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『滅国の英雄』断章ー魂の継承者ー ♯1甘美な牢獄 【連載小説】 創作大賞2026 ファンタジー小説部門

【あらすじ】
ーー半分の憧れと、半分の諦め。

幼き頃の私は、厳格な父が苦手だった。
でも、かっこいいと思っていた。

目立たず、国の中枢で勤める姿。
その姿を、見たことはない。
後を追って、地方の治世を支える職についた私は痛感する。

私は、無能だ。

これといって、誇れるものがない。
みんな何を想い、この世界を生きているのか。

そんな中、わたしは新たに苦しむこととなる。

素性が一切わからない‥‥‥
私が最も苦手とする、この上官との出会いによって。

ーーわたしはいったい何者なのか。


しくじった。‥‥‥いや、そんな生ぬるい言葉では足りない。

なぜ、あの時‥‥‥致命的な過ちだ。

しかし、これは私が招いたことだ。
ほんの一呼吸、立ち止まって確かめてさえいれば‥‥‥
こんな地獄を覗くことはなかったはずだと。

一時の甘えが、一生の代償になるとは‥‥‥

止められる時をすべて流し、私は自らの手で、歩むべき光を握りつぶした。私は戻れぬ深淵へと、足を踏み外してしまった。

ーーリブラリス領のある街で、私は日々務めを果たしていた。

ひっそりと、誰にも迷惑をかけずにいたい。

のんびりと街を管理する、この日々任された役割をただこなし、平和に過ごしたい‥‥‥

ただ、それだけでよかったのに‥‥‥

ーーコツーン。コツン。コツーン。コツン。

あぁ、始まってしまった。私だけがわかる、この不協和音のリズム。
あの絶望のメロディーである。なぜ、誰も気にならないのか。

私は、この唄を知っている。

「すまない、この報告書に少し間違いがあるみたいだ。確認してもらえるかな?」

まただ。この方の、優秀な主旋律が、日々じわじわと私を追い詰める。
このやり取りに疲れ果てた私は、どこか投げやりな甘えを口にしていた。

「‥‥‥あの、できれば‥‥‥代わりに直しておいていただけませんか?」

私の楽になりたい一瞬の甘えに対し、男の動きが止まった。
目の前で立ちはだかるその姿を見上げる。

高い位置から見下ろされる視線が、突き刺さる。

しまったという気持ちになった。これは、上官に対しての言葉ではないと。

理解するにはあまりにも遅すぎた。

口角が上がる穏やかな微笑み。
だが、目は笑っていない。背筋に冷たいものが走る。

「そうか‥‥‥では、最後に確認だけしてくれればいい。それで構わないかな?」

咄嗟に身体が反応する。軽く下を向くように頷く。

ーーコツ、コツ。コツ、コツ‥‥‥

その場を離れていく姿を見て、ただ安堵する。
予想外の甘い言葉を理解するため、頭で何度も分析する。

そうだと。私がこれをするのではなく、この方がこれをすればいいだけ。

優秀なこの方が手を加えれば、もう間違いなんて起きない。

なんという幸運。部下の失態を未然に防ぐ。これこそ理想の上官。
もっと早くに気づいていれば‥‥‥

もしや、あの反応。すでに上官は、私からの提案を待っていたのでは?
その「楽」への渇望が、私の目を曇らせていた。

――コツーン♪コツン♪コツーン♪コツン♪

それから、私と上官の仕事は逆転した。
心の余裕からか。

以前、感じていたあの不吉な足音が、今は気にならなくなっていた。

それどころか、これを聴くことが幸福のメロディーのように感じるように。

人の心理とは、このように変化するものなのか。
私はこの仕事が、少し好きになっていた。

ーードスーン!ペラッ‥‥‥ヒラヒラ‥‥‥

「確認してもらいたい。問題がなければ、わたしの方から上に報告しておくよ」

‥‥‥正気を疑うほどの厚みの書類。そして、記号のような文字列。

――ふむふむ、なるほど‥‥‥なんだ、これは。

目を通すだけで数日は奪われるだろう。
だが、その整然とした紙束から、異様なまでの「完成」が伝わってきた。

もはや、ここに口を挟む余地など微塵もない。
むしろ、これの間違いを直すのは、前より大変じゃないか。

そして、私に任されていたことは、本来この次元を求められていたのかと唖然する‥‥‥

「‥‥‥分かりました。ありがとうございます」

以後、私はこの上官が用意する「完成された作品」に身を委ねた。

優秀なこの方が作ったものなら、間違っているはずがない。

その怠惰な確信が、私の首を絞める縄になるとも知らずに。

私は、この方を都合よく利用したつもりでいた。

この方の影に隠れていれば、以前よりもずっと楽に息ができる。
自由な時間も、誰にも邪魔されない安息も手に入った。

もう、自らの無能に怯える必要もない。

そう、思っていたのだ。

ーー異質な関係が長く続いた、ある日のことである。
どういうことか、私が昇進すると告げられる。

私が、この方の上官になるという。全く理解が追い付かない。

「あの‥‥‥何かの、間違いではないですか?」

「いいえ。そのように、と王国から正式な通達が届いていますよ」

上官から、一枚の通達書を受け取る。
簡素な文面から、重みを感じる。

何度もまじまじと確認する。偽装されたものではない。
これは、本物であると‥‥‥

嬉しい知らせを受け取り、私は段々と震える。

私がしてきた仕事‥‥‥とはいえないものは、本来この上官がしてきた役割ではある。実質的に私は何もしていない‥‥‥

しかし、この関係は2人の間で内密にしていたこと。
まさか‥‥‥そのことが王国に‥‥‥

それなら、なおさらおかしい。命令に背き、勝手に役割を変えた。
ということは、この上官が処罰されて‥‥‥

何がどうなればこうなるのか。

「あの‥‥‥私は、何かしたのですか?もしかして、上官にご迷惑を‥‥‥」

目の前のこの方は、少し笑みを浮かべている。

「日々の務めの、積み重ねだと聞いていますが、心当たりでも?」

男はどこまでも柔らかく微笑み、深々と頭を下げた。

一瞬目が合った時、相変わらずその目は笑っていないようにも‥‥‥

「では、今後ともよろしく頼みますよ。上官殿」

全く心当たりがない。私の不正なら山ほどあるのだが‥‥‥

あるとすれば、国の中枢にいる父の影くらいだ。
だが、父とて我が子の無能さは、骨の髄まで知っているはず。

それだけは絶対にない。

「ん?日々の、積み重ね‥‥‥?」

私はいったい何をしてきたのか。
すぐさま史料室に駆け込み、これまで務めてきた期間の書類を手に取った。

――書いてある内容に、一切の記憶がない。

それもそのはずだ。途中から中身を確認することすらやめた。
ただ頃合いをみて、確認したことを取り繕い、ただの紙束として処理していたのだから。

だが、そんな無能でも一目でわかることがある。

「‥‥‥私の名がある」

緻密な内政の改善案と成果。
冷徹なまでに完璧な作戦立案と、目覚ましい戦果の報告。

そのすべての責任者に、「私の名」が、刻まれている。

理由はわからない。だが、たった一つ、残酷な事実だけがそこにある。

私が楽をしていた期間、この街を繁栄させた英雄は、書類の上ではすべて「私」なのだ。

底冷えのするような寒気に襲われた。

寒さを感じたのに、汗が流れる。

それは見知らぬ偉人が鏡に映っているような、そんなおぞましさだった。

男は、当然の理を説くように語りかけた。

「内容に間違いはなかっただろう? 君も、確認したはずだ」

確認していなかった。それすら見透かされていたのだと。
虚飾の英雄。その重圧に押しつぶされそうになる。

この上官が担っていた、あの役割を本当に自分がしなくてはいけなくなったと、想像するだけでめまいがする。

こんな、不正が許されていいわけがない。
私の中の、正義感が湧きあがり、どうにか逃れようとする‥‥‥

だが、すでに決まっているというのも事実。
そもそも、この場合における不正とは‥‥‥

だが、最後の希望。あの厳格な父が、こんな歪な偽造を許すはずがないと。
国の中枢を担う者の、息子が汚職に手を染めていたと知られたら‥‥‥

この後におこる、地獄のような光景が脳裏によぎる。

私は恐る恐る、男に尋ねる。

「あの‥‥‥父は。いえ、父上は、このことを知っているのですか?」

父は目立つような人物ではない。
だが、この職についていれば、知っている者なら知っている。

当然、優秀なこの方なら知らないわけがないと‥‥‥

「あぁ。君の父上には、すでに話は通してある。何も、問題はないよ」

「えっ‥‥‥そんな‥‥‥いや‥‥‥」

まっすぐなまなざしで見つめられる。
だが‥‥‥これも、嘘なのだろうと疑心暗鬼となる。

男は、あるものを私に渡す。

「昇進祝いだと思ってほしい。受け取ってくれないか?」

その言葉が、私の世界を粉々に砕いた。

「これは‥‥‥父の大好きな‥‥‥」

「では、後は頼みましたよ」

かつて、父が楽しげに語っていたのを思い出す。
受け取った名酒は、その時に父が飲んでいたものだ。

忘れるわけがない。

自分には、気を許して酒を酌み交わせる『唯一の友』がいるのだと。
その者を優秀だと語る姿は、どこか寂しそうでもあった。

父のあのような顔を、私が見たのは一度だけだ。

それは、どこかの高潔な貴族だとばかり思っていた。

だが、その『親友』こそ、目の前の『この方』だったのだと。

父は、この方に「自由」な立場を与えた。
代償に、この方は私の「実績」を捏造し続け、虚飾の栄光を塗り固めた。

豊かになった領地。愛する妻と娘の温もり。

私が信じていた幸福は、すべてこの二人が裏で糸を引いて導き出した、幸福だったのだ。

ーー私はこの牢獄から抜け出す方法を知らない。

ーーつづく


『わたしは、時代を描かない』

『わたしは、わたしの生きた時代を描く』


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