己、徳野英治といったお偉いさんが、文鮮明教祖という「再臨のメシヤ」の権威をかさにきて、全国や各ブロックの学生信者たちを指導していました。
みんな威張ってたなあ…。太田、大塚両氏は特に。両氏を知る人なら、納得してくれる人も多いはず。
古参幹部として有名な大脇準一郎(当時は尾脇姓)氏から寮に電話がかかってきたことがあります。たまたま私が受話器を取ったのですが、早口なので呼び出す人の名前が聞き取れず、「◯◯さんですか?」と聞き返したら、「ちがーう! △△だ!!!」と怒鳴られました。
「聞き返しただけで怒鳴るのかよ」と啞然としたものです。
つい最近、日本の教団トップを辞任した田中富広氏も、当時は原理研究会の姉妹組織(下部組織? 詳細は記憶があいまい)として1985年に結成された「国際基督教学生協会(ICSA)」(参考note)で活動していたんじゃなかったかな。
ちなみにwikiの「田中富広」には、「1982年10月、国際基督教学生協会(ICSA)幹事に就任」と書かれていますが、上記のごとく、国際基督教学生協会は1985年4月に創設されたので、wikiのこの記述は間違いです。
ともあれ、この方が威張る人だったかどうか、そこまではよく知りません。
思い出せば不快なことだらけ。トラウマにもなっており、大塚克己、太田洪量、徳野英治らに会う機会があれば、問い正したいことはいくつもあります。
向こうも私の顔くらいは覚えているでしょうから。
しかし、楽しいこともなかったわけではなく、厳しい信仰生活、集団生活も自分を成長させてくれると思えた限りでは、全部が無駄だったと言うつもりはありません。
なお、徳野英治、大塚克己両氏については、拙noteでも過去に批判しています。
3,楽しかった路傍伝道やキャンパス伝道
路傍伝道やキャンパス伝道は、楽しかったですね。群れるのが嫌いだった私は、よく駅の近くやキャンパス内で1人で伝道したものです。
「原理=統一教会=KCIAの手先!」という立て看のすぐそばで、知らん顔して「原理研究会ですけど、アンケートに答えていただけませんか」とやるのです。
左翼やマスコミの悪宣伝がひどくなると、「原理研究会」「原理研」とは言い出せない雰囲気になります。
立ち止まって話を聞いてくれた人に途中で伝えるか、向こうから「どういうサークルですか」と聞かれたら答える(話が弾んだ人は意外にもサークル名を聞いてこないことが多かった)、あるいは1回とにかくビデオセンターに来てくれたらそこで言う、というように、伝え方はいろいろでした。
これは「正体隠し伝道」でも何でもなく、非難されるようなものではありません。法的にも何ら問題なし。
アンケート伝道を「違法」と言う人たちは、法的根拠を示してほしいものです。何という法律の何条に違反したんですかね。
4,「おまえは処女降誕を信じないのか」と絡んできた戦闘的クリスチャン
ところで、今も鮮明に覚えているのは、熱烈なクリスチャンにからまれたこと。
これは駅の近くで伝道していたときですが、彼は私を統一教会の信者と見て近寄ってきて、「原理はイエス・キリストの処女降誕を認めないのか。おかしいじゃないか」と口を極めて非難したのです。
クリスチャンと言えば、三浦綾子の『塩狩峠』に出てくる主人公、永野信夫のようなイメージを持っていた私は、彼の戦闘的な態度に驚きました。
と同時に、「イエス・キリストの処女降誕を信じないのか」と言われて、「えっ、この人は処女降誕が歴史的事実だと本気で思っているんだ」とそれにも驚きました。
三浦綾子の『新約聖書入門』には、処女降誕は事実と書いてあります。あり得ないと思われることを信じるのが信仰なのだと。
それに、科学が進歩すれば、女性だけで懐妊できる時代がくるかもしれない。だから2000年前にそういうことがあったとしても不思議ではないと。
それを読んでも、ふーんという感じしか持てなかった当時の私は、処女懐胎による救い主の誕生を本気で信じ、「おまえはそれを信じないのか」と赤の他人を攻撃すらしてくる人物を目の当たりにして衝撃を受けました。
5,イエスの処女降誕よりも、「イエス様には父親がいたはず」という話に真実味を感じた私
統一教会の『原理講論』には、処女懐胎を否定する記述はありません。
修練会の講義でも、その頃はそういう話を聞いた覚えはなく、寮生活の中で「イエス様には父親がいたはずだ」といった話を何かの機会に聞き、「そりゃそうだよな」と思ったくらいでした。(それとなくほのめかすような講義はあったかも)
今は原理講義の中で、祭司ザカリアがイエス様の父親だとはっきり語っているようです。例えばYouTubeで公開されている「ほぼ5分でわかる統一原理」シリーズ。
当時も今も、処女懐胎が自然科学の法則に反するという事実に変わりはありません。これを信じるには、どこかで理性を捨てるしかないでしょう。
清水の舞台から飛び降りるような、飛び降りても死なないだろうと思えるような圧倒的な霊的体験なしには、とても信じられないと思います。
彼はそういう体験をした人物だったのかもしれません。どういう体験があったのか聞けばよかったのですが、その時はそこまで頭が回りませんでした。
ただ、彼の剣幕と真剣さに心底驚いたので、今でもよく覚えているわけです。
クリスマスの季節だけに、最近はクリスマスソングをよく聴いています。以下は、オーストラリアのヒルソング教会で発祥し、世界的な賛美グループになったHillsong Worshipの「O Holy Night」(さやかに星はきらめき)。
Hillsong Worshipはスキャンダルもあって最近は活動が停滞しているようですが、YouTubeにアップされている動画は、素晴しい作品が多いですね。
こちらは和訳を載せている方のnoteです。
