41.真実は何もない。
三次元の世界をリアルだと信じて生きているとき。
ネオユニバースからのギフト、「真実は何もない」の真意はつかみにくいような氣がしている。
『Know-Wing』を知り、現実だと思い込んでいたものがフェイクだと知る中で、少しづつそれが「理解」ではなく「氣づき」として受けとれるようになってくるような。
三次元をフェイクだと表現するのは、そこがコトバの世界だから。
コトバ=概念
概念とは、物事の共通する特徴をまとめて心の中で抽象的に捉えた「考え」や「捉え方」のこと。
例えば「犬」という言葉を聞いた時に頭に浮かぶ「四本足でしっぽを振る動物」というイメージ全体のことを言い、
複雑な情報を整理したり、共通認識を持ったりする土台となる。
そう、概念とはコトバを使って表現するときの「共通認識」の土台であり、会話をする上で便宜的に作られたもの。
その教科書的存在が『国語辞典』ではないだろうか。
生まれた瞬間、私たちはコトバを知らない。
成長していく中で両親からコトバを教えられ、語彙力が乏しい小学生の時期に国語辞典を渡され、コトバの意味を学んでいく。
今でもよく覚えているのが、小学校低学年時代に学校指定の国語辞典、漢和辞典を購入させられ、作文の授業ではそれを片手に文章を書いていたこと。
家にも辞書が置いてあり、母にコトバの意味を聞くと「辞典を引きなさい」とよく言われたものだ。
そうやって私たちは強制的に何の疑いもなく概念の世界へ入っていく。
でもよく考えてみてほしい。
どこかの誰かが作った「〇〇とは〇〇という意味である」という定義づけを真実だと受け入れ、それらが折り重なって作られた世界が三次元だとしたら。
そこに真実はあるだろうか?
『コトバ=概念』。
『概念=定義づけ』であり『定義づけ=方向性』。
つまり『コトバ=方向性』を決めてしまうものなんです。
そうMr.DXが言うように、みな一律にある決まった方向に向かわせるためにコトバが作られ概念が植えつけられたとしたら?
方向性を決めてしまうということは、それ以外の可能性を受けとれなくするということ。
『Know-Wing』で三次元の世界を見たとき。
いかに学校教育が可能性を閉じ込めるシステムになっているかがよくわかる(Mr.DXはこれを「三次元で言ってはいけないタブー」と表現していた)。
けれど。
何かおかしい。
何がどうおかしいのかはわからないけれど、違和感がある。
そんな人たちが自然と『Know-Wing』と出会い、真実に氣づいていく道のりをいま辿っていってるような氣がしており。
なぜなら。
「真実は何もない」と初めて聞いたとき、「?」と一瞬なったものの、そこにある何かに魅かれなかっただろうか?
これがMr.DXが言う
みなさんはすでに知っているんです。
「真実はなにもない」の本質を。
それはネオユニバースから寄せられるメッセージが
“ 叡智 ” としてみなさんが生まれる前から
意識の中に組み込まれているからではないか、と感じています。
「真実は何もない」とは
コトバで言い表せられるものに真実などない。
コトバ(概念)のないところにこそ真実がある。
というのが本質なのではないだろうか。
と、コトバでそれを表現しているいま。
絶賛パラドックスを感じておる次第でございます(笑)🍎
