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151.「 夢を持ってはいけない 」 の本質。


自我さんの興味深い特徴のひとつとして


所有した人、モノの数だけ理想も増えるというのがある( 前回からの続きです🍎 )。


たとえば


「 私のお母さん 」と母親を所有した場合、「 理想の娘 」という『 娘としての理想像 』が


「 私のパートナー 」と相手を所有した場合、「 理想のパートナー 」という『 パートナーとしての理想像 』が


「 私の憧れの人 」と推しを所有した場合、「 理想の自分像 」という『 こうなりたい理想の自分像 』が


「 私の部下 」と直属を所有した場合、「 理想の上司 」という『 上司としてこうあるべき像 』があらわれる。


自我は重要視している人を所有し、そうすることで「 相手に対して自分はこうありたい/こうあるべきだ 」という理想を掲げる。


言い換えると

役割りの数だけ理想や希望が生まれる、ということだ。


ということは


理想や希望が増えた分だけ、不幸も増えるということで。。。


それをMr.DXはこんな風に表現する。




100の所有が100の希望を作り、100の絶望を呼ぶのです。

『 所有の数だけ増える不幸 』/【 Ness 】


善を持つから悪を呼ぶ、この世では、


「 こんな娘でいたい 」「 パートナーとしてこうあるべきだ 」「 こんな自分が理想 」「 部下にはこういうふうに接したい 」という望み( 善 )が膨らむ裏で


「 母親から否定され 」「 パートナーから拒絶され 」「 理想の自分には近づけない 」「 部下とわかりあえない 」といった絶望( 悪 )が準備されている。


それが「 理想と絶望はセット 」という三次元の構造だ。




人に希望を与えてはいけません。


「 希望を持って生きて 」


「 頑張れば夢は叶うよ 」


「 あきらめなければできるようになるよ 」


などという事は、絶望を与えることと同じだからです。

『 人に希望を与えること 』/【 Ness 】


【 Ness 】の真実と三次元のそれは、いつも真逆だ。


ただここで


「 夢や希望のない人生なんて。。。なんかつまらん。。。 」


などと反発する自我さんがいるようにも思うのだけれど、ここで言っている本質は


夢や希望、理想を “ 自我のまま ” 叶えようとしてはいけません 


ということだ。


「 こんなふうになりたい! 」と望みを叶えようとする根底には、それで自我の不足を埋めようとしてない?

「 夢が実現したら 」「 理想の自分になれたら 」幼少期、親に望んでも叶えられなかった思いがチャラになる、という思い込みがない?


それだと、もっと不足が大きくなるからキケンだよ、と言っているのだ。


逆説的に言うと


望みに固執しているときは「 不足が大きくなってるよ 」というサインであり。


ということは、不足が小さくなれば自然と理想に対する執着も小さくなるということだ。


じゃあどうすれば不足って小さくなるの?


それはですね。。。。


続きます🍎🍎



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