40年前には、夢のまた夢だった舞台が、いま目の前に…ありがとうW杯2026
今回は、ダラスとヒューストンという2つの街で見届けた、サッカー日本代表の1週間の記録です。
メキシコ・モンテレイの熱狂から一週間が経ったころ、僕は家族とともに、テキサス州ダラスにいました。
目的はふたつあって、ひとつは日本代表のグループリーグ最終戦「スウェーデン戦」の応援。
そして、もうひとつの目的。この街には、前々から訪ねたいと思っていた場所がありました。
ケネディの足跡をたどる

ダラスは、ジョン・F・ケネディ(第35代アメリカ合衆国大統領)が暗殺された街です。その現場とされる場所には、「6thフロア・ミュージアム」という博物館が建っています。
機会があれば、訪ねてみたいと思っていた場所です。館内では、ジョン・F・ケネディの歩みをたどることができます。
彼が大統領に就いたのは、42歳のときでした。当時最高齢の大統領だったアイゼンハワーからバトンを受け取った、劇的な時代のリーダーです。
人種差別の問題に向き合い、芸術家を大切にする先進的な考えの持ち主でもありました。
そして、有名なムーンスピーチがあります。
【英語原文】
"We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade
and do the other things, not because they are easy, but because they are hard,because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win."
【日本語訳】
我々は月へ行くことを選ぶ。我々はこの10年のうちに月へ行き、そして
その他のことにも挑戦することを選ぶ。それは簡単だからではなく、困難だからだ。その挑戦は、我々が進んで受け入れるものであり、先延ばしにするつもりのないものであり、そして必ず成し遂げると決意しているものだからである。
上記の宣言をした彼は、就任3年目に凶弾に倒れました。
ずっと行きたかった場所で、ケネディの足跡とアメリカの歴史の一端を知る充実の体験。
満たされた心のまま、僕は家族とスウェーデン戦の会場へ向かいます。
静かな前半、動いたのは後半
場所は、NFLのダラス・カウボーイズの本拠地としても知られる「ダラス・スタジアム」。いよいよ、グループFの最終戦です。
前半は、大きな決定機の少ない静かな展開が続きました。
試合が動いたのは後半11分です。堂安律を起点にした連係から前田大然が抜け出し、日本が先制します。
けれど、リードは長く続きませんでした。わずか6分後、スウェーデンのエランガに同点弾を決められてしまいます。
終盤は、スウェーデンが押し返す時間が増えました。イサクの決定機をゴールキーパーの鈴木彩艶が防ぎ、日本は1対1で試合を終えます。
このカードを引き分けたことで、日本はグループF2位で決勝トーナメント進出を決めました。
容赦ないノックアウトステージで対する相手は、5度の優勝を誇るブラジルです。いま振り返れば、ダラスでの引き分けは、ヒューストンへの序章でした。
圧倒的なアウェイ

スタジアムの7割がブラジル人(肌感)
ダラスでの引き分けから4日後、決勝トーナメント1回戦の舞台は、ヒューストンのNRGスタジアム。今度も家族と一緒に、この試合を観に行きました。
観客席の7割ほどがブラジル人だという印象。サッカー王国の人たちが、どれだけ自国の代表を愛しているか。その熱量を、肌で感じました。
圧倒的なアウェイ感の中、それでも日本人の応援はしっかり聞こえてきて、その声が胸に刺さりました。
空気を切り裂いた先制点
試合の空気を最初に切り裂いたのは、日本でした。
前半29分
一瞬のほころびを見逃さなかったのは佐野海舟です。中盤で相手のパスを奪い取ると、そのまま自ら持ち込み、右足を振り抜きました。攻守の切り替えが遅れたブラジルを突いた、みごとな一撃です。
佐野にとっての代表初ゴール。この一点が、試合の温度を一気に引き上げます。
リードを得た日本は、組織的な守備と素早い切り替えで、ブラジルのリズムを寸断し続けました。相手にボールを持たれても、決定的なスペースは与えません。
世界屈指の攻撃陣を相手に、冷静さと集中力を保ち続けた45分間でした。日本の戦い方が確かに通用していることを、証明するような前半だったと僕は思います。
1点リードのまま、前半終了。
後半、目覚めたブラジル

後半に入ると、ブラジルはやっぱりブラジルでした。
肝を冷やしたのが、後半9分。右サイドからのクロスをファーサイドで折り返され、カゼミーロに頭で合わせられました。これを冨安健洋が顔面でブロックし、こぼれ球をゴールキーパーの鈴木彩艶がかき出します。文字どおり、体を張った守備でした。
でも、この決定機は予兆だったんです。
後半11分、追いつかれる
わずか2分後の後半11分。ブラジルはペナルティーエリアの左手前から、斜めのクロスを送り込みます。ファーサイドで待っていたのは、またしてもカゼミーロでした。頭で合わせたボールがネットを揺らし、試合は振り出しに引き戻されます。
この一撃から、ピッチの流れが大きく傾きました。傾いたまま、加速していきます。
ここから日本は、長い我慢の時間に入りました。自陣での対応を強いられ、ラインがなかなか上がりません。クリアしても、セカンドボールを拾われて、また押し込まれる展開が続きます。
ブラジルがこの試合で上げたクロスは30本にのぼり、日本の12本を大きく上回っていました。波状のような攻撃に体を張り続け、ゴール前で何度も決定機をはね返す日本の守備陣。
時計の針が進むほどに、選手たちの消耗と緊張が積み重なっていくのが、スタンドからも見て取れるほどでした。
死ぬほど長かった6分間
迎えた後半アディショナルタイム、掲示された数字は6分。
観ているだけの僕でさえ、この6分が死ぬほど長く感じられたのですから、ピッチに立つ選手たちには、どれほど重い時間だったことでしょう。
時計は動き続けます。あと5分、4分半、4分……「このままなら、延長戦に突入だ」と、僕だけでなく、おそらく多くの人がそのイメージをすでに描き始めていたはずです。
がんばれ、耐えてくれ。祈るような心地で、固唾をのんで見守りました。
でも、神様は気まぐれで、どうしようもないほどに残酷でした。
途中出場のマルティネッリがわずかなスペースにするりと入り込み、決定打を沈めたのです。
ゴールネットが揺れた瞬間、スタジアムの時空が止まった感覚。そして一瞬のあと、日本の選手たちはその場に立ち尽くし、崩れ落ちていきます。
あと一歩。本当に、本当に、あと一歩だったんです。
優勝5度の相手を追い詰め、揺さぶり、手を伸ばせば届きそうなところに勝利のフラッグは見えていました。
それでも、現実は容赦ありません。勝利をたぐり寄せたのは、ブラジルでした。
2対1というスコアで、北中米ワールドカップにおける日本の挑戦は幕を下ろしたのです。
あとから知ったのですが、ブラジルが決勝トーナメントで逆転勝ちを収めたのは、優勝した2002年の日韓大会以来、24年ぶりだったといいます。それほどの試合を、日本はしていたということです。
この試合は、ただの敗戦ではなかったと僕は思いたい!世界の強豪を本気で苦しめた90分は、日本サッカーが次のフェーズに進んでいることを強く印象づけてくれました。
40年前は夢の舞台、今は……

今大会、僕はスタジアムで4試合を観ることができました。どの試合も、素晴らしかったです。どこかの記事で書いた気がするけど、プライスレスの感動をもらいました。
僕がサッカー沼にハマり始めた40年前。そのころは、日本がワールドカップに出られること自体、夢のまた夢だったんです。
Jリーグができて、強化が進んで、1998年に初めて出場して、海外移籍する選手がどんどん出てきてと、少しずつステージアップ。そして今、ブラジルと対等に戦えるまでになりました。
観戦後、ダラスの博物館で触れた、ケネディの言葉を思い出しました。
簡単だからではなく、難しいからこそ挑戦する。
日本のサッカーが歩んできた40年そのものですね。届くはずがないと思われていた場所に向けて挑戦を積み重ねてきた時間が、いまの代表チームを作ったのだと感じます。
日本代表のこれからが、ますます楽しみです。
4年後、また応援に飛んでいきたい
2026年の僕の夏は終わりました。4年後の大会は、スペイン、ポルトガル、モロッコの共催です。また行けたらいいなあ、と思っています。
40年前には、1ミリも想像できなかった景色を見たあとだからか、どんな壮大な未来ビジョンも、ありえない話ではない気がしているのです。
