22.コトバ。
コトバは方向性を示すもの。
そこに真実はないとしたら?
まだ自我の構造をあまり知らないころのMr.DXのセリフだ。
聞いた当初は意味がよく分からず「ふぅ~ん」と思っていたけれど、いまはコトバの裏に隠れている自我の意図思惑を知った。
コトバがなかった時代。
そこには「概念」や「解釈」がなく、ただそのままを感じるだけでよかった時代。
そこに自我は存在したのだろうか?
自我はおしゃべりが大好きだ。
それはコトバを使わせたいから。
人との会話の中で「私はこう思う」と自分の意見を言った瞬間、自己定義が誕生し、「あの人はこういう人よね」と他者のことを話した瞬間、他者定義が生まれる。
そこにおのずと立ち上がるのは、人との比較であり、優劣であり、ジャッジ。その結果、感情が立ち上がり、過去の記憶に閉じ込められていくという自我お決まりのパターンにハマっていく。
それは人に対してだけでなく。
物事に対しても自我はすぐ、「これはこういうものだ」と決めつける。
なぜならそうすることで、いまここにある無限の可能性を閉ざしたいから。
つまりは「いま」とつながらせないために「定義づけする」。
そのツールがコトバなのだ。
自我がコトバを使って物事や人を解釈し、定義したその瞬間、フィクションの世界の扉が開く。
冒頭のMr.DXのセリフにあるようにコトバを発した途端「方向性」が確定してしまう。
コトバには「それぞれの自我都合の解釈による善悪」が内在しているので
コトバを使って定義する = 善悪を立ち上げる =フィクションを作る
という結末を生む。
逆に言うと。
コトバを使わなければ方向性が定まらず、フィクションも立ち上げられない。
だから自我はおしゃべりさせたいのだ。
ただここで。
「選択肢があるよ」とネオユニバースは言う。
コトバを使って無自覚に過去の記憶というフィクションの中で生きる道と
コトバを使いながらも自覚的に定義づけをハズし、フィクションの外に出て生きる道と。
「どちらを選んでもいいんだよ」と。
その定義づけをハズす選択が
「これってなに?」
人との会話の中で、他者が発したコトバを「〇〇ってなに?」とハズしていく選択(心の中でね。口に出しちゃうと喧嘩になるからね笑)。
自我が定義した物事や人に対してのラベリングをはがしていく行為。
これをするとコトバによって一度固定化されたエネルギーが拡張し、フィクションの外にいられるようになる。
「これってなぜ?」はフィクション没入ワード。
「これってなに?」はフィクション解除ワード。
Mr.DXは言う。
フィクションの世界から意識の世界へシフトしていく一番のポイントは
『決めないこと』。
コトバで何も決められてない状態に可能性があるし、
その状態そのものが可能性です。
ところが、
コトバで価値証明をする世界で生きていると
決めないことが不安でたまらなくなる。
決まらないことがとてつもなく不安と恐怖を立ち上げるんです。
だから自我は方向性や目的決めて進みたがる(わかりみが強い笑)⇩
そこを踏みとどまり、自我ミーティングで行動の先にある目的を破壊し、「たんたんと」行動する。
行動そのものを目的とし、アクションするときジャッジは生まれない。
なぜなら目標やGOAL設定がないので、行動に対する「できているか、できていないか」の判断が生まれないからだ。
自我はこれを一番イヤがる。
なので「何のためにそれをやるの?」とか「それをやることの価値はなに?」とささやき、存在価値を証明させようとしてくるけれど、そんな声が聞こえたら
「あぁ自我が存在価値を証明させたがっているんだなぁ」と一旦ステイ。
そうして自我との距離をとりつつ、目的を持たず
ただ、いまを感じる
選択をする。
これをやられると自我は太刀打ちできない。
いまこの瞬間はコトバがないので、自我が存在できないからだ。
コトバを発することが多くなっているときは要注意!
自我が存在価値の証明に走っているときかもよ?
