積読(つんどく)という名の、甘美な現実逃避
人はなぜ、読み切れないほどの本を抱えてしまうのだろうか。 それはきっと、本を買うという行為が「知識の習得」ではなく、「未来の賢くなった自分」をポチっているからに他ならない。
見てほしい、この神々しいまでの積読たちを。

かつて私は、増えすぎた本を一度は粛清し、スマートな「電子書籍派」へと転向したはずだった。場所を取らず、どこでも読める。それは確かに現代の最適解だ。
しかし、どうだ。2026年3月。 私の手元には、再び「物理的な重圧(物理)」が徐々に戻ってきている。
結局のところ、電子書籍は「情報」を買っている感覚に近い。対して、紙の本を買うという行為は「体験の予約」であり、その本の持つ「佇まい」を所有することなのだ。 ページをめくる指先の感触。独特のインクの匂い。そして、積まれた本たちが放つ「いつか君を、未知の世界へ連れて行くよ」という無言のプレッシャー……。このプレッシャーこそが、知的好奇心のガソリンになる。
……などと言いつつ ……積み上がった本たちの背表紙は、もはや「未知への扉」というより、「お前、結局読まないんだろ?」という冷ややかな視線を送ってくる同居人のようにもなり得る。
アイン・ランドの分厚い背表紙から、エピクトテスのストイックな教え、そして『目標という幻想』……。おいおい、今の私に「目標は幻想だ」なんて囁かないでくれ。耳が痛すぎる。
ここ最近、私の生活は「ピアノ」に全振りされていた。 鍵盤の上で指を踊らせることに心血を注ぎ、ミニ発表会という名の戦場をようやく駆け抜けたところだ。 「よし、これでようやく読書に時間が割けるぞ!」 と、積まれた本たちを愛でながら、私は勝利の美酒(コーヒー)を啜っていた。
……が、ここで一人の冷静な私が、脳内で冷酷に問いかけてくる。
「おい、ちいたけ。TOEICはどうした?」
そう、運命の日、3月15日はすぐそこに迫っている。 今日は3月4日。 カレンダーを見れば、そこにあるのは「読書の春」ではなく、「英語の地獄(あるいは絶望)」へのカウントダウンだ。
単語帳を開くべきか、それともこの美しき背表紙たちの誘惑に負けるべきか。 「英語力」という実利を取るか、「積読の消化」という精神的貴族の愉しみを取るか。
……答えは決まっている。 私は今、こうしてnoteを書くという、第三の逃避ルートを華麗に爆走している。
積読とは、未来の自分へのラブレター。 そしてTOEICとは、過去の自分が安易に申し込んだ挑戦状。
果たして3月15日、私は笑顔で試験会場に座っているのだろうか。それとも、エピクトテスの『語録』を片手に「試験の点数など、私が制御できる範疇ではない(=どうでもいい)」と悟りを開いているのだろうか。
とりあえず、今は積まれた本の一番上を、そっと撫でることから始めたい。
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ここまで読んでくれたあなたは、もう徳を積みすぎて来世は石油王間違いなし!さらにチップを送ると、私の感謝の念が飛んでいって、あなたの今日の運勢が0.5%アップする・・・かな。