『滅国の英雄』断章ー魂の継承者ー ♯1甘美な牢獄 【連載小説】 創作大賞2026 ファンタジー小説部門
【あらすじ】
ーー半分の憧れと、半分の諦め。
幼き頃の私は、厳格な父が苦手だった。
でも、かっこいいと思っていた。
目立たず、国の中枢で勤める姿。
その姿を、見たことはない。
後を追って、地方の治世を支える職についた私は痛感する。
私は、無能だ。
これといって、誇れるものがない。
みんな何を想い、この世界を生きているのか。
そんな中、わたしは新たに苦しむこととなる。
素性が一切わからない‥‥‥
私が最も苦手とする、この上官との出会いによって。
ーーわたしはいったい何者なのか。
しくじった。‥‥‥いや、そんな生ぬるい言葉では足りない。
なぜ、あの時‥‥‥致命的な過ちだ。
しかし、これは私が招いたことだ。
ほんの一呼吸、立ち止まって確かめてさえいれば‥‥‥
こんな地獄を覗くことはなかったはずだと。
一時の甘えが、一生の代償になるとは‥‥‥
止められる時をすべて流し、私は自らの手で、歩むべき光を握りつぶした。私は戻れぬ深淵へと、足を踏み外してしまった。
◇
ーーリブラリス領のある街で、私は日々務めを果たしていた。
ひっそりと、誰にも迷惑をかけずにいたい。
のんびりと街を管理する、この日々任された役割をただこなし、平和に過ごしたい‥‥‥
ただ、それだけでよかったのに‥‥‥
ーーコツーン。コツン。コツーン。コツン。
あぁ、始まってしまった。私だけがわかる、この不協和音のリズム。
あの絶望のメロディーである。なぜ、誰も気にならないのか。
私は、この唄を知っている。
「すまない、この報告書に少し間違いがあるみたいだ。確認してもらえるかな?」
まただ。この方の、優秀な主旋律が、日々じわじわと私を追い詰める。
このやり取りに疲れ果てた私は、どこか投げやりな甘えを口にしていた。
「‥‥‥あの、できれば‥‥‥代わりに直しておいていただけませんか?」
私の楽になりたい一瞬の甘えに対し、男の動きが止まった。
目の前で立ちはだかるその姿を見上げる。
高い位置から見下ろされる視線が、突き刺さる。
しまったという気持ちになった。これは、上官に対しての言葉ではないと。
理解するにはあまりにも遅すぎた。
口角が上がる穏やかな微笑み。
だが、目は笑っていない。背筋に冷たいものが走る。
「そうか‥‥‥では、最後に確認だけしてくれればいい。それで構わないかな?」
咄嗟に身体が反応する。軽く下を向くように頷く。
ーーコツ、コツ。コツ、コツ‥‥‥
その場を離れていく姿を見て、ただ安堵する。
予想外の甘い言葉を理解するため、頭で何度も分析する。
そうだと。私がこれをするのではなく、この方がこれをすればいいだけ。
優秀なこの方が手を加えれば、もう間違いなんて起きない。
なんという幸運。部下の失態を未然に防ぐ。これこそ理想の上官。
もっと早くに気づいていれば‥‥‥
もしや、あの反応。すでに上官は、私からの提案を待っていたのでは?
その「楽」への渇望が、私の目を曇らせていた。
――コツーン♪コツン♪コツーン♪コツン♪
それから、私と上官の仕事は逆転した。
心の余裕からか。
以前、感じていたあの不吉な足音が、今は気にならなくなっていた。
それどころか、これを聴くことが幸福のメロディーのように感じるように。
人の心理とは、このように変化するものなのか。
私はこの仕事が、少し好きになっていた。
ーードスーン!ペラッ‥‥‥ヒラヒラ‥‥‥
「確認してもらいたい。問題がなければ、わたしの方から上に報告しておくよ」
‥‥‥正気を疑うほどの厚みの書類。そして、記号のような文字列。
――ふむふむ、なるほど‥‥‥なんだ、これは。
目を通すだけで数日は奪われるだろう。
だが、その整然とした紙束から、異様なまでの「完成」が伝わってきた。
もはや、ここに口を挟む余地など微塵もない。
むしろ、これの間違いを直すのは、前より大変じゃないか。
そして、私に任されていたことは、本来この次元を求められていたのかと唖然する‥‥‥
「‥‥‥分かりました。ありがとうございます」
以後、私はこの上官が用意する「完成された作品」に身を委ねた。
優秀なこの方が作ったものなら、間違っているはずがない。
その怠惰な確信が、私の首を絞める縄になるとも知らずに。
私は、この方を都合よく利用したつもりでいた。
この方の影に隠れていれば、以前よりもずっと楽に息ができる。
自由な時間も、誰にも邪魔されない安息も手に入った。
もう、自らの無能に怯える必要もない。
そう、思っていたのだ。
◇
ーー異質な関係が長く続いた、ある日のことである。
どういうことか、私が昇進すると告げられる。
私が、この方の上官になるという。全く理解が追い付かない。
「あの‥‥‥何かの、間違いではないですか?」
「いいえ。そのように、と王国から正式な通達が届いていますよ」
上官から、一枚の通達書を受け取る。
簡素な文面から、重みを感じる。
何度もまじまじと確認する。偽装されたものではない。
これは、本物であると‥‥‥
嬉しい知らせを受け取り、私は段々と震える。
私がしてきた仕事‥‥‥とはいえないものは、本来この上官がしてきた役割ではある。実質的に私は何もしていない‥‥‥
しかし、この関係は2人の間で内密にしていたこと。
まさか‥‥‥そのことが王国に‥‥‥
それなら、なおさらおかしい。命令に背き、勝手に役割を変えた。
ということは、この上官が処罰されて‥‥‥
何がどうなればこうなるのか。
「あの‥‥‥私は、何かしたのですか?もしかして、上官にご迷惑を‥‥‥」
目の前のこの方は、少し笑みを浮かべている。
「日々の務めの、積み重ねだと聞いていますが、心当たりでも?」
男はどこまでも柔らかく微笑み、深々と頭を下げた。
一瞬目が合った時、相変わらずその目は笑っていないようにも‥‥‥
「では、今後ともよろしく頼みますよ。上官殿」
全く心当たりがない。私の不正なら山ほどあるのだが‥‥‥
あるとすれば、国の中枢にいる父の影くらいだ。
だが、父とて我が子の無能さは、骨の髄まで知っているはず。
それだけは絶対にない。
「ん?日々の、積み重ね‥‥‥?」
私はいったい何をしてきたのか。
すぐさま史料室に駆け込み、これまで務めてきた期間の書類を手に取った。
◇
――書いてある内容に、一切の記憶がない。
それもそのはずだ。途中から中身を確認することすらやめた。
ただ頃合いをみて、確認したことを取り繕い、ただの紙束として処理していたのだから。
だが、そんな無能でも一目でわかることがある。
「‥‥‥私の名がある」
緻密な内政の改善案と成果。
冷徹なまでに完璧な作戦立案と、目覚ましい戦果の報告。
そのすべての責任者に、「私の名」が、刻まれている。
理由はわからない。だが、たった一つ、残酷な事実だけがそこにある。
私が楽をしていた期間、この街を繁栄させた英雄は、書類の上ではすべて「私」なのだ。
底冷えのするような寒気に襲われた。
寒さを感じたのに、汗が流れる。
それは見知らぬ偉人が鏡に映っているような、そんなおぞましさだった。
◇
男は、当然の理を説くように語りかけた。
「内容に間違いはなかっただろう? 君も、確認したはずだ」
確認していなかった。それすら見透かされていたのだと。
虚飾の英雄。その重圧に押しつぶされそうになる。
この上官が担っていた、あの役割を本当に自分がしなくてはいけなくなったと、想像するだけでめまいがする。
こんな、不正が許されていいわけがない。
私の中の、正義感が湧きあがり、どうにか逃れようとする‥‥‥
だが、すでに決まっているというのも事実。
そもそも、この場合における不正とは‥‥‥
だが、最後の希望。あの厳格な父が、こんな歪な偽造を許すはずがないと。
国の中枢を担う者の、息子が汚職に手を染めていたと知られたら‥‥‥
この後におこる、地獄のような光景が脳裏によぎる。
私は恐る恐る、男に尋ねる。
「あの‥‥‥父は。いえ、父上は、このことを知っているのですか?」
父は目立つような人物ではない。
だが、この職についていれば、知っている者なら知っている。
当然、優秀なこの方なら知らないわけがないと‥‥‥
「あぁ。君の父上には、すでに話は通してある。何も、問題はないよ」
「えっ‥‥‥そんな‥‥‥いや‥‥‥」
まっすぐなまなざしで見つめられる。
だが‥‥‥これも、嘘なのだろうと疑心暗鬼となる。
男は、あるものを私に渡す。
「昇進祝いだと思ってほしい。受け取ってくれないか?」
その言葉が、私の世界を粉々に砕いた。
「これは‥‥‥父の大好きな‥‥‥」
「では、後は頼みましたよ」
かつて、父が楽しげに語っていたのを思い出す。
受け取った名酒は、その時に父が飲んでいたものだ。
忘れるわけがない。
自分には、気を許して酒を酌み交わせる『唯一の友』がいるのだと。
その者を優秀だと語る姿は、どこか寂しそうでもあった。
父のあのような顔を、私が見たのは一度だけだ。
それは、どこかの高潔な貴族だとばかり思っていた。
だが、その『親友』こそ、目の前の『この方』だったのだと。
父は、この方に「自由」な立場を与えた。
代償に、この方は私の「実績」を捏造し続け、虚飾の栄光を塗り固めた。
豊かになった領地。愛する妻と娘の温もり。
私が信じていた幸福は、すべてこの二人が裏で糸を引いて導き出した、幸福だったのだ。
ーー私はこの牢獄から抜け出す方法を知らない。
ーーつづく
『わたしは、時代を描かない』
『わたしは、わたしの生きた時代を描く』
▼続きはこちらからどうぞ。(全11話公開中)
TALESにて、創作大賞2026 ファンタジー小説部門 エントリー中
▼『滅国の英雄』 異世界ファンタジー小説 創作記録はこちらから。
▼『流離の冒険者』に関する記事はこちらから。
(異世界ファンタジー連載小説)
▼「ただの読者モード」への道 全4話
創作大賞2026 オールカテゴリー部門
▼「クリエイター能」への道 全3話
創作大賞2026 オールカテゴリー部門
