貯金派の私が、宵越しの金を持たない夫の夢に150万円賭けた話
結婚12年目となる夫と私は、新卒で入った会社の経理部門で知り合った。ともに同じ会計システムで仕訳を切り、同じ日に簿記検定を受検し、お揃いの電卓を片手に会計システムとにらめっこしていた。それなのに。
お金に対する価値観が、ことごとく合わない。
夫の座右の銘は「宵越しの金は持たない」だが、私はコツコツ貯金こそが正義と信じている。合うはずがない。
結婚が決まり、結婚式場の見学帰りにそれとなく貯金額を聞いてみると、爽やかに「ないよ」と言い放つ夫。付き合っている時なら「聞き分けのよいカワイイ彼女」を演出するためうやむやにして話を終えるが、今後我々は富める時も貧しき時も共に生きる夫婦となる。お金の話は避けて通れない。
意を決して詳細を尋ねると、夫は毎月の給料は翌月の給料日までに使いきり、ボーナスも綺麗に使いきっているそうだ。正気の沙汰ではない。
お金をつぎ込む先は、バイク。
当時スズキの「ハヤブサ」という大型バイクに乗っていた夫は、給料とボーナスを全部バイク備品の購入やツーリング代に突っ込んでいた。ちなみに夫は学生時代に交通事故に巻き込まれ九死に一生を得たが、その際の慰謝料と保険金でまた別のバイクを買ったらしい。怖い。
私からすると、大金払って雨風すら凌げない乗り物に乗る夫のあまりのコスパの悪さに戸惑うしかなかったが、それくらい夫は、今を楽しむためにお金を使うことを躊躇わない。
永遠に分かり合えない「貯金派」と「金は天下の周りもの派」
一方私は、何かあった時のためのコツコツ貯金が正義だった。この世の中、お金で解決できることは結構あるはず。そのためのリスク回避をしない夫にしっかり引いたうえで、「お金がないと何かあった時に困るよ。最低限でいいから貯金してみよう」と提案した。
すると夫は首をかしげてこう言う。
「何かあった時の、その”何か”って、なに?」
「事故とか病気とかだよ」と訴えれば、「事故や病気は医療保険でカバー、万が一の時に備えて生命保険にも入っている。リスク回避しているよね。他に何が怖いの?」と返ってくる。
私は「あれ、たしかに」と思いつつ、自分の劣勢具合を悟られないように「他にも急にお金が必要になることってあるかもしれないじゃん」とアピールする。夫は畳み掛けるように「医療保険や生命保険に関係ない事案で、かつ急にお金が必要になる時っていつ?」と聞いてくる。あれ、しんどくなってきたぞ。こうなったら、と苦し紛れに
「…あなたか私が罪を犯して、その慰謝料とか…」
「そもそも犯罪しちゃだめだろう、論点が変わっているよ」
「だよね、すいません」
なぜだろう、夫に負けた気がするのは。このやりとりは年に数回定期的に発生し、その都度私は、なんだか負けたような気がしている。
「今」欲しいものは、何があっても欲しいもの
金は天下の周りものだと信じて疑わない夫は「今、これが必要だ」と思うと、すぐ手に入れるタイプでもある。なお、手段は選ばない。
結婚五周年記念日に、夫からネックレスをもらった。
当時夫はベンチャー企業に転職したばかりで、私は専業主婦をしており家計に余裕がなかった。そこでお祝いは食事のみ、プレゼントは互いに贈らないと決めていた。なのに夫は、こっそり私の好きなブランドのネックレスを用意してくれていたのだ。
安くない金額のものを、夫がプレゼントしてくれた。知らないうちに夫は、お金を貯めて買ってくれたんだ。
そんな夫の確かなる愛に感激していたら、夫はニコニコしながら言った。
「でさ、このネックレス、代金のクレカ引き落としが来月なんだよね。俺に現金はもちろんないから、家計で立て替えてくれないかな?」
絶句した。
夫の思考回路はこうだ。
妻にネックレスを買ってあげたいが俺には金がない。そうだ、家計で立替えて、俺が自由に使えるお金から毎月3,000円ずつ返済しよう。これなら俺に現金がなくてもネックレスを買える。しかも家計から借りるから無利子!俺、天才じゃね?
もう、笑うしかなかった。こんな発想、私にはできない。
お金の使い方は「覚悟」を示すこと
そんな夫との生活を続ける中で、私の「何かあった時のための貯金」って、一見賢いようで、実態がないものだと思うようになった。何かあった時の「何か」が漠然としているから、いくら貯金しても不安はなくならない。むしろ、その不安は増殖し続ける。
それなら、目に見えない不安におびえながら貯金をするのではなく、明確な不安に対しては貯金し、それ以外のお金は「わくわくすること」に使うのも、悪くない。
そう思ったとき、私の財布の紐は緩みに緩んだ。
勢いでキャンピングトレーラーを買った。運転すらできないのに。
当時夫はオランダで展開されている「キャンピングトレーラーを会議室に改装し、森の中ではたらく」事業を見つけ「俺もこの事業をやりたい」と熱弁していた。起業なんてできるのか、そもそもトレーラーって何なんだ。不確実性の塊のような話だったけれど、唯一確かなことがあった。
それは、夫には夢があるけれど金がないということ。
そして、私は夫よりは金はあるけれど、夢がないということ。
そう思ったとき、私は夫の夢に150万円をbetした。もちろん現金一括で。
トレーラーを買ったからといって、会社登記をしたからといって、事業が勝手に回り出すわけではない。そんなことは、やっている本人がいちばんよく分かっている。
それでも事業プランが明確になる前にトレーラーを買ってしまったことは、あとから振り返ると、不思議なくらい大きな追い風になっていた。なぜなら、事業プランの相談をしにある起業家を訪ねたとき、笑いながらこう言われたからだ。
「たいていの人は、分厚い事業計画書を持ってくる。きれいに整えられた言葉と数字がある。でも、それは全部机上の空論。君たちみたいに身銭を切って実際に動いている人なら、信頼できる。サポートするよ」
ああ、そうか、と思った。
「もう戻れないところまで来ている」という事実が、人の心を動かすこともあるのだ。このお金の使い方は、意図せず私たちの覚悟を示すものとなっていた。
そう思うと私の150万円は、金額そのものよりも大きな効果をもたらしたのかもしれない。
その後、事業内容を何度か変えつつトレーラーは今も私たちの手元にあり、現在も夫婦で会社を経営している。
お金は「どう稼ぐか」よりも、「どう使うか」に人柄が出るという。
我々のお金の使い方は、どんな人柄となっているだろうか。

