170.Bodyはスピリタス・ムンディで満ちている⁉
Bodyの所有をハズせたら?
もっと身体からの声を鮮明に受けとれるのではないだろうか。
ここしばらくBodyに意識を向けることを続けていて持った感想だ。
昔、神社に舞を奉納する女性とお話する機会があった。
当時、新米の舞手であった彼女は、大きな舞台の前いつも緊張していた。
経験豊富な先輩方に囲まれて足をひっぱってしまうのではないか?
自分はその場にふさわしくないのではないか?
奉納日が近づくにつれ、いつもそんな思いに捉われ不安と緊張で苦しんでいたにもかかわらず、当日舞台に立つとスッと身体が動くのだとか。
「 緊張し過ぎて頭がパーンと真っ白になったとき、身体が勝手に動いてくれるんよ。身体はちゃんとわかってる。私なんかより全然頼れる相手よ 」
ヨガの先生もレッスン中、似たようなことを口にする。
「 身体に委ねて動いて。何も考えずただ身体が動くままに任せるの。結果、そのときのBodyにとってベストな動きが自然とできるから 」
「 私の身体 」と、身体を自分のものとしているとき、そこには自我「 Bodyはコントロールできるもの 」という思いが入っている。
けれどよくよく身体の働きを見てみると
心臓の鼓動は私たちの意思で動いているだろうか?
息を吸って吐くという肺の活動は、私たちが意図しなければ止まってしまう?
我々は何も関与していない( というかできない )。
「 自分が動かしている 」というのは自我の錯覚で、身体は私たちが指示を出さずとも生命活動を維持する働きを
生まれてから現在に至るまで、一秒たりとも休むことなく続けてくれているのだ。
だから私たちは生きていられる。
そのことに氣づいたとき
身体への感謝の氣持ちが自然と湧いてくる。
心臓さん、いつも休まず動いてくれてありがとう。
肺さん、いつも空氣を取り入れてくれてありがとう。
ほかの臓器さんたち、それぞれの働きをまっとうしてくれてありがとう。
血液さん、リンパさん、筋肉さん、いつもありがとう。。。
そんな感謝の念を身体に送りつづけていると
Bodyが自我のアンダーコントロールの対象ではなく
敬う対象であったことを知る。
「 スピリタス・ムンディ 」というコトバをご存知だろうか?
天地創造の際に用いられたとされる「 目に見えない命の源 」という意味の概念で、自然界すべてのものをつなぐネットワークのようなものなんだとか。
別の表現をするなら「 宇宙の叡智 」。
Bodyはそれで満ちていて、「 超知性 」の塊が人の身体である、という話を聞いたことがある。
前述した舞い人の彼女や、ヨガの先生が話していることは、そういうことなんじゃないのかなぁと。
そーいえばMr.DXもこんなことを言ってたっけ。
この世に次の次元へのポータルがあるとするなら
それは人のBodyのような氣がしています。
Bodyの所有をハズすとは、
「 身体は自我が支配できるようなものではない 」と知ること。
それどころか
自我の考えも及ばない「 壮大な意識とつながっているのかも⁉ 」という可能性に氣づいたとき自然とハズれていくのではないだろうか。
そんな氣がする今日このごろである🍎
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